二百二十九話 予知と喪失
「貴方様が剣聖アリス様のお師匠様、大剣聖タクミ様でございますね」
「は? いや、人違いじゃないか?」
「いいえ、人違いじゃありません、タクミさん」
ん? タクミ様から、いきなりタクミさんになったぞ。
しかも、なぜか、そう呼ばれるのがやけにしっくりくる。
「昔、どこかで会っていたかな?」
「……いいえ、初めましてですよ、タクミさん」
そ、そうだよな。
こんな特徴的な少女、一度見たら忘れないよな。
うん、とりあえず誤解を解いておこう。
「何を勘違いしているのかわからないが、俺は大剣聖なんて大それたもんじゃない。とっくに引退して、山に一人で暮らしているただの……」
「どうしたのですか? タクミさん」
「い、いや、まったく同じセリフを前に言ったような気がして」
な、なんだ、この既視感は。
「さすがタクミさん、すでに未来で起きる出来事を予知されておられるのですね」
「うむ、よくわかったな、その通りだ、はっ!?」
はじめて口にする言葉のはずなのに、まるで息を吐くように、するりとセリフが流れ出る。
それを聞いた少女は、実に嬉しそうに満面の笑みを浮かべた。
「う、うん、まあ、だいたいの事情はわかった。わかったんだけど……」
この少女がアリスの一番弟子のレイアということ。
いつのまにかアリスが人類最強になっており、その師匠の俺が宇宙最強と噂され、冒険者ランキングの1位になってしまったこと。
人にものを教えるのが苦手なアリスに変わり、俺に弟子入りしにやってきたこと。
どれもとんでもない勘違いで。
あまりにも荒唐無稽なお話なのに。
なんでだろう? あまり動揺していない。
むしろ、こうなることをあらかじめ覚悟していたような、不思議な感覚に包まれている。
「あ、あーー、レイアさん」
「はい、タクミさん」
「もしかして、弟子になるのを断ったら自害するつもりじゃないよね?」
レイアがふふっ、と笑って嬉しそうに答える。
「よくわかりましたね、その通りですよ」
この場面は、これまでと違い、はじめての出来事だと思った。
「いまから晩御飯の仕込みをするから、レイアさんは休んでおいて。長旅の疲れもあるだろう」
「レイア、私のことは呼び捨てで、そう呼んでください、タクミさん」
有無を言わせないほどの迫力を感じる。
お、大人しく従っておこう。
「レ、レイア」
「はい、タクミさん」
な、なんだ、この熟年の夫婦のような落ち着いた響きは。
もう何年もお互いにそう呼び合っていたように錯覚してしまう。
「こ、今晩はラビの鍋にしようと思うが、苦手なものはないか?」
「はい、好き嫌いはありません」
いくつかわかったことがある。
レイアと出会ってから、この先に起こることが、なんとなく予測できるようになっているのだ。
もしかして、俺、本当に予知能力に目覚めたのかっ!?
「あ、あのさ、なんかこれから黒龍の娘が俺を倒しにやってきそうな予感がするんだけど……」
いままでずっと笑顔だったレイアがすっ、と真顔になる。
あ、あれ? これ言っちゃいけなかった?
「……来ませんよ」
「え?」
「黒龍の娘も、昔懐かしい大賢者も、魔剣のフリをしたお邪魔虫も、いきおくれの王女も、ここには来ません」
んんん? 黒龍の娘だけじゃなく、なんかいっぱい増えてるんだけど。
「……もちろん、……ス様だって……近づけません」
「え? なんだって?」
最後の声は小さくつぶやいてほとんど聞き取れない。
「ちょっとお花を摘んでまいりますね」
「花なんて別に…… あ、ああ、いや、うん、行ってらっしゃい」
慌てて訂正してレイアを見送る。
女の子のお花摘みは、お手洗いのことだと冒険者時代にサシャが言っていた。
「うーん、やっぱり女の子の弟子なんて気をつかうなぁ、早く勘違いに気づいて帰ってくれないかなぁ」
そうは言ってみたが、レイアはずっと帰らずにここにいると確信している。怖いぞ、未来予知。
本当に黒龍の娘、こないのかな?
「ガアァアあああァアァアっアアァアっっ!!」
「ほらぁっ! やっぱりきてるよぉっ!」
突然、洞窟の前から龍の咆哮とおぼしき、怒声が響き渡る。
「あわわわわっ! ど、どうしようっ! そ、そうだっ、せめて晩御飯をっ、最後の晩餐をっ!!」
ひ弱な俺にできることは、それぐらいしかない。
あわてて、ラビ鍋を煮込もうとするが……
「どうかしたんですか? タクミさん。まだ晩御飯には早いと思いますが」
「へ?? 黒龍は? だ、大丈夫だったのか? レイア」
「黒龍? そんなの来ていませんよ」
「えっ? ええっ!?」
確認しに外に出たが、確かに黒龍なんて影も形もない。
いつもの穏やかな山の風景に胸を撫で下ろす。
「おかしいなぁ、もの凄い咆哮が聞こえたんだけど」
「気のせいですよ、タクミさん。さ、晩御飯を作りましょう。仕込みを手伝いますね、私、芋剥きが得意なんです」
「あ、ああ、そうか、それじゃあお願いしようかな」
洞窟に戻る前に、気になってもう一度振り向くが、やはり黒龍は見当たらない。
「……なのになんでだろう」
レイアと黒龍の娘と3人でラビ鍋を囲んで一緒に食べたかった。そんな気がするのはなぜだろう。
大切なものを失ったような。でもそれがなんなのかわからない。
やがて、その想いは最初からなかったように頭の中から消えていった。




