閑話 ヌルハチと魔王、そしてアリス
約10000年前。
まだ地上に人類が存在しない頃。
混沌より、余は生まれた。
何故、余のような者が生まれたのか。
考えても答えは見つからないので、すぐに考えるのをやめた。
約5000年前。
5000年もの間、余はただただ強くなり続けた。
自らの意思ではなかった。息をするのと同じ様に、力が勝手に膨らんでいく。
その頃から後に人類と呼ばれる猿が誕生し、エルフやドワーフ、ドラゴン、ゴブリンなど様々な種族が地上に生まれ、余に近づいてきた。
だが、余は手加減をしたくとも出来ず、近づくもの、すべてを壊してしまう。
その力はやがて神々と呼ばれる者達との戦いにまで発展した。
そんな戦いも力も望んではいなかった。
戦いの後、余は自ら、その身体をダンジョンに封印し、精神体となった。もう誰も傷つけない為に。
約3000年前。
身体を封印してから2000年の間に地上では人類が最も繁栄し、街や国が作られていった。
余は、精神体のまま、人間の中に入り、力を抑え共存を試みた。
だが、余の力に長期間、耐えれる程の器をもつ人間は存在せず、余は何度も滞在する人間を入れ替える。
何故か、その間に魔族と呼ばれる部下ができ、その頃から余は魔王と呼ばれるようになった。
勇者と呼ばれる一族も現れ、何度も勝負を挑んできたがまったく相手にならなかった。
そして、そんな時、絶大なる魔力を持つエルフの幼女チルトと出会う。
後の大賢者ヌルハチであった。
約2000年前。
それから長きに渡り、ヌルハチの器に入っていた。
彼女の魔力は膨大で、余を包み込んでくれた。
ヌルハチの中でなら、余は人々と共存出来るかもしれない。そんなことを少しだけ考えた。
だが、限界はゆっくりと近づいていたのだ。
余の力はヌルハチの中にあっても、どんどんと強くなり、やがてヌルハチの魔力ですら、それを許容できなくなっていった。
余の力の影響で、ヌルハチの身体は変化していく。
ヌルハチの姿は余の本体と酷似していき、溢れる力は異常な再生能力を与え、ヌルハチを不老不死にしてしまった。
これ以上の同化はヌルハチを崩壊させ、すべてが壊れてしまう。
余はヌルハチから離れ、本体のあるダンジョンに精神体のまま引き篭もることにした。
二度と人の器に入らぬと誓って。
「もう、二度と出てこないつもり?」
「ああ、部下達にもここに来ることを禁じた。扉にも封印をかける」
氷漬けにした本体の前でヌルハチと別れを告げる。
「そう、寂しくなる」
そう言ってヌルハチは余の本体の前でしゃがんで何かしている。
「なにをしているのだ?」
「花のタネを蒔いている。貴方から漏れ出る力で土や水、光がなくとも、きっと咲く」
「そんなもの……」
いらないとは言えなかった。
今までに感じたことのない感情が、余の中に生まれていた。
「私と…… いや、ヌルハチとそっくりだな」
余の本体を見てヌルハチが笑う。
この時からヌルハチは、余の本体と区別するために、自分のことをヌルハチと呼ぶようになった。
「いつか、貴方より強くなって迎えに来てあげる」
それが叶わないことを知っていた。
くだらないことを。
そう思っているはずなのに、何故か胸が締め付けられ、瞳から変な液体が流れていく。
8000年間で初めての事だった。
その感情の正体を知ったのは、ヌルハチがいなくなってから、随分と経ち、種が芽吹いた頃だった。
15年前。
2000年もの間、扉は開かれる事はなかった。
何度かヌルハチが来て、外から話かけてきたが、答えることはしなかった。
余に関わらず、生きて欲しい。そう願っていた。
ただ、ヌルハチが残していった花は、見事に咲き、部屋を青く染め、孤独な心を少し落ち着かせてくれた。
花などに全く興味のないヌルハチが何故、こんな事をしたのだろうか。この花にはどんな想いが込められているのか。
魔王が花のことを考えるなど、あまりにも似合わないので、すぐに考えるのをやめた。
扉の封印は実にシンプルなものだった。
扉は余の力と連動し、それを上回る者でないと開かないようにした。
勇者や英雄、ドラゴンや神が扉を開けようと挑んだが、扉はビクともしなかった。
二度と開かれない扉を眺めつつ、これでいい、そう思っていた。
どんっ、という大きな音と共に、扉の外に何かが落ちてきた。
誰かが死体を捨てたのか、飛び降りて自殺したのか。
魔王の大迷宮を訪れた者は、人であれ、魔族であれ、神であれ、誰一人帰ることはない。
そんな噂が立っているとヌルハチが言っていた。
別に余は何もしていない。
傷つき、助かることのない冒険者達が、最後の地をここに選んでいるのだろう。
いい迷惑だったが、止めることも出来ず放置していた。
だが、その日、落ちてきたものは、そんな冒険者達とは違っていた。
「ふぇ」
幼い子供の声が扉の前から聞こえてきた。
耳を疑った。
あの高さから落ちてきて、生きているのか?
そして、さらに驚愕すべき事がある。
2000年間、開かれなかった扉がミシミシと音を立てて、自動で開かれていくのだ。
その隙間から、圧倒的な力が流れてくる。
そこに二歳くらいの小さな女の子が立っていた。
扉がすべて開かれる。
圧倒的な力の前に、余の力と連動している扉が、もう降参です、と言っているようだった。
ただの人間の子供。
それが何故、余を上回る力を持っているのか。
あまりの驚きに口をポカンと開けたまま、子供を見つめる。
「あー」
ヨタヨタとその子は部屋に入ってくる。
それと同時に扉が自動で閉まる。
まるで、この部屋の主人が余から子供へと移ったようだった。
精神体の余の姿は見えないはずなのに、子供は余に向かって真っ直ぐに歩いて来た。
この日から、後にアリスと名付けられる子供との奇妙な同居生活が始まった。




