閑話 サシャと女王
「サシャさん、シーツの折り目がズレてますよ。こんなことでは困りますね」
「す、すみません、ナナシン様っ、すぐに全部直しますっ」
今日も朝から執事長のナナシン様に叱られた。
ルシア王国のメイドとして、何十年も働いているはずなのに、毎日なにかしらミスをしてしまう。
と、いうか、本当に私は、ずっとメイドとして働いていたの?
毎日の仕事が、どれも初めてのように、まったく覚えていない。
「あ、あの、次は何をするんでしたっけ?」
はぁ、とナナシン様が呆れたように肩を落とす。
「女王様に朝食後の紅茶の準備を。本日は水曜日ですので、ブルーローズを使用した特製ハーブティーです。お間違えなきように」
「は、はいっ」
うん、やっぱりさっぱり思い出せない。
どちらかというと、紅茶を用意するほうでなく、毎朝、優雅に紅茶を飲んでいたような……
「私の頭、おかしくなったのかな?」
昔の記憶はあるのに、そのどれもが嘘のようで、まるで後から取ってつけたような、陳腐なものに思えてしまう。
「お急ぎになってください。時間通りにお出ししないと、女王様の機嫌を損ねてしまいます」
「は、はいっ、すぐに用意しますっ」
しかし、そんな疑問も毎日の忙しさの中でだんだんと感じなくなってきていた。
「失礼します。ブルーローズの特製ハーブティーをお持ちしました」
玉座に座る女王に深々と頭を下げ、トレイに乗せていたティーポットとカップを、テーブルに置く。
「ありがとう、サシャ。よかったらあなたも一緒に飲まない?」
「いえ、そんな、私などが、恐れ多い、です」
「あら、気にしなくていいのに」
フフ、と無邪気に笑う女王は、まるで子供のようで、一瞬、油断しそうになる。
しかし、その黒い瞳の奥の奥。
どこまでも暗いところに吸い込まれそうな闇があることを、私は見逃してはいなかった。
「で、では、私はこれで……」
「あらあら、忙しそうね。タクミのパーティーへの誘いも、断ったものね」
「……どうしてそれを?」
昔のパーティーメンバーから、もう一度集まりたいと連絡があったが、絶対いかない、と断ってしまった。
タクミに、いやタクミたちに会いたかったはずなのに、なぜ、そんなふうに言ってしまったのか。
「なんでも知ってるのよ。ルシア王国の女王ですから。フフ、ふふふ、アハハハハっ!」
こらえきれないといったように、笑い出す女王。
ダメだ。一刻も早く立ち去りたいのに、足がすくんで、一歩も動けない。
「やっぱり、一緒にお茶しましょう。仲間はずれのサシャのために、いいものを用意したの。ほら、これでタクミたちの冒険の様子が見れるのよ」
「え? それ……まさか、千里眼の水晶!?」
かつてルシア王国の秘宝であった千里眼の水晶は、騎士団長として活躍していたリックに、褒美として贈呈されたはずだ。
あれ? 私、どうしてそんなことを知っているんだろう。
「……あ、あの、その水晶、リックが持っていたものでは……」
「ああ、違うわよ。これはまた別のやつなの。やりなおす前の世界から持ってきたのよ」
やりなおす前の世界? 女王が何を言ってるのかまったく理解できない。
でも、あれはどう見てもリックが持っている水晶と同じ物だ。
幼い頃、ルシア王国の宝物殿に忍び込んで、私が落とした時についた傷まで同じだからだ。
えっ? 私、メイドなのに宝物殿に忍び込んだのっ!?
……よ、よく首にならなかったわね。
「ほら、よく見て、リックも今、自分のを使ってるでしょ」
「あっ、ほ、本当だ」
千里眼の水晶の中で、リックが同じように千里眼の水晶を使っている。
そこには、タクミやヌルハチ、小さなアリスも揃っている。始まりのパーティーそのものだ。そして……
『大丈夫ダヨ。みんなで力を合わせタラ、どんな困難も乗り越えてイケルヨー』
「えっ!? なんで私みたいなのがいるのっ!?」
「代わりを用意したのよ。あの子の匂いが微かに残っていたから。ちょっとヌルハチに干渉して、使うように仕向けたの」
あの子の匂い? 誰のこと?
状況がまったく飲み込めない。
「やっぱりこのパーティーがすべての始まりね。懐かしいでしょ、サシャ。二人でゆっくり鑑賞しましょう」
「……いえ、私はこれで失礼します。仕事が残っていますので……」
気持ち悪い。
嘘のような昔の記憶。
何を言ってるのか理解できない女王。
あるはずのない千里眼の水晶。
偽物の私。
そのすべてがふわふわと実態がない悪夢のようで、頭が痛く吐き気がした。
「そう、残念ね。これから面白くなるのに」
全然残念そうに見えないほど、上機嫌の女王から少しでも早く遠ざかりたくて、駆け足気味に王室を後にする。
『それでいいのかい?』
誰かの声がしたような気がして、振り向いたが、そこには誰もいなかった。
深夜。
城の離れにある部屋で、眠りにつこうとする。
特に疲れることが多い一日だった。
メイドとして働くことに疑問を抱いた罰だろうか。
「もう考えるのはやめよう。ただメイドとして、ひたすら頑張っていこう」
「それでいいの?」
今度はハッキリと。さっきとは違う声が、部屋の入り口から聞こえてくる。
「クロエっ!?」
見知った顔が部屋の前に立っていた。
いや、クロエの姿は前に見た時と少し変わっている。
ツノや翼がなくなっていて、ドラゴン一族というより、普通の人間みたいになっていた。
「ど、どうして、ここに? 城に忍び込んだの?」
クロエは無言で頷き、右手を私に向けて差し出す。
「助けにきたのよ、王女様。王子様じゃなくて悪いけど」
王女様? 私が? どうして? いや違う、どうしてじゃない。
「うちらは取り戻さなあかん。ほんまの自分を」
ドラゴンでない人間の姿で、あえてドラゴ弁を話すクロエの手を握る。
そうだ。これでいいわけがない。
私はメイドなんかじゃない。私は……
「私はサリア、サリア・シャーナ・ルシア、断崖の王女よ」




