二百八話 ママ
『そう、そういうことだったのね』
止まった時間が再び動き出す瞬間に、失われた時間を垣間見る。
幽体になったことで、匠弥の記憶を共有することができた。
宇宙最強の力を放棄した匠弥。
バグとして生まれたアリス。
匠弥を守ったキャラメル。
暴走した力は、ゲートを消失させ、時間軸をバラバラにした。
匠弥を庇ったキャラメルは、その影響を1番に受け、まだ人間が生まれる前の異世界創世記まで飛ばされた。
そこからはまるで時が止まったみたいに。
記憶を失い、ぼーー、としたまま、誰にも見つからずに数千年が経過した。
『……いくら探しても見つからないはずね』
ボルト山の犬神、伽羅として安住するまで、キャラメルは自分がそこにいることさえ、自覚していなかっただろう。
それでも、無意識のうちにゴブリン王みたいな弱者を助けていたのは、小さな赤ん坊の匠弥と被せていたのかもしれない。
匠弥が冒険者を辞めて山で再会した時も、お互いの記憶は蘇らなかったのに、キャラメルは、ちゃんとお兄ちゃんとして匠弥の命を救っていた。
キャラメルに守られた匠弥は、ゲートが消滅する前に、通常通りの転送を終えていた。
宇宙最強の力を手放した瞬間に、普通の赤ん坊に戻り、予定していた宿屋の親父の子として、スクスクと成長していく。
愛せる自信がないとは言ったものの、私が育てるはずだった私の子供は、別の誰かのものになったようで。
擦り切れた感情が、胸の奥から、喉を掻きむしるように、私の心を蝕んだ。
そして、そんな中、一人、ゲートの残骸に取り残されたアリスは……
『……十年。ゆっくりと宇宙最強を喰らいながら生き延びたのね』
すべてを喰らい尽くし。
人の形を成した後。
魔王の大迷宮へ、転落するように飛び込んだ。
『匠弥がそこに辿り着いたのは偶然じゃない。アナタに引き寄せられたのよ』
アリスは私の方を見ない。
壊れた銀円に照らされながら、四神柱の朱雀に、私の首を差し出した。
「生き返らせて。全部の決着をつける」
匠弥とキャラメル。
二人を見守るために、作ろうとした私のコピー。
どこで失敗したかはわからない。
たぶん、最初から。
いや、作る前から失敗していたのだ。
『……始まる前からすでに、ね。どこで間違えたのかしら』
ボッ、と私の首が炎に包まれる。
暖かい。ぬるま湯のお風呂につかったように。
優しい暖かさに、ほっ、とする。
スーさん、こんな私のそばに、ずっといてくれてありがとう。
炎の中で、私の首から下が再生されていく。
頭を掴んでいたアリスの手が、そっ、と離れた。
「結果はわかっていても頑張らないと。私、ラスボスみたいだから」
ふ、とアリスの口元が、私にだけわかる程度に小さく笑みを作る。
「参る」
これまでと同じように。
正面から堂々と、そのまま真っ直ぐ一直線に。
どんっ、とアリスが加速する。
「始めましょう」
出し惜しみはしない。
最初から全力で行く。
頭から突進するアリスに向かって、同じように突進する。
顔と顔が、僅か数ミリでぶつかる寸前で。
鏡合わせのように、お互いが拳を振りかぶった。
あまりにも速度が違う。
よけることも、うけることも、ながすことも、致命傷をさけることも、不可能だ。
百億回やり直しても、結果は同じ。
ただただ完璧な一撃が、私の顔面を正面から破壊する。
「不採用」
上書きでは間に合わない。
私が持つ最大最強の能力。
物語を描き直すのではなく、そのページごと破り捨てる。
頭から突進したアリスは私を完全に見失った。
戦っていた事実は消え、そこにアリスだけが残る。
前後の辻褄が合わず、なぜ、自分が突進していたかさえ、アリスには理解できないだろう。
距離は十分に取った。
能力の再始動まで時間を稼いで、体勢を整え……
「参る」
ぞっ、と背筋が凍りつく。
たった一呼吸で、アリスがゼロ距離まで迫っていた。
なんで? どうして?
戦いが始まったことすら、覚えてないはずよっ!!
「タ、タクミカリバーっ!!」
連続して、同じ能力は使えない。
最強の武器を異空間から召喚して。
召喚して、召喚して、召喚して、召喚して、召喚して、召喚する。
七本の、それぞれ別のループから作り出された最強の聖剣が、アリスを囲むように宙に浮かぶ。
「ちがうよ、それは全部偽物だ」
「ちがうっ! すべてが最強に至った本物だっ!!」
炎、雷、氷、風、闇、光、毒。
それぞれ効果の違う究極の力が剣に宿り、一斉にアリスに向かって飛んでいく。
そのすべてが、完全に同時に、ぱんっ、と粉々に砕け散った。
アリスがなにをしたかもわからない。
私が、目で追うことすら、かなわないのかっ!?
ぱらぱらと舞い落ちる砕けた剣の破片を避けようともせず、アリスは正拳突きの構えで、右の拳をぐっ、と腰の横に引いた。
「死なないでね」
「……無茶いうわね。いったい誰に似たのかしら」
どんっ、と下腹部に衝撃が走り、宇宙最強の力をまともに喰らう。
腹に穴が開いても、背中から力は抜け出さない。
私を喰らい尽くすように、そこに留まり。
ぎゅるんっ、と身体が回転しながら、穴に向かって、ねじれながら収縮していく。
「上書きっ、超再生っ、世界逆行っ!!」
書き換えても、回復しても、巻き戻しても、追いつかない。
ぽっかり開いた腹の穴から、宇宙空間のようなどこまでも続く星空が見えた。
このまま宇宙に飲み込まれ、宇宙最強の一部となるのか。
こんなエンディングも悪くない。
私がいない世界は、きっと穏やかで、暖かい世界になるはずだ。
「さよなら、ママ」
ちがう、あなたは私が作ったんじゃない。
廃棄されるはずの失敗作を匠弥が助けただけだ。
なのに、頬から涙がこぼれる。
私は誰からもそう呼ばれことがなかった。
そうか、私はただ、ママと呼ばれたかっただけだったのか。
螺旋状にねじれた身体が、穴に向かって吸い込まれていく。
『ちがうよ』
ピタリ、と止まった。
『僕はずっと、そう呼んでたよ、ママ』
世界逆行でも戻すことができなかったのに。
その可愛い小さな手に触れられただけで、身体が再生していく。
「わふんっ」
ずっと求めていた大切な願いは、最初からずっと叶えられていた。