二百六十五話 不の鎮座
「おはよう、ヌルハチ。いっぱい寝たから元気みたいだね」
植物になるのは悪いことだけじゃない。
ここ数日、俺が適当に放った魔力をかなり吸収している。
禁魔法のロッカですら、保てないほどの大魔力。
それらを溜め込んで維持できるのは、さすが大賢者といったところか。
「タクミはまだ寝ぼけておるのか? これは、いったいどういうつもりなんじゃ」
これ? 倒れているレイアや、魔力を使い果たしたロッカのことか? それともバラバラに飛び散った魔王少女のことだろうか?
「別に、ただやってきた蝿を叩き落としただけじゃないか」
ヌルハチが、地面に落ちている肉の塊を見て、目を閉じて首を横に振る。ああ、食べ物を粗末にしたことを怒っているのか?
「大丈夫だよ、ヌルハチ。もう食料なんて気にしなくていいんだ。いつでも好きなだけ、なんだって手にいれることができる」
右手で作った聖剣タク右カリバーを振り回す。
衝撃波で、遠くに見える山の山頂が、スコンと削れて形を変えた。
「ほら、俺、強くなったんだ」
『ねえ、ヌルハチ、これで俺、強くなれる?』
初めてヌルハチに買ってもらった大剣を、ヨタヨタになりながら振り回したことを思い出す。※
ヌルハチは、強くなった俺を褒めてくれるだろうか。
「……タクミは強かったよ。今よりもずっとじゃ。ヌルハチもアリスもタクミがいたから救われた」
アリス? 誰だかわからないが、あの頃の俺に救われる者などたかが知れている。
「前にも誰かが似たようなことを言っていた。みんな、弱かった俺が強くなったことに嫉妬してるのか? 今の俺なら全世界、全宇宙、全次元、その全てを救ってやれるぞ」
「今のタクミに救えるものなど存在せんわ」
俺に救えるもの……
頭の中に薄っすらと文字が浮かんだが、すぐに他の文字が覆い被さり、読むことができない。
大切な文字だったのか?
いや、この力以上に大切なものなどあるはずがない。
「本当の強さを無くしてしまったんじゃよ、タクミは」
なんだ? 魔力を一点に集中させている。
極限まで凝縮した魔力がヌルハチの頭上、天高くに蓄積していた。
「お前も叩き落としていいんだな? ヌルハチ」
「波動球・天」
ヌルハチが手を振ると、天空から魔力が一個の点となり超高速で降り注ぐ。
天から落ちてくる点。
小さいが巨大な魔力の塊だ。
もしかして天と点をかけているのか? くだらない。たとえ、どんな魔力でも俺の前では……
「不可侵領域」
この世界のありとあらゆるものを完全拒絶する次元の壁で防御する。どんな高密度の魔法でも、この領域を犯すことは許されない。……はずなのに。
ちゅんっ、と簡単に、ヌルハチの魔法が不可侵領域を突破した。
「かはっ」
さらに心臓のど真ん中を貫いて、致命傷に近いダメージを与えてくる。
「バ、バカなっ、不可侵領域がっ、通用しな……っ!?」
「不」…………… 「 」
見覚えのある文字が、さっ、と頭の片隅をよぎって消える。
「リ、再生っ!!」
潰れた心臓を治そうとした再生が作動しない。
「不は? 俺の不はどこにいったっ!?」
「そこにあるじゃろ」
「!? ヌルっ」
こんなに接近されるまで、気づかなかったのかっ!?
顔と顔がくっつきそうになるくらいまで、ヌルハチが眼前に迫っている。
「波動球・地」
「可侵領域っ!!」
再び唱えたはずの完全防御の壁は、「不」がなくなり、その形を成していなかった。ヌルハチが至近距離で、直接、魔法の球を俺の身体にぶち込んでくる。
どんっ、と腹部に衝撃が走り、身体中の血が逆流するように噴出する。大地から吸い上げた魔力をそのままぶつけてきた? 地からの魔力が血を巻き起こす。今度は地と血をかけているのか。
再生は、唱えられない。
なくなったはずの「不」が、そこに当たり前のように鎮座していた。
「……不再生、だと」
俺の身体に書かれていた不可侵領域の「不」が再生の頭に移動している。
「なぜ、俺の文字を操れる?」
「ずっと見ていたからの。『彼女』の、魔王少女の、アリスの、カルナの、ロッカの、レイアの戦いを」
そんな馬鹿なことがあるか。
見ていただけで、この文字を動かせるはずがない。
文字の力は俺が考えただけで自動で書き込まれる。
そこに他者が関われるはずもなく、ヌルハチは俺に触れてもいない。
「……まさか、俺と同じ力を手に入れたのか、ヌルハチ」
ヌルハチは答えない。
大丈夫だ。俺と同じはずがない。同じだったら波動球なんて陳腐な技を使わずに、禁魔法クラスの必殺技をいくらでも作り出せるはずだ。
「神聖なる俺の文字に触れたこと後悔させてやる、ヌルハチ」
「文字はただの文字なんじゃ。終わらせるぞ、タクミ。ヌルハチが全部、元通りにしてやる」
大賢者の言葉を拒否するように、大量の文字が、わらわらと一斉に動き出す。
さっき、薄っすらと浮かんだ文字は、その文字群に呑み込まれ、それが大切かどうかわからぬまま、二度と表層に出ることはなかった。
※ タクミの初々しいエピソードは、第一部 一章 「閑話 アリスと大賢者」に載っています。ぜひご覧になってみてください。




