二百話 夢
白い柵のようなものに囲まれている。
はっきりとわからないのは、霧がかかっているように視界がボヤけているからだ。
ここはどこだろうか?
動こうとしたが、ほとんど動けないことに気がつく。
自分の身体を確認するが、どうやら拘束されているわけではなさそうだ。
まだ、ちゃんと動けないくらい、俺の体が小さいだけだ。
これは夢なのか? 赤ん坊の頃の?
「あー、だー」
無意識に声を出したようだが、まともに喋れない。
首もすわってないのか、辺りを見渡すこともできなかった。
「あら? 匠弥が起きたみたいよ」
「なに? さっき寝かしつけたばかりだぞ」
二人の男女が、上から俺の顔をのぞいてくる。
やはり、ボヤけてハッキリはわからないが、どちらも見たことがある顔だ。
一人は俺の若い時のような顔、そして、もう一人は……
「わふっ」
不意に今度は下のほうから、犬の鳴き声が聞こえてきた。
こちらはその姿を見ることもできない。
俺が寝ているベッドのまわりを、くるくると、せわしなく動いていることだけ、足音でわかる。
「仕方ないわね。また鼻歌を歌ってみて。すぐに寝てくれるわ」
「ま、またか。さっきフルコーラスで歌ったばかりなんだが…… なんで音楽をかけるだけじゃダメなんだ」
「さあ? 微妙にズレてるとこが好きなんじゃない? 私じゃダメだもの」
ふぅ、と若い俺みたいな男がため息をつく。
「おかしな二人だ。変なとこだけそっくりで」
「ふふ、そうね。でも可愛いわ。兄弟みたいで」
やがて、何度も聞いた懐かしいメロディーが聞こえてくる。
「たんたた♪ たんたた♪ たんたたたたた♫」
ああ、そうか、俺はこのメロディーを赤ん坊の頃から聞いていたのか。
そう思っていると、だんだんと意識が暗闇の中へ、ズブズブと沈んでいく。
(ま、まずいな。きっとこの夢には意味がある。なにか重要なものが隠されているはずだ。この二人が俺の両親なら、あの女性が……
あれ? 誰だっけ? 見たことがあるのに思い出せない)
「ほら、もう目が閉じてる。安心して眠りなさい匠弥」
暖かい手が、そっ、と優しく頬にふれる。
「……あなたの望む世界を私が作ってあげるわ」
(……この人はっ!!)
ばっ、と飛び起きるように目が覚めた。
慌てて辺りを確認するが、白い柵などどこにもない。
どう見ても、ここはテントの中だ。
そうだった。
ヌルハチたちと合流するため、サシャと山を登っていたが、道に迷ってるうちに暗くなってキャンプをしたんだ。
「び、びっくりした。い、いきなり起きたわね、タクミ」
サシャが顔を真っ赤にして驚いている。
やけに近いのは、寝ている俺を観察していたのだろうか。
「……なんかすごい大事な夢を見ていた気がするんだ。全然、思い出せないんだけど」
「そうなんだ。そういえば幸せそうな顔してたわね。いい夢だったんじゃないかしら」
いい夢?
確かに覚えてないのに、胸の奥がほんのりあたたかい。
「覚えておきたかったな。千里眼の水晶で夢の内容も覗けないかな?」
「過去回想と夢は違うんじゃない。たぶん無理だとおもう」
「そっか、残念だなぁ、あっ、俺、なにか寝言とか言ってなかった?」
「ずっと静かだったわよ。でも最後になんか変な鼻歌だけ聞こえてきたわ」
変な鼻歌?
普段、歌なんか歌わない俺が?
だいたい知ってる曲なんて……
「たんたた♪ たんたた♪ たんたたたたた?」
「そうそう、それそれ、それ歌ったあとに、タクミ、飛び起きたのよ。目覚めの歌なの?」
「いや、この歌は……」
ほんの一瞬、頭の中に夢で見た光景がカットインする。
俺を上から見下ろす男女。
しかし、それはあまりにもボヤけていて、どちらも誰だかわからない。
「……なんの歌なんだろうな」
正確なメロディーじゃない。
所々、音程が外れている。
でも、なぜか、そんなところが聞き心地がよく、いつまでも頭から離れなかった。
夜が明けた頃に、山登りを再開する。
集合場所まで、もう少しのはずなのに、なかなかそこに辿りつけない。
「これが例の道に迷わせる謎の人物?」
「いや、そんな感じじゃない。前は月明かりがあって、ずっと優しい空気に包まれていたんだ。今はどっちかというと……」
「……そうね、全身に針の山が迫ってるみたいな、ひりついた空気を感じる。つい最近、ルシア王国でずっと感じていた空気と同じものだわ」
……やっぱり、そうなのか。
ペット探しをしている間は、やってこないと油断していた。
「ルシア王国から逃げた私を追ってきたのかな」
「……わからない。ただ様子を見に来ただけならいいんだけど」
だんだんと気配が強くなっていく。
目的地の集合場所、緑が生い茂る山頂付近の丘が見えてきた。
「あら、遅かったわね、匠弥」
ついさっき、その声を聞いたような気がする。
「タクミっ、あれっ!」
「ヌルハチっ! リックっ!」
丘に立っているのは『彼女』一人。
その足元にヌルハチとリックが倒れていた。
「大丈夫、ちょっと遊んだだけだから」
「……アリスとゴブリン王は?」
「さあ? かくれんぼでもしてるのかしら。ずっと見つからないの。匠弥も一緒に探しましょう」
いつものように穏やかに微笑む『彼女』。
本当にただ様子を見に来ただけなのか。
ルシア王国から逃げ出したサシャを見ても、まったく気にもとめていない。
「……何を、しにきたんだ?」
「会いに来たのよ。昔の夢を見て、懐かしくなって。……あの子が見せてくれたのかしら」
なんだ? もう少しで何かを思い出しそうなのに、それを拒絶するように記憶の出口に大きな蓋が覆い被さる。
「大丈夫よ、安心して、匠弥」
ゆっくりと『彼女』が近づいてきて、耳元でささやく。
「……あなたの望む世界を私が作ってあげるわ」
暖かい手が、そっ、と優しく頬にふれた。