百六十九話 うちの弟子
ぺたぺた、と小さな手が俺の顔を触ってくる。
まぶたはまだ重く、なかなか開かない。
「ちゃくみ、ちゃくみ」
「うーーん、もうちょっとだけ」
かわいい攻撃から逃れるように、寝返りをうつ。
「あさだよ、ちゃくみ、おっきして」
ぺたぺたがぺちぺちにかわり、目が覚めてくる。
少しだけまぶたを開けると、日が昇ったばかりなのか、まだ外は薄暗い。
「は、はやくないか? アリス」
「はやくないよ、しゅぎょう、いこう」
眠い目を擦りながら、なんとか起き上がる。
そんな俺を見て、小さなアリスは、すごく嬉しそうに、にかー、と笑う。
「きょうは、けんのしゅぎょうがいい。ちゃくみ、あれ、もってきて」
「はいはい、レイアントとヌルハちぃはまだ寝てるから静かにな」
「りょかい」
小さい手をおでこにあてて可愛く敬礼するアリス。
レイアントは、家の地下に大きな穴を開けて、そこで寝ている。
最近寒くなってきたのでヌルハちぃも、レイアントの胸のあたりにはさまって寝ているのだが、寝返りで潰されないかちょっと心配だ。
「しゅぎょう♪ しゅぎょう♪」
「しーー」
全然、了解してなかったアリスを連れて外に出た。
日は登りきっておらず、冷たい朝の風が身に染みる。
家から少し離れた盆地に向かい、玄関に置いてあった、あれを渡す。
「はい、アリス」
「わぁ、ちぇいけん、ちゃくみかりばぁだぁ」
うん、聖剣タクミカリバーではない。
山に落ちてた木を剣の形に削っただけの、ただの木刀だ。
「重くないか? 無理するなよ」
「だいじょぶ、ありしゅ、つよいもん」
昨日までは、木刀の重さにふらついていたアリスだが、今日はもう普通にぶんぶんと振り回している。
「ヤバいな。俺も頑張らないと」
『彼女』によってレベルを1まで下げられたアリスは、最初、小さな小枝もまともに振れないくらいに弱かった。
それが二、三日で、大きな木刀を簡単に扱えるまでに成長している。
ぐずぐずしていたら、あっ、と言う間に俺を超えていきそうだ。
「……それだと彼女の条件を守れない」
腰に刺していた剣を抜いて、アリスの横で俺も素振りを始める。
ソネリオンの武器屋に売っていたものだが、魔装備ではなく、ごく普通の銅剣だ。
冒険者時代、ヌルハチに買ってもらった大剣よりはるかに軽いが、それでも今の俺には随分と重たく感じる。
「はぁ、ひぃ」
鈍っていた身体が、あっ、という間に軋み、悲鳴をあげた。
「つ、疲れたら、休憩するんだぞ」
「だいじょぶ、ありしゅ、げんきだよっ」
「そ、そうかっ、む、無理するな、よっ、はっ、ふっ」
「ちゃくみはつかれた?」
「ぜ、ぜーんぜん、ま、まったく、つかれてないさぁ、はぁはぁ」
くぅ、もはや限界ギリギリだが、師匠の意地で強がってみせる。
冒険者時代でも、こんな頑張ったことなかったぞ。
「ちゃくみは、すごいね」
「え? はぁはぁ、なにが?」
「ありしゅがよわくなったら、おなじようによわくなって、しゅぎょうしてくれりゅ」
「お、おぅ、よくわかったな、その通りだ」
どうやらアリスは俺がわざと手を抜いて、修行に付き合ってると勘違いしてるみたいだ。
い、いままでで1番頑張ってるんだけどね。
「朝ご飯の準備もあるから一旦休憩にしようか」
「え? ありしゅ、まだまだ大丈夫だよ」
「あまいな、アリス。休むのもまた修行だ。じっ、と座って、目を閉じて自然の声に耳を傾けてみろ。いままでにない強さを手にいれることができるぞ」
「ほえぇ、すごいね。さすがちゃくみだねっ」
うん、本当は休みたくて仕方ないだけだから、そんなキラキラした瞳で俺を見ないで。
「アリスは朝、何が食べたい?」
「ん〜〜、きゃれぃらいちゅっ」
「あ、朝からカレーは重たいな。それは昼か夜にしようよ」
「やぁ、きゃれぃ、きゃれぃ」
まずいな。
これは朝昼晩、3食カレーになるパターンだ。
レイアントとヌルハちぃは、もう食べ飽きてる。
アリスを呼び出すために、何回も作ってるうちに、究極カレーが出来てしまったのが裏目にでた。
「ダメだぞ、カレー以外も食べないと、強くなれないぞ」
「ええぇ、じゃ、がまんすりゅ」
ちょっと涙目で我慢するアリスが可愛くて、カレーを作りたくなる衝動にかられるが、なんとか耐え、アリスの頭を撫でる。
「えらいぞ、アリス。きっとすぐに強くなれる」
「わぁ、ありしゅ、なでなで、だいしゅきっ」
さっきまで泣きそうだったのが嘘みたいに、太陽のような笑顔を見せるアリス。
人類最強から、レベル1の幼児になっても、本質は変わらない。
拾った頃と同じように、俺を師匠として慕ってくれている。
このまま、俺が何もしなくてもアリスは一人でまた強くなっていくだろう。
しかし、それでは意味がない。
彼女の条件を満たせなければ、今度こそアリスは消滅してしまう。
「一緒に強くなろうな、アリス」
「ええっ、だめだよっ、ちゃくみはもうつよくならないでっ」
甘えて、ぽかぽかと叩いてくるアリスの拳は、昨日よりも数段、強くなっている。
もっと鍛えないと、あっ、と言う間に俺を超えていくだろう。
「……今度は、そんなわけにはいかないんだ」
手にできたマメが潰れて、血が滲む。
それでも、もう剣を離すわけにはいかない。
『弟子よりも強くなりなさい』
彼女が提示した条件は、至って普通な事だった。
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