閑話 愛
「え? これ、どうなってんの?」
第八部のラスボスを考えていたが、コンセプトが定まらず、設定だけ書き込んでいたプロトタイプの文字人間を無くしてしまった。
ことの始まりはそれだった。
第七部の終わりに主人公と文字人間が接触し、所在が判明して回収しようとしたが、タクミの書き込みによってナイスガイになってしまう。
あれ? これもうほっといてもよくない?
そう、思ってしまったのが間違いだった。
ラスボスのいない物語。
倒すべき目標がないまま、ずっと平和が続くだけのお話など、誰が興味を持つだろうか。
作家である僕の意思とは無関係に、物語が次のラスボスを用意し始めたのだ。
「……ずっとシリアスな展開が続いている」
まずい。最初のほうはタクミが文字の力で強くなっても、いつものおちゃらけた感じは抜けなかった。
むしろ、今までにない展開で、本当は戦いたくないのに巻き込まれていく最強主人公は目新しく、きっと読者たちも共感してくれていたはずだ。
しかも僕が物語を書くのではなく、物語のほうが先に展開して、執筆することなく原稿に文字が書き込まれていく。
こんな楽な仕事はない。
うまくいけば二、三年は何もせずに食べていけるんじゃなかろうか。
そんな甘っちょろいことを考えていた時期もありました。
だけどボルト山を消し飛ばした辺りから、どんどんと展開はおかしくなっていく。
「しゅ、主人公、キャラ変わってるよね?」
ヤバい。いくらなんでもこのままじゃヤバい。
もう十週くらい、ギャグとか入ってない。
アリスに見つかったら怒られると思って隠れてたけど、そんなことも言ってられないくらいヤバすぎる。
「ど、どうする? いきなり大きく介入したら物語が破綻する。でも放っておいたら、全部のキャラいなくなっちゃうぞ。あ、そうだ、アリスなら、アリスは今、どこにっ!?」
肉塊。
動かない肉塊として、名前も出ずに描写されとるっ!!
「う、うわぁああああ、これ、もしかしてもう詰んでないっ!? 物語終わってないっ!? だ、誰かタクミを元に戻せるキャラはっ…… い、いないよっ、もう主だったキャラ、ほとんど絶滅してるよっ! し、仕方ない、こうなったら、コッソリとタクミの文字を書き換えて……」
な、なぜだ? 文字を消すことも書き足すこともできない。作者である僕が改変できないなんて、どういうことだ?
「……ま、まさか、もう、僕の物語じゃなくなってる?」
主人公が、タクミが自らに文字を書き始めた頃から、物語は僕の手を離れているのか。
僕が介入できなければ、もう誰もタクミを止められない。
そう思っていたのに……
タクミの身体に書かれていた不可侵領域の「不」が再生リバースの頭に移動している。
ヌルハチが移動させたのか?
どうして、ヌルハチが?
僕ですらできなかったタクミの文字を変えることができるんだ?
あり得ない。ヌルハチにそんな設定は付与していない。
タクミだけじゃなくて、ヌルハチも僕の手を離れたのか?
い、一体何が起こっているんだ?
「戴天震王跋扈国喰……」
レイアとの戦いで見せた巨大な神を降ろす技をタクミが唱える。
だがタクミの身体に書かれた文字から、「巨」という部分が外れて、「小」という文字に変えられた。
「……小神?」
ぴち、と小さなお手手が上から降ってきて、ヌルハチの頬に当たるがダメージはない。
「ヌルハチィィィィッ」
怒っているのはタクミなのか、文字なのか。
まるで別個の生き物のように、文字群がタクミの身体中を這いずり回る。
「無理じゃよ。文字など使わず、そのまま向かってきたらどうじゃ?」
特別な魔力を発動させているわけでもない。
ヌルハチの中で、文字を操る力はまったく感じない。
それなのに、タクミの文字は次々と変えられ、全ての攻撃を無効化させていく。
「ヌルハチじゃない? 別の誰かが文字を変えている? アリスか? いや、反応はまったくない。生きてるかどうかすらわからない。だったら一体誰が……」
普通に考えたらあり得ない。
タクミの文字はタクミにしか触れることができない。
文字の改変は、作者である僕にすらできない。
ヌルハチは知っているのか? 自信満々で戦っているのは、誰が文字を改変しているのかわかっているからなのか?
目を凝らして、タクミの文字が変わる瞬間を見極める。
「舐めるなよ、ヌルハチっ、空間魔法 世界……」
再生の頭に鎮座していた「不」が再び動き出す。
誰だ? 誰がタクミの文字を動かしているっ!?
「……不停止っ ク、クソがぁああっ!!」
えっ? ええっ!? 文字が? 文字が文字を動かしているっ!?
前回のラストで文字群に呑み込まれた小さな文字。
たった1文字。
その文字がタクミの中で必死に、他の文字を改変している。
それはタクミが操る文字の中で唯一、別の意思を持って動いていた。
「そうか、ヌルハチは、この文字が見えていたんだな」
口に出すのも恥ずかしい、そのたった1文字が、文字の力に溺れ、仲間を傷つけ、作者さえどうすることもできなかった無敵の主人公を打ち倒した。




