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閑話 アリスと魔王、そしてタクミ

 

 彼女と暮らした五年間は、実に奇妙で忘れられない日々となった。


 二歳ほどの彼女は、()の姿が見えないはずなのに、まるで本当に見えているかのように話しかけてきた。


「あーー、うーー」


 言葉は覚えておらず、何を言っているのかわからないが余に挨拶をしているのだと思った。


『こんにちは』


 魔族の言葉を彼女に向けてかけると、聞こえないはずなのに、にぱーー、と余に笑いかけてくる。

 その笑顔はヌルハチと共にいた時のことを思い出し、少し感情が揺らいだ。


『名前はなんというのだ?』


 その問いかけには、彼女は反応しなかった。

 きょとん、と首を(かし)げている。

 言葉も喋れない子に名前を聞くのはおかしな話か。

 一瞬、余が名付けようかと考えたが、すぐにやめた。

 人の名は人がつけるべきだ。

 今思えば、この時、すでに彼女の名前を付ける人物は決まっていたように感じる。

 五年後、アリスと名付けられるまで彼女は名前を持たなかった。



 それから彼女はこの大迷宮(ラビリンス)で、余と共に暮らすことになる。

 一年が経つ頃には簡単な言葉を喋れるようになっていた。ただし、それは人の言葉ではなく、魔族にしか通じない言語であった。


 どうして、彼女はここに来たのか。

 自らの意思なのか、何者かに捨てられたのか。

 それは分からなかったが、一つだけわかることがあった。

 それは、彼女は自らの意思で、ここから外に出ようとしないことだった。

 本能なのか、考えての事なのかはわからない。

 ただ、人の世界では生きられないことを彼女はわかっているように思えた。


 世界からはみ出たような異質な存在。

 どうして、余や彼女のようなものが生まれるのか。

 考えてもわからないので、すぐに考えるのをやめた。

 そして、余はただ一言、彼女に質問した。


『ずっとここにいるか?』

『いりゅ』


 たどたどしい魔族語で彼女はそう言った。



 さらに一年が経ち、彼女が来て二年目の事だった。


 魔王の大迷宮(ラビリンス)で魔物を仕留めていた彼女に異変が起きた。

 力の暴走。

 あまりに強くなっていく力が彼女の肉体に収まりきれない、そんな状態だった。

 触れるだけでダンジョンの壁は崩落し、歩くだけで床は砕け散る。


『静まれ』


 無駄だと思いながらも、彼女を鎖で拘束する。

 一瞬で引き千切られた鎖がバラバラと床に散らばる。


『ヴゥゥゥ』


 獣のように吠える彼女を止めなければ、このダンジョンは破壊されるだろう。


『……仕方あるまい』


 彼女が来てからずっと開けることのなかった部屋を開く。

 青い花に囲まれた部屋の中心に、余の本体が眠っていた。


 実に二千年ぶりに、本体に入ろうと思った時だった。


『あれ、なぁに?』


 力の暴走が止まっていた。

 彼女は余の本体、いや、正確には余の周りに咲いている花を見つめていた。


『花だ。種類はわからない』

『はにゃ』

『そう、花だ』


 彼女はその日から毎日、花を見る。

 ただあまり近づきはしなかった。

 自分が花を傷つけてしまわないよう、遠目からそっ、と見つめていた。


 花を見る彼女を見て、余の中に相反する二つの感情が生まれた。


 彼女をこのダンジョンから出さなくてはならないという感情と、ずっと共に暮らしていたいという感情。

 それは多分、ヌルハチに抱いた感情と同じものだったのかもしれない。

 自分と似ている異質な存在の彼女は、いつしか余にとって、とても大切なものとなっていた。


 その日から余は彼女に力の制御を覚えさせようとした。


 自分でも出来ないことを教えられるはずがない。

 愚かにも、そのことに気がついた時には、さらに三年が経過していた。


 彼女は、もはや余がその力を測れぬほどに強くなっていた。

 相変わらず力の手加減は出来ず、ダンジョンは何度も崩壊の危機に陥ったが、花を見せるとなぜか少し穏やかになり、決壊までは至らなかった。



『誰か来りゅよ』


 余がまだ探知出来ない距離からの侵入者を一瞬で見極める。


『誰が来ようと同じだ。あの扉は誰にも開けれない』



「馬鹿な、開かぬ、だとっ」


 その声を聞いた時、精神(アストラル)体にも関わらず、何か熱いものが胸の奥から込み上げてきた。

 ヌルハチの声だ。

 そして、扉の前から膨大な力を感じる。

 魔王である余に匹敵する力。

 ヌルハチはこの扉を開ける為、強大な力を手に入れたのか。


 だが、それはもはや意味のないことだった。

 この扉の主は、もうすでに余ではなくなっていたのだ。


「限界まで溜めた魔力で開かぬだとっ。まさかっ、まだ奴は強くなり続けているというのかっ!?」


 違う。余の力は精神体になって以降変わっていない。

 もはや、この扉は、彼女以外開けることは出来ないのだ。その莫大な力を超えるものなど世界には存在しない。


 どんっ、と最後に大きく扉が叩かれた後、ヌルハチは扉を開くことを諦めた。

 風船がしぼむように、ヌルハチの力が抜けていくのを感じる。


 これでいいと思った。

 ヌルハチの力の増大は一時的なものだ。

 まだ人の世界で生きていける。

 我らは、やはりここで二人で生きていく他ないのだ。


 時が止まったような沈黙が流れる。

 その沈黙を破ったのは、場違いでお気楽な声だった。


「開かないなら仕方ない。帰ってメシにしよう」


 扉にもたれているのだろう。

 男の気配を扉越しに感じる。

 微塵(みじん)も力を感じなかった。

 これまでに見てきたどの人間よりも、力がないと思われた。

 何故、ヌルハチはこんな男を連れてきたのか。

 そう、思った時だった。


 扉が簡単に開いた。


 まるで彼女が通る時のように、自動で扉が開き、体重をかけていた男が転げるように部屋に入ってくる。


「タクミっ」


 扉の外でヌルハチが男の名前を叫ぶ。

 扉の向こうにヌルハチとさらに三人、男女が並んでいる。


 ヌルハチが連れてきた男が、彼女の目の前で崩れるように座り込んで向き合っていた。

 身長のない彼女が男を見下げる形になっている。


 間近で見ても、男になんの力も感じない。

 何故、扉を開けることが出来たのか。

 扉に触れて解析する。


【エラー。力ノ測定ガ、デキマセン。機能ヲ停止シマス】


 馬鹿なっ。彼女の力さえ測定した扉がお手上げ状態だとっ。

 ヌルハチは一体、何を連れて来たのだっ!?


『なに、こいつ? 壊していいの?』


 彼女が魔族語でそう言う。

 周りの者達には獣が吠えているようにしか思えないだろう。


『いや、ちょっと待て、この男は……』


 止めようとする前だった。

 男は彼女の頭に向かって手を伸ばす。


『ば、バカっ! やめろっ!』


 反射的に彼女は、その手を払いのけ、攻撃すると思った。

 手加減の出来ない彼女の攻撃を喰らえばどうなるかは安易に想像できる。

 肉片のカケラすら残りはしないだろう。


『んっ』


 だが、そうはならなかった。

 男の手が彼女の頭に触れる。

 同時に放たれた彼女の拳はぺちん、と情けない音を立てて、男の肩に当たる。


 初めて人に触れられたからなのか、彼女は男に頭を撫でられながら、ぼーー、とした顔で固まっていた。


「よしよし、大丈夫か? なんでこんなとこに一人でいるんだ?」


 男が彼女の顔を覗き込む。


「言葉喋れないのかぁ、名前は? ないのかな?」


 人間の言葉がわからない彼女が首を傾げている。


 なんだ、あの男は一体、なんなのだ?


 ヌルハチのほうを見ると、余と同じ様に驚愕の表情を浮かべていた。

 それは男に対してではなく、彼女に対してだった。



 一瞬で理解する。

 ヌルハチは余の為に、あの男を連れてきたのだ。

 孤独な余を救おうと男を連れてきたヌルハチ。

 だが、それは余と同じ、いやそれ以上の力を持つ彼女のほうに与えられる。


 それはヌルハチにとってあまりにも想定外の出来事だっただろう。



「とりあえず、名前をつけようか。そうだな、君は……」


 ヌルハチがそれを止めようと部屋に入ろうとする。


『止めるな』


 だが、余はヌルハチの頭に直接話しかける。


『これで、これでよい』


 ヌルハチが泣きそうな顔で、その場に留まった。


「アリス、アリスって名前はどうだ?」


 嬉しそうにそう言う男に彼女は笑みを浮かべた。

 それはたぶん生まれて初めてのことだった。


「アリス」


 彼女が初めて口にした人間の言葉。

 それは自分の名前だった。



 余がずっと欲していたものを与えられたアリス。

 孤独な余を救おうとタクミを連れてきたヌルハチ。


 そして、余は一人、ここに取り残される。


 いや、それはアリスの為に余が望んだことだ。



 久しぶりに一人で花を見る。

 最後にこの花の意味をヌルハチに聞けば良かったと、少しだけ後悔した。



 そして、十年後。


 決して開かれない扉を無視して、あの女がここを訪れた。


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