二百三十五話 タクみん御乱心
真っ暗だった。
何も見えない、何も聞こえない。
世界の終わりのような暗闇の中で、ただただ拳を振るっていた。
なにか大切なことを忘れている気がしたが、それが何かは思い出せない。
もうすぐ自分も、この闇の中へ混ざり消えていく。
漠然とそれだけが理解できた。
「……っ!!」
誰かが何かを叫んだ気がした。
本当にそうなのかわからないが、呼ばれたような気がして拳を止める。
ゆっくりと、気配がする方へ首を動かした。
やはり、見えないし、聞こえない。
果てしない虚無が、どこまでも広がっている。
それなのに、どうしてだろうか。
胸の奥底に、暖かいものが、ぽっ、と生まれる。
なんだ、これは?
わからない。もう何もかも忘れてしまった。
最後に残ったのは、ただ目の前の敵を殴ることだけ……
「ロッカ」
今度はハッキリと、聞こえないはずの声が耳に届く。
闇の世界を打ち破るように。
「行かないでくれ」
それは、まるで。肺の奥から。心の奥から。
絞り出されたような言葉だった。
真っ黒な世界にほんの小さな光が灯る。
目を見開いて、そこに立つ者を凝視した。
胸の中の暖かいものが広がっていく。
「……行かないで、ござるよ」
完全になくなったはずだった。
肉体も、魔力も、大切な記憶も、一つ残らず消えていた。
「拙者は、ずっとずっとっ、タクみんと一緒でござるよっ!!」
すべてが、逆流するように戻ってくる。
強靭な肉体、溢れる魔力、これまでとは比較にならない熱き想い。
果てしない虚無が、ごめんなさい、と言わんばかりに、パリンと割れて砕け散る。
「うおおおっ! 拙者っ、完全復活でござるっ!!」
どうして、これほどまでの想いを今まで忘れていたのか。
頭の中が小さなタクみんでいっぱいになり、わーわー騒いでいる。
「タクみんっ!!」
「え? うそ? 戻ったのっ!?」
「タクみんの愛、しかと受け止めたでござるよっ!!」
「い、いや、愛とかじゃないよ、うん、たぶん」
いまさら、そんな戯言は通じないでござる。
拙者とタクみんは、もう相思相愛でござるよっ!
「タ、ク、みーーーーんっ!!」
「うわぁあああああああああっ、こわい、こわい、こわいっ」
照れなくてもいいのに、でござるよ。
「ど、どうして!? サシャからの魔力は尽きたはずなのに。どこから、そんな膨大な魔力を確保してるの!?」
元サシャの偽物さんが動揺してるでござる。
「原理は知らんでござるよ、タクみんの愛の力が無限に送られてきているでござるよ」
「え、ええっ! それ魔力じゃなくて愛なのっ!?」
ふふん、羨ましいでござろう。
拙者、元偽サシャさんもタクみんに好意を抱いていることは、ご存知でござるよ。
「……この世界の魔力じゃない」
「あ、レイア様、忘れてたでござる」
さっきまで、下敷きにしていたレイア様が、魔刀カルナを杖代わりにして、立ち上がっていた。
「根本的な魔力の質がこの世界のものとはちがう。別の、もっと高次元にある世界からの魔力としか思えない」
何を言ってるのか、さっぱりでござる。
「……まさか、永遠の場所から? タクミさん、あなたがロッカのために、あの場所とこの世界を繋げたのですか?」
「よくわかったでござるなっ! その通りでござるよっ!」
『いや、あんたがいうんかいっ!!』
当たり前でござる。拙者たちは夫婦みたいなものでござるから。
「ま、まあ、なにわともあれロッカが無事に戻ってよかったよ。さあ、もう喧嘩はやめて、みんなで帰ってご飯でも食べよう」
「そのあとは拙者との結婚式でござるなっ」
「うん、しない。結婚しない」
みんなの前だから照れてるでござるな。
ふふふ、まあいいでござるよ。あせらないでござる。拙者、知ってるでござるよ。
タクみんが、「行かないで」と言ったのは拙者だけだということをっ!
「タクミさん、私は……」
「いいよ、レイア。何も言わなくていい。よかったら、また昔みたいに、一緒にいてくれないか?」
えっ!? えええぇええっ!!
『タッくん、うちは……』
「ああ、カルナもこっちにおいで」
『タッくんっ!!』
こ、これは何事でござるかっ!?
タ、タクみんが、拙者のタクみんが御乱心でござるよっ!!
ぽんっ、と後ろから元偽サシャさんに肩を叩かれる。
何も言わなくても、いつものことよ、という言葉が伝わってきた。
「どうした、ロッカ? 険しい顔して? お腹でも空いたのか?」
誰かが笑ったような気がして、遠い遠い何処かへ振り向いた。




