三十一話 花言葉の意味
「やっぱり君が魔王だったか」
否定も肯定もしない。
彼女は静かに俺を見て、にっこりと笑う。
それは昔見たヌルハチとそっくりな笑顔だった。
「いつから、わかっていた?」
大樹の下、魔王は笑みを浮かべたままだった。
「大迷宮で、君の本体がある部屋を見た時だ」
思えば、最初から魔王は俺に気づいて欲しかったのだろう。
『よろしければお茶などは如何でしょうか? こちら西方の香り豊かなブルーローズを使用した特製ハーブティーでございます』
初めて出会った十豪会の準備中、彼女が入れてくれたハーブティー。
氷漬けになった魔王の身体を見守るように咲いていた青い花。
青いバラ。
その香りは、一瞬でその時のハーブティーを思い出した。
「なんて呼べばいい? 魔王か、それとも……」
「よければ、これまでと同じで」
彼女はゆっくりと眼鏡を外し、俺に向かってお辞儀する。
「リンデン・リンドバーグとお呼び下さい」
何故、魔王がギルドに潜り込み、秘書となったのか。
バルバロイ会長に俺を魔王と誤認定させるためだろう。
『現在出揃った情報を元にタクミ様が魔王である確率を計算致します。二秒で出ました。99.9999%です』
十豪会でも、常に俺を魔王に仕立てようとしていた。
だが、それだけじゃない。
ギルドランキングもだ。
実際は俺は何もしていないのに、アリスと共に様々な任務を遂行したことになっていた。
ランキング一位になったのも、魔王が裏で操作したはずだ。
「リンデンさん、君は一体、俺をどうしたいんだ?」
その問いに対して、魔王は答えず、空中から何かを取り出した。
ブルーローズだ。
一本の青いバラを大切そうに胸元に持ってくる。
「この花の花言葉を知っているか?」
首を振る。
ヌルハチが昔、その話をしたような気がしたが覚えていなかった。
「昔、青いバラは存在しなかった。世界中のバラ愛好家達の中では、青いバラの品種を生み出すことが夢とされており、青いバラは【不可能】という花言葉を持っていた」
話の筋が見えてこない。
魔王が俺をどうしたいか、それを答えたくないから、話を逸らしているのか?
しかし、魔王の真剣な表情に俺は口を挟めないでいた。
「ヌルハチが余に残していった花、その意味を知り、最初は悲しみを覚えた。やはり、余は世界に交わる事なく、一人で生きていくしかないと改めて実感した」
あの花はヌルハチが残したのか。
不可能という花言葉。
ヌルハチは魔王を拒絶したのか?
「だけど、それは違ったのだ。世界で初めて青いバラが誕生した時、新しい花言葉が生まれた。不可能なことを成し遂げる、その意味からこの青いバラの花言葉は……」
「「夢は叶う」」
声が重なり、後ろを振り返る。
ついてきていたのか。
チハルが背後に立っている。
その雰囲気は、いつものチハルではなかった。
「なるほど、その姿でも保護者のつもりか。でも今は彼と二人きりにさせてくれないか」
「心変わりは、その本体の影響か。悪いがこれ以上タクミに関わるな」
「もともとは其方が余に与えようとしてくれたはずだ。心変わりはお互い様だろう?」
二人の間に異様な空気が流れている。
「チハル。大丈夫だ」
その間に割って入るように止める。
「ちゃんと二人で話す。心配しないでくれ」
「……わかった」
長い沈黙の後、チハルは一言だけそう言って目を閉じた。
「ほとんど魔力が残っていないな。貯めれば元に戻れるだろうに。小出しに使っているのか」
「それは、どういう……」
「受け止めたほうがいいぞ」
俺が質問しようとした時に魔王がチハルを指差した。
目を閉じたチハルがそのまま前に倒れてくる。慌てて受け止めると小さく寝息をたてていた。
「可愛いな。アリスが子供の時を思い出す」
俺の膝元で眠るチハルを魔王は優しい顔で眺めていた。
大樹の下で、二人並ぶように座っていた。
「で、結局、リンデンさんは俺にどうして欲しいんだ?」
魔王と呼ばずにリンデンさんと呼ぶと少し嬉しそうにしている。
「そうだな。君にはこのまま何もして欲しくない」
「何も?」
「ああ、ほっておいたら次の二回戦で発表する予定だっただろう。自分が魔王ではなく、余が魔王だと」
それがこの大武会に参加した目的だ。
「ずっと俺に魔王を演じていろ、と?」
「そうだ。魔王だけじゃない。ギルドランキング一位で、人類最強のアリスの師匠。ずっと宇宙最強の魔王でいて欲しいのだ」
「なぜ、そんなことを……?」
魔王が俺をじっ、と見つめる。
「内緒だ。余に勝てば教えてやろう」
勝てるわけがない。
どうやら、魔王の目的を知ることは不可能のようだ。
「なら、答えはノーだ。俺は次の二回戦で、リンデンさんが魔王と公表し、試合も放棄する」
「そうか、それは残念だ」
魔王は静かに立ち上がり、俺を見下ろした。
交渉は決裂した。
……かに思われた。
それはまさに不意打ちだった。
魔王の髪が頬に触れたと思った瞬間に、俺の唇に何かが触れていた。
ふわっ、と同時にブルーローズの香りが鼻腔をくすぐる。
それが魔王の唇だと気がついたのは、その香りが通り抜け、霧散した後だった。
「なっ!?」
ファーストキスを奪われた。
何がなんだかわからない。
「言わないで下さい、お願いしますのキスだ」
魔王は悪戯っ子のように、本当に楽しそうに笑みを浮かべていた。
そして、そのまま俺に背を向けて、その場から立ち去っていく。
俺はチハルを膝元に乗せたまま、立ち上がる事も出来ず、大樹の下で口元を押さえて座り込んでいた。




