二百五話 最強
四神が降臨し、『彼女』の首を囲む。
玄武の黒。朱雀の赤。白虎の白。青龍の青。
それぞれの光の柱が、空を突き抜けて、どこまでも伸びていく。
空と宇宙の境界線。
高度100kmのカーマンラインを超えて、四神の光はそこに到達する。
「あれはっ!?」
四つの光の中央部。遥か彼方の境界線に、巨大な銀円が浮かんでいた。
太陽よりも大きく、月よりも光輝く、それはそこにあるのが当然のごとく存在している。
「な、なんだ、あれは? どうしていままで見えなかったんだ?」
「あれがこの世界のシステムだ。管理者以外は視認することができない。四神が揃うことで、初めてその扉が開かれる」
アザトースの闇が、『彼女』まで伸びていき、からみ、それを手繰り寄せる。
「『彼女』はずっと、あの場所で世界を管理していた。今は変わりの人間がそこにいる」
変わりの人間?
『彼女』の変わりをできる人間なんて存在するのか?
「この世界を作る時、すべてを管理し、コントロールする人間が必要だった。運営と言われる存在。本来ならば、大勢の管理者で行われる作業。それを『彼女』はたった一人でやっていたんだ」
とても大切なものに触れるように、アザトースは、そっ、と『彼女』の首を抱き締めた。
「……そのかわり、『彼女』は人間ではいられなくなった。人としての意識はなく、ただ世界を管理するシステムそのものになったんだ」
「アザトース、お前はこの世界ではなく、本当は『彼女』を……」
助けたかったんじゃないか?
いい終わる前に、アザトースは『彼女』の首を天に掲げる。
「戻すべきではなかった。このまま再び、『彼女』をシステムに還元する」
「アザ……っ!!」
止めようとしたのだろうか。
世界の滅亡と天秤にかけたら、止めるなんて有り得ない。
でも、俺は反射的に、アザトースに向かって手を伸ばそうとした。
……が、ぐっ、と後ろから肩を掴まれる。
いつからそこにいたのかわからない。
その男は、まるで最初から俺の側にいたように、すぐ隣に現れた。
誰だ?
どこかでみたことがある。
そうだ、タクミ村で呪いの剣を渡してきたおっさんだ。
い、いや、ちがう。
俺はもっと前、ずっと昔からこの男を知っている。
男は、俺の肩に手をおいたまま、首を横に振った。
「やめとけ、タクミ。誰にも止められない」
「……バッ!?」
一瞬、思い出しそうになった名前は、巨大な光にかき消された。
上空の銀円から、何千億という光の粒子が、ぐるぐると螺旋状に回転しながら、『彼女』の首を持ったアザトースに降り注ぐ。
「……いやだ。なんでかわからないけど、それはダメなんだっ」
世界の滅亡を止めるには、それしかないとわかっている。
なのに、俺は、いつのまにか、男の手を振りほどき、アザトースに向かって走り出していた。
「本能で感じたのか、匠弥。『彼女』が母であることを」
不思議と驚きはしなかった。
随分と前から、俺はそう思っていたのかもしれない。
「多邇具久っ!」
ヒキガエルの神を降ろして、玄武の背に飛びつき、ただ、首だけになった『彼女』に向かってがむしゃらに手を伸ばす。
だが、手に触れる寸前に、『彼女』の首は、ぐるんぐるん、と螺旋状の光の渦に飲み込まれていく。
間に合わない。男が言ったように、もう誰にも止められないのか? いや、一人だけ……っ!!
「アリスっ!!」
名前を呼んだ時には、すでにアリスは宙を飛んでいた。
多邇具久を使った跳躍を遥かに超え、高く高く。
「無駄だよ、アリス。ガフの扉は開かれた。何人たりとも、その光に触れることさえできな…… ふへぇ?」※
カッコつけていたアザトースが素っ頓狂な声を上げて、目を見開いた。
いとも簡単に、光を跳ねのけ、アリスはしゅぱっ、と空中で『彼女』の首をキャッチする。
「あ、ありえないっ! 『彼女』ですら超えられない不可侵の領域にっ! なぜ、ただの創造物がっ!!」
超えましたけど、何か?
みたいな顔で、『彼女』の首を持ったアリスが、たんっ、と着地した。
「……アリス。……お前は、ただのバグじゃなかったのか」
「難しいことはしらない。でもタクミのいうことは絶対」
アザトースの顔が激しく歪み、泣いたような笑ったような、なんとも言えない、微妙な表情を作り出す。
「……首を渡せ、アリス。ガフの扉はもうすぐ閉まる。すべてが終わってしまうぞ」
「いーやーだー!! これワタシがタクミのためにとったんだもんっ!!」
可愛いアリスに、なんだかちょっと、ほわほわ、してしまう。
「返してもらうしかないんだよ。……裏四神・四凶!」
四神の光の前に、闇が生まれ、そこからそれは出現する。
どんっ、どでんっ、どどどっ、どぐぉんっ、とそれぞれ異なる四つの衝撃音が地面を揺らす。
そこに生まれたのは、どれも見るに耐えない、凶悪で醜悪な獣だった。
向こうの世界にいた時、ゲームの中でみたことがある。
中国という国で、伝承される最凶の悪神、四凶。
目、鼻、耳、口の七孔がない六本足の犬、渾沌。
羊の身体に、人の顔、目がわきの下にある、饕餮。
針鼠の体毛を持つ翼の生えた虎、窮奇。
人の頭に虎の身体、猪の牙を持つ、檮杌。
暴挙の限りを尽くした四体の悪神が、『彼女』の首を取り戻そうとアリスに襲い掛かる。
「「「「ぼんっ」」」」、と四つの音が重なった。
あまりにも速すぎて、あまりにも美しすぎて。
アリスが放った四撃は、たった一発の正拳突きにしか見えなかった。
弾け飛び、砕け散り、爆裂し、霧散する。
最凶の悪神たちは、1ミリも動くことなく、登場したままの姿勢で、戦いの舞台から退場した。
「へ? 四凶、おしまい? いやいや、うそやろっ!? ありえへんっ!!」
唖然とした顔で俺のほうを見るアザトース。
空と宇宙の境界線。銀円から放たれた光が、最強のアリスに降り注いだ。
※ガフの部屋とは、ヘブライ人の伝説にある、神の館にある魂の住む部屋のこと。ガフ(guf)はヘブライ語で体を意味する。




