百六十七話 スパイダーとプロポーザー
「洞窟前にタクミ一人でくるように」
『彼女』がそう言った後、画面がプツンと切れて、暗転した。
なんでも言うことを聞く。
咄嗟のこととはいえ、とんでもないことを言ってしまった。
一体、彼女は俺に何を要求してくるのか。
「ちぃ、ちっち」
ヌルハちぃが、USBメモリーが入っていた俺のポケットと、自分のことを指差している。
どうやら、隠れて俺について来るつもりらしい。
「やめとこう、ヌルハちぃ。彼女には通用しない気がする」
「ち、ちぃ」
しょんぼりするヌルハちぃを優しく肩から下ろす。
一人で行くのは心細いが、スーさんも彼女に奪われてしまった。ここでヌルハちぃまで失うわけにはいかない。
「レイアントもここで待って…… てっ、なにしゃがんでるのっ? まさか、ついていくつもりじゃないだろうなっ」
「はぁい、わたしぃ、気配を消すの得意なんですよぉ、まかせてくださいぃ」
うん、消えてないから。しゃがんでも消えないから。
「こ、今回は待っててね、レイアント」
「わかりましたぁ、残念ですがぁ、お待ちしていますぅ」
彼女が何を要求してくるかわからないが、もし、ヌルハちぃやレイアントがそれに納得しない場合戦いになりかねない。
そして、アリスを倒した彼女には、もう誰も勝てないだろう。
だったら俺が一人で行ったほうがいい。
二人に背を向けて、洞窟に向かっていく。
「……ステルス迷彩あるから、私は見つからないわよ。それでもついて行かないほうがいい?」
すれ違い様に、前にいたナギサがコッソリと耳打ちしてきた。
しかし、それにも首を振り、小声で答える。
「やめたほうがいいと思う。本当になにも通じない気がするんだ」
マキエを倒したナギサとのコンビで使うファイナル・タクミ・クエストン。
普通の相手なら、十分なハッタリになるだろうが、彼女に通じるイメージがまるで浮かばない。
「大丈夫だよ、今回は俺一人でなんとかしてくる」
「さすがタクミさぁんですぅ。どんな相手もタクミさぁんにとっては、敵ではないということですねぇ」
いつものように俺を信じるレイアントに、精一杯の強がりで笑顔を作り振り向いた。
「よくわかったな。その通りだ」
洞窟前に着くと大きな岩の前で彼女は、一人静かに佇んでいる。
その姿は、向こう側が透けて見えそうなくらいな神秘的な透明感があった。
「本当に一人で来たのね、えらいわ、タクミ」
小さい子供をほめるように話してくる。
そして、俺はそんな彼女に嫌悪感を持つことができない。
ごく自然な流れであるように受け止めてしまう。
これが彼女の能力なのだろうか。
「……アリスは?」
「今は眠ってるわ。タクミがいい子ならちゃんと元に戻してあげる。みんなも思い出すはずよ」
アリスを倒し、みんなの記憶からも消し、それを簡単に直す。
そんなことを当たり前のように話す彼女が心底恐ろしい。
「そう構えないで。私はアザトースと違って平和主義だから。ほら、この洞窟前の大岩だって、何度か破壊されてるけど、私が直していたのよ」
彼女の言葉で、はじめてそのことに気づく。
そうだ。なんで忘れていたんだ?
ミアキスがよく日向ぼっこしていた、この大岩は前にデウス博士が襲撃してきた時に粉々に破壊されている。
なのに、いつのまにかそのことを忘れていたし、大岩は次の日から普通に元通りになっていた。
どうして、そのことを疑問にすら思ってなかったのか。
「こっちの世界のことは全部管理できるの。難しいのはタクミとバグでおかしくなってるあの子だけよ」
どうして、という言葉を飲み込んだ。
聞けば彼女は答えてくれるだろう。
だけど、それを聞くのが怖かった。
みんなと同じように普通に暮らしていきたい。
自分がこの世界の特別な存在だと受け止めたくなかった。
「……アリスは本当に元通りになるのか?」
「そうね。リミッターの解除は修正できないみたい。このままにはしておけないからレベル1に戻しておいたわ」
レベル1っ!!
それってアリスが弱くなるということかっ!?
人類最強のアリスがっ、俺と同じ史上最弱にっ!!
「もうこの世界に突出した力は必要ないの。魔王と勇者も、もういらない。私が永遠の平和を約束してあげるわ」
何も言わない。逆らわない。
今はまだ、彼女に対抗すべき手段が見つからない。
下手に対抗して誰かを失うことになれば、取り返しがつかない。
みんなを復活させるスーさんは、相変わらず小鳥の姿で、気持ちよさそうに彼女の肩に止まっている。
ん? なんだ?
スーさんの隣で、真っ黒い何かがもぞもぞしている。
蜘蛛だ。
えらく大きいが、もしかしてスーさんのエサなのか?
八本の足がワサワサとせわしなく動き、まるで俺に向かってゼスチャーしているようにも見える。
食べられそうで、助けを求めているのだろうか?
ごめんな。今はお前を助ける余裕はないんだ。
目線を逸らすと、蜘蛛はガッカリとうなだれてしまった。
「あら、この子が気になるの? 大丈夫よ、エサじゃないから。こう見えて結構仲良しなのよ」
「えっ! そ、そうなんですか。よ、よかったです」
俺が蜘蛛を見ていたことに気が付いていたようだ。
あの蜘蛛もスーさんと同じように、特殊な能力を持ったモノなんだろうか?
「さて、それじゃあそろそろ本題に入るわね。私からの条件はたった一つよ」
彼女が提示した条件は、至って普通な事だった。