裏章 朱雀と彼女と白と黒
『彼女』の肩にちょこんと止まり、動かずにいる。
どれほどこうしているだろうか。
木製のロッキングチェアで、静かに眠る『彼女』を起こしたら、何を言われるかわからへん。
それに、少しでも長く眠っていてくれたら、タクちゃん達も色々、行動できるはずや。
「……あら、いま関西弁が聞こえた気がしたわ」
思いに反して、『彼女』はすぐに目覚めてしまう。
しかも、これはっ、心の声を聞き取ったのかっ!?
「なんとなくよ。細かくはわからないわ。でも、その言葉使い、ダメだって言ったわよね。私、嫌いなのよ、関西弁」
「ぴ、ぴぴぴぴぴっ」
す、すみませんっ
小鳥の鳴き声で『彼女』に謝罪する。
許してくれるかは、その時の気分次第だが……
「いいわ、許してあげる。とても気分がいいのよ。いい夢を見たせいね」
ロッキングチェアから『彼女』はゆっくりと立ち上がり、眼前に広がる稲穂を眺める。
真冬だというのに、稲は高々と真っ直ぐに伸び、黄金のようにキラキラと輝いていた。
「ぴぴぴ、ぴぴぴっぴぴぃぴ?」
どんな、夢を見たんですか?
「長いこと喧嘩してた親子が仲直りする夢。ふふ、これからもっと面白いことになりそうだわ」
あどけない少女のように微笑みながら、『彼女』は稲穂の中に入って、くるくると踊り出した。
肩にしがみついていたが、振り落とされ、『彼女』の上空を旋回するように飛んでいく。
あ、あかん。早いとこ、タクちゃんに知らせなあかん。
なんもかんも、見透かされとる。
何をしようが、絶対返り討ちにあってしまうわ。
「ぴぴぴぴぴぃっ!」
『彼女』に心の声が聞こえないように、距離をとり、さらに叫ぶように鳴き声をあげて邪魔をする。
小鳥に変化させられ、朱雀としての尊厳を奪われ、タクちゃんの元から引き離された。
けどな。従ってるフリしてるだけで、ほんまに服従してるわけやない。
ワレはあくまで、タクちゃんの味方や。
隙を見て、絶対ここから逃げ出したるからなっ。
突然、踊っていた『彼女』が止まり、きっ、とワレの方を見る。
うそやんっ! や、やっぱり聞こえてしもたんっ!?
そう思ったが、どうやら違う。
『彼女』の視線は、ワレを通り越して、その後方を睨んどる。
慌てて、そっちを振り向こうとしたが……
「ぴっ!!」
ふ、ふりむかれへんっ。
なんや、これ、なにが近づいてるんやっ!?
ありえへんっ、この気配っ、まるで『彼女』にそっくりやないかっ!!
「……てっきりアザトースに消去されたと思っていたわ。そう、融合して生き延びていたのね」
宇宙から光の柱が舞い降りたように。
それは、『彼女』の眼前に降臨する。
一言では言い表せない形容やった。
顔のない、マネキンのような形態に、左右色の違う巨大な翼。
白と黒。
光と闇。
0と1。
天使と悪魔。
混ざり合わないはずの二つの要素が、渾然一体となり混ざり合ってる。
「シロクロとでも呼べばいいのかしら」
『名前など、どうでもいいカナ。アナタもそんなもの、すでに無くしたんじゃないノカ、……ノカ、ノカ、ノカ、ノカ、ノカ、ノカ、ノカ、ノカ、ノカ、ノカ、ノカ、ノカ、ノカ、ノカ、ノカ』
地の底から響くような声と、天から囁くような声。
その二つが混ざりあった不気味な声が響く。
初めての感覚やない。
ワレはこの存在を知ってる?
そうや。アザトースから引き離され、タクちゃんの元へ行った時に感じたものとおんなじ気配や。※
「それもそうね、とうの昔に忘れてしまったわ。だからあなたたちにも名前をつけなかったのかな」
特に気にする様子もなく、シロクロに背を向けて、『彼女』はロッキングチェアの方へと歩いていく。
「せっかく来てもらって悪いけど、アナタたちにできることはもうないわ。システム権限は、全て返してもらったから」
『所詮ワレワレは、アナタが寝ている間の、ただの代理人だからナ。アナタが来るまで、そんなことも忘れていたヨ』
ロッキングチェアに座った『彼女』が、目を閉じた。
ゆらゆらと、ゆっくり椅子が揺れ始める。
「……あとは全部、私がやるわ。いっぱい寝たから元気なの。大丈夫よ、悪いようにはしない。きっと素晴らしい世界にしてみせるわ」
『それは誰にとっての素晴らしい世界なノカ? タクミにとって? アナタにとって? それとも別の誰か……』
『彼女』が閉じられていた瞼を、カッ、と見開いた。
シロクロの言葉が、いや、時間そのものが、静止したように凍りつく。
「ただの数字の羅列が人の気持ちを語るなっ」
ずっと表に出ていなかった、『彼女』の感情が初めてあらわになる。
それだけで、周りの磁場が狂ったように乱れ、まともに飛べなくなり、ふらふらと地面にむかって下降していく。
『なにをいうノカ。アナタこそ……』
シロクロの言葉は、最後まで発せられない。
マネキンのようなシロクロの頭から臀部まで、真っ直ぐに線が引かれてる。
「ぴぃっ!?」
混ざりあっていたシロクロが、その線に沿って、ぴしぴしと分かれていく。
左は白、右は黒。
完全に分断されたそれは、魚の開きのように、ぱかっ、と真っ二つになり、崩れ落ちる。
いつのまにか、『彼女』はロッキングチェアから、立ち上がっていた。
その手には、一振りの剣が握られている。
『……復活させたノカ。聖剣タクミカリバーを』
アザトースたちの襲来で、マキエによって粉々に砕かれた剣。
ヌルハチがタクミに与え、さらにアリスに受け継がれた、その剣は、大げさな名前とは裏腹に古びた凡剣にすぎへん。
やのに、その剣は本物の聖剣以上の力で、シロクロを見事に分断させた。
『そうカ。リセットしたノカ。装備をそのままにして、最初からやり直したノカ。この世界は……』
「黙りなさい」
真っ二つにされても、普通に話すシロクロに、『彼女』は、聖剣タクミカリバーを横薙ぎに一閃した。
シュンっ、と核熱に焼かれたように、二つのシロクロが蒸発する。それでも……
『……ノカ』
それでも、シロクロは黙らへん。
シロクロの残骸のような、白と黒の小さな破片が、あたり一面に降り注ぐ。
『……この世界は……アザトースが……作った……だったノカ、……ノカ、ノカ、ノカ、ノカ、ノカ、ノカ、ノカ、ノカ、ノカ、ノカ、ノカ、ノカ、ノカ、ノカ』
頭の中にジジっ、とノイズが走った。
忘れていた大切なもん。
シロクロの声に反応して思い出しそうになった何かが、砂嵐のようなノイズにかき消された。
「知らなくていいのよ、真実なんて」
シロクロの破片を浴びながら、『彼女』は、ゆっくりと聖剣タクミカリバーを天にかざす。
その上空から、雲を割って巨大な光の柱が降りてきた。
光の柱に包まれたシロクロの欠片が変化する。
0と1。白い破片は0に。黒い破片は1に。
無数の数字がくるくると交差しながら、光の中を上昇していく。
『………きっと……タクミは……気付いて……しまう……ヨ』
「っ!!」
一瞬。
まばたきするほどの、コンマ何秒。
『彼女』が切ない表情を浮かべた。
それを隠すように、穏やかな笑みで覆いかぶす。
「そうね、ソレでいいと思うわ。そのときはまた……最初から……ね」
すっ、と『彼女』が右手の人差し指を前に出す。
慌てず、ゆっくりと下降して、そこに止まる。
「いい子ね、スーさん。ずっと私のそばにいてね」
胸の奥がずきんと痛む。
タクちゃんの味方するんは変わらんけど、なんでかこの時ばかりは「彼女」の側にいてあげたい。
そんなふうに思ってしまった。
※ シロクロと朱雀のエピソードは第四部 五章 「閑話 シロ」に載ってます。忘れていたら見てみてね。




