百九十八話 優しい誰か
失敗した。
タクミが帰ってこないので、タク日記をエサに、ちょっとレイアで暇つぶしをしただけなのに……
「サシャもようやくこの重さに慣れたようね。そろそろ倍にしましょうか」
「い、いやぁあぁぁあぁっ、やめてぇっ! もう無理だってぇーーーっ!!」
ど、どうしてっ!?
私、王女で、僧侶なのにっ!
筋肉ムキムキになっても意味ないのっ!
絶対、こんな修行必要ないわよっ!!
叫びたいのに、もう声も出ない。
自ら持ってきたタク日記に押し潰されてしまう。
『まあ、いいじゃねえか。戦う僧侶ってのも、カッコいいぜ』
……え?
誰かの声がしたような気がして振り向くが誰もいない。
ついに疲労から幻聴まで聞こえてきた?
いや、どこかで聞いたことなあるような、そんな懐かしい声だった。
やはり、そうだ。
私は、すごく親しかった誰かを忘れている。
いや、私だけじゃない。
たぶん、タクミやヌルハチ、そしてリックまでもが、始まりのパーティーに深く関わっていた誰かのことを忘れている。
その異変は、タク日記にも影響を及ぼしていた。
明らかに、誰かのことが書かれていたはずの文章がいくつも抜け落ちている。
なのに、その箇所は、まるで最初からそうであったように、書き換えられた痕跡も、消された痕跡もなく、不自然に繋がっているのだ。
「くっ、タク日記をもっと調べたいのに、重くてページがめくれないっ!」
タクミが帰ってこないのは、もしかしたらこのことが関係しているかもしれない。
早く、この馬鹿げた修行をやめさせて……
「あれ? サ、サシャっ!? いつ帰ってきたんだっ!?」
「タ、タクミぃぃっ!!」
久しぶりに見るタクミは、少し頬がこけて、やつれていた。
いますぐ、その胸に飛び込みたいが、タク日記のせいで身動きが取れない。
「ちょっと、レイアっ、タク日記元に戻してっ! 感動の再会なのっ!」
「大太郎法師、最大まで大きくして」
「ぎゃあぁあああああぁぁあぁっ!! なにすんのぉおぉおおぉおーーーーっ!!」
タク日記が十倍くらいに膨れ上がり、私を押しつぶす。
「おかえりなさい、タクミさんっ!!」
「あ、ああ、うん、ただいま。遅くなってすまなかったな。てか、サシャ大丈夫?」
「はい! 全然まったく大丈夫ですっ!」
だ、大丈夫なわけ……な…い……
「タ、タクミ、たす……」
「さあさあ、タクミさん。サシャの修行を邪魔したらダメですよっ、お疲れのようですし、早く休んでくださいっ」
「え? あれ修行なの? なんかあのでっかい本、どっかで見たことあるような」
「気のせいです、気のせいです、あっ、お風呂沸いてるんで先に入ってくださいね」
「そ、そう? じゃあお言葉に甘えて……」
ぁぁあぁあぁ〜〜、タクミが行ってしまう。
久しぶりの再会がっ、感動の再会がっ、なくなってしまうっ!
ダメだっ、助けに来てくれなかったんだから、せめて、ほんの少しでも、ロマンチックな思い出をっ!
「うおおおおぉおぉらぁあああっ!! どっせいっ!!」
持てる力のすべてを使って、どすんっ、と巨大タク日記をはねのけた。
この数日の修行で、どうやらかなりの筋肉を身につけたようだ。
「まってぇっ! タクミっ!」
「……え、えっと、サシャ……さん? 偽物の方ですよね?」
「ほんものよっっ!!」
感動の再会にはならなかった。
「で、どうだったの? 始まりのパーティーの冒険は?」
タクミが少し休んだ後に、三人で食卓を囲む。
食事は作り置きのカレーだが、タクミがチーズをかけたり、目玉焼きをのせたりしてくれたので、ちょっと豪華になっている。
「うん、まあ一応、解決したような、してないような。とりあえず、一区切りはついたから、少し休んでからもう一回行くことになったんだ」
「そ、そうなの? じゃあ今度こそ、私の出番ね」
やはり偽物のゴブリン王では役不足だったみたい。
始まりのパーティーには、やっぱりこの断崖の王女、サリア・シャーナ・ルシアが必要ね。
「うん、それなんだけど。ゴブリン王が鍵を握ってるみたいだから、次回もサシャはお留守番で……」
「えっ、ええええっっ!?」
「ぷっ」
笑ったっ!
今、隣でレイア、ふきだしたっ!!
きっ、と睨んだ時には、もうすでに、すん、っとした顔をしていた。
「ちょっ、ちょっと待って、タクミっ、本物がいるのに、偽物は必要ないでしょっ! 今度は私を連れて行きなさいっ!」
「い、いや、本当にゴブリン王がいないとまずいんだよ」
それでも連れて行ってくれないと困る。
ここにいたら、レイアに筋肉ムキムキのマッチョ王女にされてしまう。
「だったら、ゴブリン王には私じゃない他の誰かに変身してもらって。……そうよっ! 始まりのパーティーはもう一人いたはず……」
私の後ろにある巨大なタク日記のページが、突然、風もないのに、勝手にパラパラとめくれていく。
まるで、そこにいない誰かがめくっているように。
「こ、これは? お、俺が冒険者時代につけていた……日記っ!?」
そして、タク日記は、あるページでピタリと止まった。
『ヌルハチ達とはぐれて、一人の時に、岩山でホワイトファングの群れに囲まれた。
ホワイトファングは、二メートル近くある巨大な狼で、一匹でも勝ち目がない。
俺は瀕死の重傷を負いながらも、なんとかホワイトファングの群れを撃退した。
激闘の最中でも、俺は常に俺のことを気にかける。
サシャに治療を受けながら、心配する仲間に舌打ちした。
悪態をつきながら、仲間のことなど気にしないふりをして、一番仲間のことを気にかけているのは、いつも、俺だった』
俺が俺のことを気にかける?
タク日記で、最も違和感があったページ。明らかに異質な文章。
「……わかった……うん。サシャもパーティーに加わってくれ」
ぷぅ、とレイアが頬を膨らませて拗ねている。
そうだ。思い出せない誰かは、いつも私に優しかった。
そして私を、始まりのパーティに戻してくれた。




