百九十三話 ダブルアイズ
『な、なんで効かないんだ?』
明らかに動揺している謎の声が頭に響く。
やはり、その声はどこか懐かしく、失った記憶が揺さぶられる。
「ふふん。もう一度いいましょうか。この断崖の王女、サリア・シャーナ・ルシアには通用しないとっ!」
ちょいちょい、と偽サシャの、いやもはや偽サシャとも呼べないゴブリン王の肩をつつく。
「とけてるよ、変身。サリア・シャーナ・ルシアじゃないよ」
「なんですとっ!?」
まぁ、最初から全然サシャじゃなかったけど。
そこにはもう純度100%のゴブリン王ジャスラックしかいない。
すらりと伸びた高身長。透き通るような白い肌。
さらさらの青い長髪に、エメラルドグリーンの瞳を持つハンサムな甘いマスク。
スタイリッシュなスーツ姿で、手鏡をのぞいている。
『……なぜ記憶が消えずに変身が解けた? 誤作動? いや、それはありえない。 ……もう一度やってみるか』
えっ! も、もう一度っ!?
ヤバいっ、唯一の手掛かり、ゴブリン王の記憶が消されてしまうっ!
「ゴブリン王っ!」
「あ、一応、サシャと呼んでくれませんか? 今日一日、そういう設定なんで」
「それどころじゃないよっ!!」
間に合わなかったっ!
ぱんっ、と大きく手を叩く音がして、ゴブリン王の記憶も飛ん……でない?
ん? あれ? 大丈夫なの?
「無駄ですよ、断崖の王女こと、ゴブリン王ジャスラックには、そんな技は通じないと言ったでしょうがっ!」
『な、なんそれっ!?』
そこにいたのは、もはや断崖の王女サリア・シャーナ・ルシアでも、ゴブリン王ジャスラックでもなかった。
「ゴ、ゴブリン王? いや、なんかもう王じゃなくなってるぞ?」
「ごぶ?」
小さな体のわりに大きな頭とギョロギョロとした目玉にイボのついた鼻。
緑色の皮膚に浅黒く汚い布を身に纏っている。
最初にこの山を襲撃した、ただのゴブリンがそこにいた。
「ふむ。久しぶりに本来の姿に戻されましたね」
そ、そういえば山に攻め込んできたゴブリンたちはみんなゴブリン王の分身だと言ってたな。
そうだよね。どんなにゴブリンが成長しても、あんな人間みたいな姿にはならないよね。
『どういうことだ? 変身が解けるだけで一向に記憶が上書きできねぇ。記憶に強力な保護が施されているのか……?』
ゴブリン王の記憶に保護?
「バカな。このヌルハチの防御結界ですら通用しないというのに。そんなもの一体誰が……」
そういえば、すっかり忘れていたがヌルハチもリックも何千年も前から生きている世界の大長老だ。
だが、伝説によるとゴブリン王はそんな二人よりも、遥かな昔、この世界が誕生した頃と同時期に生まれている。
『こんな強力な保護をかけるぐらいだ、絶対に消したくない大切な記憶があるのか?』
「さあ? 悠久の時を生きてきましたからね。僕にもそれがなんなのか、さっぱり検討がつきません」
『……お手上げ、だな。一旦、帰って出直すか』
現れる時も突然で、いなくなる時も突然だった。
その言葉を最後に、謎の声は聞こえなくなる。
「き、消えちゃった? あ、まだ道に迷ったままだった。ど、どうしよう、ヌルハチ」
「落ち着け、タクミ。今はゴブリン王の記憶が優先じゃ。すべての謎がそこに集約されとるかもしれん」
た、確かにそうだ。
謎の声の正体。
捜そうとすると道に迷う『彼女』のペット。
そして、ゴブリン王に施された記憶の保護。
その全てが繋がっているなら、問題はひとまとめに解決する。
「けど、ゴブリン王の記憶なんて、あまりにも膨大じゃないか? 本人もさっぱり検討がつかないっていうし、どうやって探るつもりなんだ?」
「タクミ、覚えておらんか? 自分の記憶にないことまで、補完されるように見ることが出来た過去回想を」※
「あっ!!」
ヌルハチと二人でリックのほうを振り向く。
「そ、そうだっ! あの時、確かに、リックは俺の過去に干渉して、過去回想を見せていたっ!」
「うむ、そうじゃ。タクミの恥ずかしい過去回想が全部ほじくり返されたわっ! 今度はその力でゴブリン王の過去を暴いてもらうぞっ!!」
リックが申し訳なさそうに、俺に向かって頭を下げる。
「あ、あの時はすまなかった、タクミ」
「い、いいよ、いいよっ、もう気にしてないからっ」
「ええい、いまそういうのはよいから、早くやらんかっ」
ヌルハチに急かされて、リックが背負い袋から魔装備を取り出す。
「あれ? それって千里眼の水晶?」
「ああ、もう一つの眼を呼び戻した。二つを合わせることで人の過去に干渉できる。三つ合わせることで未来を見る力があると言われているが、三眼が揃ったことは一度もない」
おお、すごいな千里眼の水晶。
未来まで見れたら、ほとんど無敵じゃないか。
まあ、三つ目があるかどうかわからないけど。
「……一つ、確認しておくが、君の過去を覗いてもいいのか? ジャスラッ君」
あ、俺の時にはなかった確認をちゃんととってる。
ちょっと妬けるぞ、ゴブリン王。
「かまいませんよ、リッ君。それでお役に立てるなら」
小さなゴブリンが、いつものゴブリン王のように、胸に手を置き、丁寧にお辞儀する。
千里眼の水晶が輝き出し、子供の頃に聞いた、まるでお伽話のような「ゴブリン王の物語」が始まった。
※ タクミの過去回想は、「第二部 三章 五十一話 始まりのパーティー」から「第二部 四章 六十話 パーフェクトワールド」までを読んで見て下さい。




