百七十三話 ポチ袋
ぱかんっ、と心地よい音がして、俺の頭に『彼女』の木刀が直撃する。
「くっ、つぅっ」
頭を押さえると小さなコブができていた。
手加減してくれたのか、元々『彼女』の力が弱いのか。
これくらいで『彼女』の力が測れるなら、安いもんだ。
「なかなか良い踏み込みでした。でも、当たると思った瞬間油断しましたね。最後まで気を抜いてはいけませんよ」
稽古を始めた時と同じ、穏やかな笑顔で語りかける。
油断とか、そういうものでやられたわけじゃない。
明らかに、何か異様な力が発現していた。
時間が飛んだような感覚。
魔法を使ったのか?
しかし、こんな魔法は今まで見たことがない。
いや、まて。
一度だけ、ある。
シロとクロとの戦いで、絶望的な状況を覆し、すべてを逆転した魔法。
リンデン・リンドバーグの禁魔法、世界逆行。
そうだ。リンが二度と魔法を使えなくなるというリスクを犯し、1分間だけ時間を戻した、あの魔法だ。
まさか、『彼女』は、なんの制約もなしに、簡単にあの魔法を使うことができるのか?
じっ、と『彼女』を見るが、魔法を使った疲労は感じられない。
無制限に使えるとなると、勝てる糸口ですら、見つけることが不可能だ。
「け、稽古、ありがとうございました。またよろしくお願いします」
とにかく、今の段階ではどうしようもない。
リンと連絡をとって、禁魔法の情報を聞き、攻略を考えよう。
そう、思って、この場を収めようとしたのだが……
じー、と小さな視線が俺を見つめている。
「ちゃくみ、まけてないよね?」
「えっ?」
アリスだ。アリスが俺を見上げて涙目で訴えかけてくる。
「ちゃくみは、うちゅうさいきょうだから、ちぇかげんしたんだよねっ、ほんきだしたら、あっしょーだもんねっ」
「あ、ああ、よくわかったな、その通りだ。本気を出したら『彼女』が可哀想だろ」
可哀想なのは俺なんだけどね。
「ちゅぎはほんきだしてっ、アリス、ちゃくみがまけるの、やっ」
「わ、わかった、今度なっ、ほら『彼女』も忙しいからっ、また今度……」
「あらあら、私は今すぐでも大丈夫よ、もう一本始めましょうか」
ブフォッッ!! と思わずむせてしまった。
え? もう一回やるの?
「ちゃくみ、がんばてっ、ちゃいして、ちゃい」
「あ、ああ、うん、が、がんばるよ」
頑張っても、どうしようもない。
なるべくダメージを負わないようにするには、どうすればいいのか。
「け、怪我をさせても悪いですし、次は寸止めにしませんか?」
「あら、タクミは当たる寸前に止めることができるの? 残念だけど、私、やったことないわ。たぶん、できないと思うの」
すこし困った顔で『彼女』が首を斜めに傾けた。
うん、よく考えたら俺も寸止めなんて高等技術つかえない。
「そ、そうですか、で、ではそのままで」
「はい、そのままで」
再び、ちぇいけんちゃくみかりばぁを構える。
「ま、参る」
二度目の参るは、ちょっと弱々しかった。
「ちゃくみ、だいじょぶ?」
『彼女』の木刀を何度も受け続けた頭をアリスがなでなでしてくれる。
「ちゃくみは、やさしいね。いっかいも、ほんきださなかた」
「ふっ、稽古とはいえ、俺が本気を出せば、どうなるかわからないからな」
「ふわぁ、しゃすが、ちゃくみっ、かこいいっ」
あまりの痛さに起き上がれない。
大の字で倒れたままのカッコ悪い俺を、アリスはキラキラした目で見つめてくる。
「アリスは、『彼女』がなにをしているか、わかったか?」
『彼女』が使った力は、リンが使った世界逆行と同じものなのか。
10回ぐらい稽古したが、『彼女』に疲労は見られず、普通にちょっと運動して、いい汗をかいた感じで満足して帰っていった。
1回使っただけで、二度と魔法を使えなくなってしまったリンとリスクが違いすぎる。
「ん〜とね、くうかんが、ぐにゃ〜〜っ、てかんじで、ぎゅ〜〜ん、ってなって、ぱかんっ、したっ」
うん、まったくわからん。
いや、俺がわからないだけで、アリスのほうはわかっているのか?
「アリスは『彼女』に勝つことができるか?」
「うん、いまはむりだけど、つよくなたら、かてるよっ」
え? 本当に?
「そ、そうか。さすが俺の一番弟子だ」
「うひひ」
攻略法を聞きたいが、今のアリスの説明ではおそらく理解できない。
やはり、リンに連絡を取って相談するのが一番の近道か……
『それはしないほうがいいと思うわ』
ゾワっ、と背筋が凍りつく。
いなくなったはずの『彼女』の声が、背後から聞こえて、反射的に振り向いた。
「ん? ちゃくみ、どちた?」
「い、いや、なんでもないんだ」
アリスには聞こえていない。
これも『彼女』の能力か。
ここにいないのに、『彼女』からの一方通行でつながったような感覚があった。
ずっと監視されてるって事!?
「……ど、どうしよう、これ」
アリスよりも強くなければならない条件だけでも大変なのに、どんどんと状況が悪くなっていく。
あーーーっ、もうっ!! 今は現実逃避することしか思い浮かばないっ!!
「そうだ。お年玉も貰ったことだし、今日は豪華な食材を買いに行こう」
『彼女』から貰った袋を開けて金額を確認する。
思った以上に入っていて、不覚にもちょっとニンマリしてしまう。
「アリスも同じだけ入ってるのかな? ちょっと見せて」
「やぁ、こえ、ありしゅ、のっ」
「取らないから、見るだけだから」
しぶしぶ、見せてくれたアリスの袋は裏側を向いていた。
そこで、初めてある文字に気がつき、ぞっ、とする。
【レベル15のアリスちゃんへ】
『彼女』がアリスに渡した袋には確かにそう書かれていた。
こないだまでレベル1だったアリスがもう15にっ!
たった数ヶ月で冒険者入門レベルじゃないかっ!
慌てて、自分の袋も裏返し、確認する。
【レベル15のタクミへ】
すでにアリスは俺に追いついているっ!!
『弟子よりも強くなりなさい』
再び『彼女』の声が、耳元で不気味に囁いた。
※リンデン・リンドバーグの禁魔法、世界逆行は、第三部、転章、百三話『1分間』に載ってます。忘れてたら、ぜひ、また読んで見て下さい。




