百七十話 わたくも
アリスとの修行の日々が続く中、季節は本格的に冬を迎えていた。
辺り一面は雪に覆われ、足場も悪くなる。
「さ、さむいな、アリス。たまには修行お休みにしないか?」
「ううん、ありしゅ、がんばる。ちゃくみもがんばろ」
「そ、そうか。う、うん、がんばろうか」
くっ、はっきり言ってサボりたい。
さすがに、そろそろ身体も限界だ。
最初に休養日とか決めといたらよかった。
「うごいちゃら、あたかくなるよ」
ブンブンと木刀を振り回すアリスの動きは、もはや幼児のそれではない。
流れるように無駄がなく、確実に一流の剣士に近づいてきている。
「ヤ、ヤバいな。俺もなんとかしないと」
闇雲に剣を振るだけでは、アリスに負けてしまう。
いつのまにか、俺はアリスの動きをトレースするように、真似するクセがついていた。
「ちゃくみ、すごぉ、ありしゅとおんなじっ」
「はぁはぁ、よ、よくわかったな、その通りだ」
弟子に負けないないように、弟子の動きを真似る師匠。
非常に情けないが、なりふり構っていられない。
「ちゃくみ、ちゃくみ」
「はぁ、ひぃ、ど、どうした? きゅ、休憩か? 休憩だよね? うん、休憩しよう」
「ちがうよ、あれみて」
アリスがようやく手を止めたので、やっと一息つけるかと思ったが、どうやら違うようだ。
木刀を少し先にある雪のかたまりにむけている。
「ん? なに? あの雪が気になるのか?」
「ちゃう、あれ、うごいた」
「え?」
そう言われて初めて気がつく。
その雪は、ただの雪ではなく、綿毛のようなふわふわした塊だった。
じっくりと観察していると、アリスが言ったように、ぴくん、とわずかに動く。
「き、気をつけろ、アリス。敵かもしれない」
「わぁ、てきてき。やっつけていい?」
「い、いや、まて、待機だ。様子を見よう」
前までのアリスだったらともかく、今のアリスではアザトースや『彼女』が仕向けてきた刺客には敵わない。
「よし、俺が見張っておくから、レイアントとヌルハちぃを連れてきてくれ」
「やぁ、ありしゅ、たたかいたい」
「……行ってきてくれたら、今夜カレーだぞ」
「ありしゅ、いってきゅる」
さすがカレー。超便利。
しかし、カレーという言葉に反応したのはアリスだけではなかった。
「もきゅ?」
雪のかたまりから、聞いたことのある声が聞こえて来る。
「ん? その声は……」
「もっきゅーっ!」
球体の丸くて白い綿のかたまりが飛び込んでくる。
これまでなら成す術もなく吹っ飛ばされていたが、修行の成果か、包み込むようにお腹でキャッチできた。
「ベビモっ!」
「もきゅ、もきゅっ」
嬉しそうにスリスリしてくる綿毛のようなベビモ。
「お前、どこ行ってたんだよ。山がなくなったときから見かけなかったから心配したんだぞ」
「も? ももんきゅ?」
ベビモもよくわかっていないようで、きょとん、としている。
山ごと消滅していたのが、スーさんの力で蘇ったのか。
それにしては、やってくるのが遅かったような……
「いつもアリスがいるときに戻ってくるよな。仲良しなのかな?」
「よくないよっ」
「もきももきゅ」
アリスとベビモの声がハモる。
うん、やっぱり仲いいな。
「でも敵じゃなくてよかったよ。あ、アリス。もうレイアントたちは連れて来なくていいからな」
「ん〜、でも、ちゃくみ、まだなんかいりゅよ」
「へ?」
アリスは、ベビモがいた辺りから、まだ目を離していない。
そこには、雪が積もった大きな木が一本あるだけだ。
「な、なにもないように思えるけど、まさか、あの木、いきなり動いたりしないよね?」
「き、ちがうよ。ぶらぶらしてるの」
「あ」
確かに木の枝に、小さなものがぶら下がっている。
それも以前、見たことがあるやつだ。
彼女の肩、スーさんの隣で、もぞもぞと動いていた真っ黒な蜘蛛。
お尻から糸を出し、逆さまの状態で枝の下で揺れている。
「……彼女が俺たちの様子を知るために偵察によこしたのかな」
そうだとしたら、サボってるとこを見られるのはまずい。
ちゃんと修行して、アリスより強いとこをアピールしなければ。
「さ、さあ、修行を再開するぞ。なんだなんだ、もうへばったのか。そんなことでは、まだまだ、俺には追いつけないぞ」
「わかた。きょは、いちゅもより、いぱいがんばりゅ」
「そ、それはやめとこう。む、無理はよくない」
ちらっと横目で蜘蛛を見ると、あきれたように八本の足で器用に、やれやれ、のポーズをとっている。
なんだろう。
蜘蛛からの視線がなんだか懐かしい。
うまく言えないが、少し前まで、似たような感じの雰囲気をずっと身近で、感じていたような気がする。
「もき、もきゅきゅ?」
あれ、たべていい?
ベビモがヨダレを垂らして蜘蛛を狙っていたので、慌てて止めた。
「食べちゃダメだぞ、おいしくないからな」
「もきゅう」
残念そうなベビモに、ぶら下がっている蜘蛛が、ツッコミのポーズをとっている。
なんでやねん、という声が聞こえてきそうだ。
うん、やっぱり、どこかで会ってる気がするんだよな、あの蜘蛛に。
じーー、と蜘蛛を見つめていると、照れたように蜘蛛が沢山の足で顔を隠す。
心なしか、少し赤くなってる気もする。
「ちゃくみ、しゅぎょうは?」
「あ、ああ、頑張らないとな。今日は最後に対戦もしてみようか」
「わぁい、ありしゅ、それすき」
今はリーチの差とアリスのレベルの低さで、まだなんとか勝つことができる。
彼女の使いである蜘蛛にいいところを見せないといけない。
「もきゅ、もきゅっ」
「ベビモもやるか? 大きくなるのは反則だぞ」
「もっきゅーん」
蜘蛛のほうを見ると、仲間になりたそうに、木の影からじっ、とこっちを見つめている。
ちょっとかわいくて、思わず、くすっ、と笑ってしまった。
「さあ、がんばるぞ。修行再開だ」
この日からアリスとの修行に、二匹の仲間が加わった。




