百九十九話 クロエの死
「タクミ殿とサシャ、行ってしもたな」
「……はい、行ってしまいました」
やっと帰ってきたタクミさんが、またすぐに出発してしまった。
一人ぼっちの留守番ではなくなったが、クロエがいたとて、寂しさはまぎれない。
「でも今回は特別な置き土産があります」
部屋の中央にどーーん、と置かれた巨大タク日記をチラ見する。
元のサイズに戻したら、サシャに持っていかれそうなのでそのままにしておいたのだ。
「か、勝手に見てもええんか? 後で怒られへん?」
「大丈夫ですよ。私はそばにタクミさんの日記があるだけで十分心が満たされています。中を見ようなんてこれっぽっちも、思っていません」
「そ、そうなんっ? うち、レイアは全部記憶するぐらい、隅から隅まで読み倒すと思ってたわ」
ふ、なかなか鋭いではないか、黒蜥蜴。
しかし、あからさまにそんなことをして、見つかったらタクミさんに嫌われるかもしれない。
そのようなリスクは負えないのだ。
(……神降ろし、風神)
「ん? レイア、いまなんかいうた?」
「いえ、気のせいじゃないですか? あっ、なぜか部屋の中なのに、突然の突風がっ! ああっ、見てはいけないタク日記が、勝手にパラパラとめくれているっ!!」
「あ、あんた、そんなあからさまに……」
これは事故だ。
たまたまの突風で、たまたま日記がめくれ、たまたま偶然、目に入ってしまった。誰の責任でもないし、誰も悪くない。
「ああっ、タクミさんのギルド試験に、はじめてのクエストっ、すごいっ、宇宙最強なのにっ、修行のため、身体能力を極限まで下げているのですねっ!」
「そ、そんなん、ほんまにできるん? タクミ殿かて生まれたときから最強ちゃうやろ? この頃はまだそないに強なかったんとちゃう?」
ふぅ、やっぱり、この黒蜥蜴、いや雑魚黒蜥蜴はわかってませんね。
「そんなことあるわけないじゃないですか。タクミさんは生まれたときどころか、生まれる前から最強ですよ。これだけ長く一緒に暮らしているのに、私は未だ、タクミさんの力の片鱗すら、掴めていない。次元そのものが違うんです」
「そ、そうなんかなぁ、この日記読んでたら、ほんまにタクミ殿、全力全開でダメダメな感じやで? ほらっ、ここでもめっちゃ足手まといって書いてあるっ!」
そんなことはない。
タクミさんが本気を出したら、他のパーティーメンバーの存在価値がなくなってしまう。
あえて、皆がレベルアップできるように、タクミさんが試練を与えているのが、なぜわからないのか。
「ほら、ここを見て下さい。最低レベルの駆け出し冒険者でも苦戦しないスライムから逃げ回ってます。これはパーティーメンバーたちが、常に緊張感をもって挑むように警告してるんですよ」
「い、いや、ほ、ほんまにタクミ殿、最強なん? 日記にはそんな演技してるなんて、まったく書かれてへんで」
「そこまで成りきってこその修行です。宇宙最強になり、敵がいなくとも更なる強さを求めておられる。私たちも見習わなければなりません」
クロエがなんとも微妙な表情で日記を覗きこんでいる。
どうやら、次の修行がどのようなものか、まだわかっていないようだ。
「重たい剣を振るだけではなく、次は極限まで身体能力を抑えましょう。ちょうど良いことに、猛毒を操る神を降ろせますので、かなり弱体化できるはずです」
「えっ!? ちょっとまってっ!! うちら猛毒に侵されるんっ!?」
「はい、そうですが、なにか?」
猛ダッシュで逃げようとするクロエの首根っこを、むんず、と掴む。
ドラゴンだった頃ならまだしも、人間になった状態で私から逃げられるとでも?
「あ、あかんてっ、レイアっ! 今、敵が攻め込んで来たらどうするんっ!? 猛毒状態になったらあかんてっ!!」
「大丈夫ですよ。どうせ、今の私たちでは『彼女』の敵にすらなりえません。瀕死になるまで修行して、そこから這い上がっていきましょう」
「ひ、ひぃいぃ、あ、あかん、目がイッとるっ!!」
ふふふ、どうやらいくら口頭で説明しても、頭の悪い黒蜥蜴には理解できないようですね。ならば……
「いやっ、なに微笑んでるんっ!? こ、こわい、こわいって、やめてぇぇええっ!!」
「神降ろし、五毒大神」
蠍、百足、蛇、蛙、蜘蛛の姿をした、それぞれの毒神が、私とクロエに全力で毒を注ぎ込む。
「こ、これは、初めて自分に試しましたが、な、なかなかのものですね。か、身体が痺れて、う、うごけません」
「あばっ、あばばばっ、あばばばばばっ」
クロエにいたっては、立つことも出来ず、床の上で、しびしびと痙攣している。
「だが、この程度っ、タクミさんの弱体化に比べればまだまだ序の口っ、慣れてきたら、更なる神を降ろして負荷を増やしていきましょうっ!」
「あ、あばばばっ、あ、あかんっ、絶対、タクミ殿、こんなんしてへんっ! こ、殺されるっ、こ、このままやと、うち、レイアに殺されてまうっ!」
「ふふ、今はわからなくとも、すぐに私とタク日記に感謝する日がやってきますよ。さあ、巨大化した剣を持って、一緒に修行しましょう」
クロエの上に巨大な剣を置いてあげる。
「……ぐぎゅ」
あっ、つぶれた。
つんつん、とつついてみるがピクリとも動かない。
「こら、死んだふりはやめなさい、黒蜥蜴。まだ修行は始まったばかりですよ」
「…………」
返事がない。ただの屍のようだ。
ええっ! クロエ、ほんとに死んじゃったのっ!?
「し、心音が止まってるっ! 解毒っ、ちがう、先に心臓マッサージをっ!!」
まさか、人間になったクロエがここまで脆いとはっ!
「おきてっ、クロエっ! タクミさんをブラックドラゴンの王にするんでしょっ!!」
どくんっ、と大きく、仰向けに倒れたままのクロエの巨乳が跳ね上がる。
「動きだした? ちがう、人間の心臓は止まったままだ。……まさか、もう一つ、ドラゴンの心臓がっ……」
がりっ、と地面を引っ掻いた手には、鋭い爪が生えていた。
封印されていたドラゴンが、人間クロエの死によって強制的に目覚めたっ!?
頭にツノがはえ、背中から翼が飛び出し、黒い鱗に覆われていく。
「ガアァアあああァアァアっアアァアっっ!!」
産声のような咆哮をあげて、黒龍のクロエが復活した。




