百七十七話 アリスのおしごと
「できたよっ、ちゃくみっ」
アリスと『彼女』がキッチンにこもること数時間。
日もどっぷり暮れた真夜中に、ようやく料理は完成した。
「タクミさぁん、わたし、もうお腹ぺこぺこですぅ」
「ちぃ、ちちぃ」
レイアントとヌルハちぃも並んでいるテーブルに、アリスが料理を運んでくる。
「にゅるはちと、れいあのぶんもあるよっ」
ヌルハちぃの料理は小さく、レイアントの料理は大きい。
料理が入った器ごと、スモールサイズとビックサイズが用意されている。
そして、俺の目の前に、アリスは普通サイズの料理を置いた。
「どうじょ、めしあがれ」
「こ、この料理はっ」
「わぁ、見たことない料理ですねぇ」
「ちぃちぃっ!」
どんぶり鉢になみなみと入っているその料理から、部屋を白く染めるほどの湯気が立ち上る。
熱々のスープだ。
そのうえには、さまざまな野菜とモウの肉が、てんこ盛りにのっている。
さらに箸で、それをかき分けると、細長い麺が姿を見せた。
「これはっ、ラーメンかっ!?」
向こうの世界に連れて行かれた時によく食べた、こちらの世界には存在しないはずの料理。
『彼女』に教えてもらって作ったのか。
見た目の完成度は、向こうで食べた人気店と比べても遜色ない。
「さすがぁ、タクミさぁん、こんな見たことない料理も知ってるんですねぇ」
「ちぃちぃ」
レイアントとヌルハちぃが感心して頷いている。
はじめての料理にも、二人は臆することなく食そうとしているが、ちょっと待ってほしい。
このスープ。
何を出汁にしているかで、問題は大きく変わってくる。
「ア、アリス。このラーメン、スープの出汁は何が入ってるのかな?」
アリスが運んできた食材に混ざっていた四天王(笑)ドグマの頭。
まさか、あれから出汁を取ってないよね?
「うんとね、モウとブウと、おやさい、いっぱいっ」
ほ、ほう。どうやら余計なものは入れてないようだ。
向こうでいうところの牛骨と豚骨の合わせラーメンか。
かなりいい匂いがするし、これは、もしかして、期待していいのではなかろうか。
「ご、ごくり、い、いただきます」
「いただきますぅ」
「ちいちちちちぃ」
「あ、まだだった。ちょとまてて」
三人で手を合わせて、食べようとすると、アリスが慌てて止めて、キッチンに戻っていく。
「はい、これ、こつん、していれてねっ。ありしゅがちゅくったの」
ボウルにたくさんの卵を乗せて、アリスが再び戻ってくる。
もしかして、これは殻をわったら中の黄身だけはとろ〜り半熟ってやつか?
向こうでラーメンを頼む時に、必ずトッピングしていた大好物だ。
「やるなアリス。ラーメンをわかってるじゃないか」
「わぁ、わたし、大きいので3個いれますぅ」
「ちぃちちぃっ」
三人とも同じタイミングで卵に手を伸ばし、どんぶりの淵で、こつん、する。
ばんっ! ぐちゃっ! びちゃっ! 弾けるように破裂して無惨に飛び散る卵たち。
「あっつっ!! あっつっ!! あついあついあついあついィィィィッ!!!」
「あっついですぅっ!! たくみさぁんっ! た、たまごが狙撃されましたぁっ! て、敵襲ですぅっ!!」
「あちぃっ! あちぃちぃっ!!」
「いやっ、敵襲じゃない、これはっ!!」
黄色と白の熱い物体を顔に浴びながら、向こうの世界でニート生活をしていた時に使っていた便利家電を思い出す。
「ア、アリス、まさか、これ、もしかして」
「おなべでグツグツすりゅのと、おんなじマシーンって、いってたのに」
だめーー!!
卵は絶対にレンチンしちゃダメーーーー!!
爆発卵になっちゃうからっーーーー!!
そういえば、キッチンから懐かしい音が響いていた。
まさか、電子レンジを持ってきているとはっ!
う、うん。間違ってない。間違ってないよ。おなべでグツグツするのとおんなじマシーンだ。
だけど卵はダメーーーーー!!
『彼女』もアリスが卵を温めていたのを知らなかったのか。
キッチンの奥で、あちゃあ、て顔でオデコをおさえている。
「もいっかい、やってみゆね」
「だ、大丈夫。きょ、今日は卵なしで行きたい気分だ。な、なぁ、みんな」
飛び散った卵の残骸を片付けながら、レイアントとヌルハちぃがコクコクと何度も頷く。
(卵の残骸は後でベビモが殻ごと美味しく頂きました。)
「では今度こそ」
「いただきますぅ」
「ちちちちちちぃ」
もう何も起こらないで、と祈りつつ、ラーメンに箸を伸ばす。
ずずずず、という音と共に、三人の口に麺が吸い込まれ……
「うおっ」
「ふわぁ」
「ちちぃ」
感嘆の声が重なった。
なんだ、これは。
うまいなんてもんじゃない。
モウとブウの出汁だけじゃない。
様々なエキスが染み渡ったスープに、小麦の香りがする中太の麺が絡みつき、見事なまでの味のハーモニーを奏でている。
さらに上にのっている具材は、お肉は箸で触っただけでとろけ、お野菜はシャキシャキの食感をのこし、すべてがスープに合うようにバランスよく調理されていた。
「うまっ、これっ、うまっ」
「おいしいぃ、アリスさまぁ、これ、すごいぃ」
「ちぃ、おいちぃ、あっ、しゃべってしもうた」
ヌルハちぃがヌルハチに戻るほどの衝撃の味。
三人とも箸が止まらず、白い湯気の中、麺をすする音しか聞こえない。
「ぷはぁ」
「ふにゃあ」
「ちちぃ」
大中小。スープまで空になった三つのどんぶりが同時にテーブルに置かれる。
「す、すごいなアリス。このラーメンめちゃくちゃ美味かったぞ。本当にアリスが作ったのか」
「うひひ。ちょとてつだてもらたよ」
ちょっと?
いやこれ、ほとんど『彼女』が作ったんじゃないのか?
いままで俺が作った一番の料理でも、このラーメンの足元にも及ばない。
キッチンにいる『彼女』を見ると、そんなに手伝ってないわよ、みたいに手を振っている。
「ちなみにアリスは、どんなふうに料理をしたのかな?」
「スープ、いっぱいかきまじぇた。ちゃまご、マシンにいれた。あとはドグマとはなちてた」
ドグマの使い道がわかって、ほっ、とする。
「そ、そうか、よく頑張ったな」
「うんっ」
……やっぱりこの料理は、『彼女』の手によって作られていた。
以前に食べた味噌汁以上の力を思い知る。※
戦闘でも、料理でも、『彼女』にはまったく敵わない。
すべてが完璧な『彼女』に、果たして弱点などあるのだろうか。
「なあ、アリス。剣だけじゃなく、料理もうまくなりたくないか?」
「おお、ありしゅ、りょうりもうまくなりたいっ」
「……だったら『彼女』にお願いしてみたらどうかな?」
「うんっ」
元気よく、とてててっ、と『彼女』がいるキッチンに走っていくアリス。
もしかしたら、『彼女』のそばにいることで、アリスがなにか弱点を見つけてくれるかもしれない。
俺はかつての宿敵と手を組み、弟子をスパイに使うというゴリゴリの作戦にでた。
※ 『彼女』の味噌汁の話は、第五部 四章 『百六十三話 塩麹』に載ってます。




