二百八十五話 軍隊蟲
それは個であり軍であった。
そして軍でありながら個であった。
超個体。
それは多数の個体から形成され、まるで一つの個体であるかのように振る舞う昆虫の集団だった。
一つの個体はわずか数センチにも満たない。
だが、それが数百万体集まることで、その惑星に住むどんな生物をも上回り生態系の頂点に君臨していた。
軍隊蟲。
かつて同じ惑星に住んでいた先人達は、そう名付けたが、瞬く間に殲滅され、その名を口にする者はいなくなった。
軍隊蟲は巣を持たず、狩りをしながら移動する。
敵をバラバラにして捕食する人型の戦闘形態から、休息の際にはコロニーと呼ばれるドーム型の要塞形態に変化した。
個体にはそれぞれ階級があり、全てを統括する王、王の命令を伝達する幹部、命令を実行する兵隊、命を問わずその身を犠牲にして働く奴隷に分けられる。
一日の狩りで、最大5000万匹もの生物を淘汰した記録があり、それら全てを捕食した後、王はその10倍の卵を産み落とし、軍隊蟲は増え続けた。
惑星に住む全ての種を絶滅させた後、軍隊蟲は別の惑星に移動する。
羽や翼を持たず、宇宙船などの乗り物を持たない者達がどのようにして惑星間を移動できたのか。
それはたった一つのシンプルな答えだった。
橋。
定住する巣を持たず、常に餌を求め動き回る軍隊蟲は、その果てしのない行軍の中で、どうしても渡れない亀裂があったりショートカットしたい場所がある。
そうすると「橋を作る役職」が奴隷に与えられ、数億体が積み重なり、どこまでも続く橋を形成するのだ。
惑星間を移動した軍隊蟲は、どこまでもどこまでも進み、やがては次元の壁さえも超えていく。
無限界層ランキングの並いる強豪たちも、その行進を止めることは出来なかった。
『大怪獣ドゴンと数学者マドゥエルが勘違い王に敗れたのか』
軍隊蟲の王アンガストの思考は声にはならない。
そもそも声帯というものが存在しない。
だが、その考えは幹部の脳内に直接伝わっていく。
王の存在が一つの脳であり、命令を伝える幹部が神経であり、それを実行する兵隊が体であった。
『どれだけ強くても個体は個体。所詮、その限界は決まっておる』
王の言葉に答える者はいない。
意思は軍の中で、常に一つに統一される。
『我らが行こう。どれだけ文字に侵されようが、それは皮膚の薄皮を傷つける程度に過ぎない』
軍隊蟲の中で最も多くを占める奴隷は使い捨ての駒であり肉の壁だ。
たとえ、文字に侵され、駄目になろうと次々と切り捨てていけばいい。
本体に到達する前に、勘違い王は捕食できる。
『個であり、軍である我らこそが最強なのだ』
軍隊蟲と王であるアンガストは、勘違い王タクミの元へ向かう。
奴隷が作った橋で、一直線に真っ直ぐに最短距離を行進する。
『誰も我らを止めることなどできない』
だが、いとも容易く簡単に、軍隊蟲の進撃はピタリと止まってしまうのであった。
「タクみん、タクみん、畑に害虫が湧いているでござるよ。そろそろ処理しないと大変でござる」
「あー、もうそんな時期か。ちょっと見に行ってくる」
稲がある程度伸びてくると、それを食べにくる害虫が増えはじめる。特に、夏前には梅雨前線の気流に乗って東方から数種類の害虫がワラワラとやってくるのだ。
「拙者もヒマだから手伝うでござるよ。デウス博士が発明した薬品は使わないのでござろう?」
「タクミ農園は無農薬だからな。一匹一匹潰していくのは手間だけど、その分、美味しいお米になると信じているんだ」
美味しい料理を作るには手間暇をかけないといけない。
「そういえばタクみん、また無限界層ランキングが上がったようでござるな。いつのまにやっつけたのでござる?」
「え? しらないよ。それ、誰から聞いたの?」
「生け贄リーダーのネレスが嬉しそうに語ってたでござるよ」
うん、バイトリーダーみたいに言わないで。
ロッカと話しながら田んぼに着くと、小さな虫が稲に群がり、茎や葉にストロー状の口針を刺して吸汁している。
「お、思ったよりいっぱいだな」
「今年は大量発生したみたいでござる」
手間暇をかけると言ったが、これはちょっと面倒くさい。薬品使っちゃおうかな、いや、ここはちょっと裏技で……
一匹の虫を捕まえて、潰さずに一言つぶやく。
「工」
「ん? タクみん、何か言ったでござるか?」
「いや、別に」
俺の田んぼに近づく害虫には、すべてその言葉が追加され、ウイルスのように感染していく。
「タ、タクみんっ! 空を見るでござるよっ!! とんでもなく、デカいのが見えるでござるっ!!」
「ええっ!! なんで、そんな大量に変化したのっ!? どんだけ虫いたのっ!?」
宇宙全体をすっぽり覆っても足りないほどの七色の光が無限界層を超えて伸びている。
それはどこまでもどこまでも果てしなく続いていく大きな大きな虹の橋だった。




