三百三十話 ただの魔法
洞窟にレイアが来てから数日が経った。
結局、黒龍の娘は現れず、平和な日々が続いている。
「未来予知は、ただの妄想だったのか」
黒龍の娘のあと、冒険者時代のパーティーメンバー、大賢者ヌルハチがやってくる予感がしていたのだが、それも杞憂に終わった。
「タクミさん、ただいまです。お使い行ってきました」
背後から声が聞こえて、びくっ、となる。
また、未来予知の映像が頭に浮かんできた。
モウ乳を買いに行かせたはずなのに、何故かモウ本体を背負っているレイア。
さらに余ったお金で買ってきてくれと言った剣と盾が、禍々(まがまが)しいオーラが流れる魔剣と幼女になっている映像だ。
恐る恐る振り向くと……
「どうしたんですか? タクミさん」
「い、いや、なんでもないんだ」
普通に牛乳瓶と、鉄製の剣と盾を買ってきたレイアが、微笑んでいる。
ど、どうしてだ?
それでいいはずなのに、なぜだかがっかりしてしまう。
どうかしちゃったんだろうか、俺。
『そんなことはないでござるよ』
「ん? レイア、いまなにか聞こえなかった?」
「……いえ、何も聞こえませんよ」
ほんとに?
俺と同じように、声が聞こえてきた方向を見ているみたいだけど?
『タクみんっ、拙者の声が聞こえるでござるかっ!?』
「ほ、ほらっ、今度ははっきりと聞こえっ」
「カット」
「……あ、あれ? 俺、何をしてたんだっけ?」
前後の記憶がすっぽりと抜け落ちている。
まだボケるほど歳はとっていないはずだが……
「さあ、タクミさん。早く買ってきたモウ乳を使ってをあらごしヴィシソワーズ作りましょう」
「あ、ああ、そうだった。スープの下準備をしていたんだっけ?ん? ちょっとまてよ、どうしてレイアがあらごしヴィシソワーズを知ってるんだ?」
「……私の故郷にも似たような料理がありまして……」
「このスープは俺のオリジナルで、まだ誰にも話したことがないぞ」
微笑みを残したまま、レイアの動きがピタリと止まる。
「やっぱりおかしいよな? ここに来たときからか? いったい、何をしているんだ?」
「カッ…… んぐ、むぅ」
レイアが何かつぶやこうとしたが、見えない何かに口を塞がれる。
『さわれたっ! さわれたでござるよっ、タクみんっ!! 拙者っ、この世界に干渉できたでござるっ!!』
はじめて聞くはずなのに懐かしい声。
誰だ? 知ってる人なのか? 声がするだけで姿は見えない。
『タクみんっ、拙者のことを思い出してほしいでござるっ! そうすればやり直しの魔法が解けてっ……!!』
思い出す? やり直し? なにそれ?
いっぺんに言わないでくれ、なにがなんだかわからないよ!
「ガリっ!」
『いったあああああっ!!』
見えない何かに噛みついたのかっ!?
この騒々しい声、やっぱりどこかで聞いたことがあるっ!!
「大切断」
カット?
なんだ? 頭の中が真っ白い霧のようなものに包まれて。
思い出せそうだったものが、雪のように白く染まり、かすれて消えていく。
ダメだっ、この記憶は絶対に忘れちゃいけない大事なものだっ。
『タクみんっ!!!』
「っ!? ……ロッカっ!!!」
そうだっ! ロッカだっ! 新しくやってきた弟子の弟子の弟子だっ! でも思い出すと同時にその記憶が消えていく。忘れたくない。忘れていく。思い出す。消えていく。
「さすがタクミさん。大切断に、ここまで抵抗できるとは……」
「やめろっ、レイアっ! 大事なものを無かったことにするなっ!」
「……私にとって大事なものは、タクミさんだけですよ」
それは間違っているっ!
叫んだはずの言葉はカットされ、記憶は白く埋もれていく。
この出来事が無かったことになるように、周りの景色までもが真っ白な空間となり、シーンそのものが完全になくなって……
「どおりぁああああああっ!!」
地響きにも似た雄叫びと共に、白い背景にヒビが入り、それが、ビシビシと稲妻状に広がっていく。
「バカな、大切断がっ!!」
パンっ、とガラスが砕け散るような大きな音を立て、白い背景が粉々に砕け散った。
蘇る記憶と共に、キュルンっ、と周りの景色が加速していく。
空中に無限に続く時計が浮かんでいた。
ああ、思い出した。
西方ウエストランド、マジックキングダムの地下室で見たのと同じ光景だ。
ただ、今度の時計は左回りではなく、ちゃんと正しく右回りに、クルクルと高速に回転している。
砕けた白い背景が、無数の花びらのように、はらはらと降り注ぐ。
その中心で巨大なバスターソードを背負った少女が、仁王立ちで腕を組んでいる。
「帰ってきたでござるっ!」
ああ、やっぱり。全然違うのに、やっぱりアリスとかぶってしまう。
「ただいまでごさるよ、タクみん」
「おかえり、ロッカ」
レイアと二人でいたボルト山の洞窟がいつのまにか消えていた。
瓦礫に埋もれた六芒星の書かれた地下室。
やり直しが起こる前の世界に戻ってきたのか。
「……ただの魔法が意志を持ち、私の想いを邪魔するなっ!」
「何を言ってるでござるか?」
ロッカの背後に六枚の花びらが、ばっ、と翼のように広がる。
それは花でも羽でもなく、溢れ出した魔法そのものだった。
「タクみんは、拙者のものでござるよっ!」
いや、誰のものでもないけどね。 そう言おうとする前に。
弟子の弟子と、弟子の弟子の弟子の、低レベルな痴話喧嘩が始まった。




