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百六十三話 塩麹

 

「はぁはぁはぁはぁ」


 走っている。

 朝から、もう1時間以上も山道を走っている。


 彼女が来てから、一週間。

 毎日、一緒にご飯を食べていたら、なにかわかると思ったが、いまだに、その正体はわからない。


 それどころか……


「タクミ。とりあえず、そのたるんだお腹をなんとかしなさい。みっともないわよ」

「は、はい、わ、わかりました」



 毎朝、日の出と共に、マラソントレーニングをするハメになってしまった。


「も、もうダメだ。ちょっと休憩を……」


 木陰に入って休もうと、腰を下ろす。

 しかし、その木の上から……


「ぴぃ、ぴぴぃ」

「ス、スーさん先輩」


 赤い小さな小鳥になったスーさんが見張っていた。

 いつも、俺の味方だったスーさんは、もはや完全に彼女の忠実な番犬となっている。いや番鳥になっている。


「ち、ちがうんだ、スーさん。ほ、本当に苦しくて、これ以上走ったら、俺、倒れてしまうんだ」


 じーー、とスーさんが俺を観察する。

 そして、ゆっくりと羽を交差させ……


「ぴいーー!!」


 だめーー!! と、バッテンを作り出した。


「スーさんの裏切り者っ! もう戻ってきても知らないからなっ! バーカ、バーカ、アホウ鳥っ!」

「ぴぃ、ぴぃ、ぴぴぃっ!!」


 怒ったスーさんに頭を突かれながら、再び走り出す。

 限界を超えて毎日走っているためか、少したるんだお腹もひっこんで、引き締まってきたような気もする。


 いつも、訓練しても三日坊主でやめていたが、今回ばかりは逃げられない。

 さらに彼女との生活は、肉体だけではなく、精神的にも負担が大きい。


 ご飯に関しても、かなりうるさく、食べ方の順番や箸の持ち方、肉と野菜のバランス、塩分や味付けに関しても口を出してくる。

 さすがに得意な料理まで、うるさく言われたくなかったが、それでも彼女には逆らえなかった。


 まるで強力な呪いのように、身体の奥底から、彼女に対して、決して逆らうな、という声が聞こえてくるようだ。


 アザトースなんかより、いや、この世のあらゆるものより、恐ろしい。

 このままじゃ、俺、勘違いじゃなくて、いつか本当に強くなってしまうんじゃないか。


「ピィ、ピィーーー!」


 きっちり2時間。ハーフマラソンくらい走ったところで、スーさんが終了を告げる雄叫びをあげる。


 俺はそのまま、倒れるように地面に突っ伏した。



「ちょっと、濃いわね。この味噌汁」


 ま、また始まった。

 早朝のランニングを終えて、急いで作ったわりには、今日の味噌汁はよく出来ている。

 魚のアラを使い、大豆から作った自家製の味噌でうまく調和し、具はトーフとワッカメであっさりと仕上げたつもりだ。


「お、お言葉ですが、これ以上薄くすると、美味しくなくなると思います」


 すごく小さな声で、はじめて彼女に反論してみる。

 ちなみにどれくらい小さな声かというと……


「どうした? タクミ? なにか言ったか? 聞こえなかったぞ?」


 俺の肩に座って、ミニチュア朝ごはんを食べてるヌルハちぃ(偽)にも、聞こえないくらいの小声である。


 しかし……


「聞こえましたよ、タクミ」


 いや、聞こえたんかぁーーいっ。

 思わず、心の中で突っ込んでしまう。


 なごやかだった食卓が彼女の一言で一気に凍りつき、一緒に食べていた、エンドやクロエ、ソネリオンやヌルハちぃ(偽)たちが、ぴきんと固まった。


「ふぅ、味と健康、両方を考えないと真の料理とはいえません。まだまだ修行が足りませんね」


 だったら、自分で作ってくださいよっ。


 そう言いたかったが、もちろん言わない。

 しかし、まるで俺の心の叫びが聞こえたように、彼女はキッチンのほうに向かっていく。


「よく見ておきなさい、タクミ。料理は心、そして寸分違わぬバランスなのです」


 彼女が包丁を握ったとたん、まるで後光がさしたように

 輝く。


 難しいことは一切していない。

 俺が作った味噌汁に、ほんの少し手を加えているだけだ。


 なのに、なんだっ!?


 その動作一つ一つに、微塵の無駄がなく、あっ、という間に、俺の味噌汁が変わっていく。


 薬味を細かくして出汁に入れ込んだ?

 あれはユッズかっ!? 少量のユッズを絞り、わずかに残った魚の臭みを、柑橘系で、さわやかにしたのかっ!

 さ、さらに味噌を薄めたかわりに、なにかを加えているっ。あのどろっとした白い物は、なんだ? 麦? 米? いやちがう。あんなものは、うちにはなかった。彼女がもってきた秘蔵の食材かっ!?


 あまりのスピードに、彼女の調理のすべてが把握できない。

 本当に、瞬きする間に、彼女は新しい味噌汁を作り上げた。


「さあ、みんなも食べてみて」


 新しい味噌汁に全員が釘付けになる。

 食べなくてもわかった。

 この味噌汁は俺の味噌汁を遥かに超えている。

 いままで俺が作ってきた料理が、ままごとだと思えるくらいに、彼女の料理は異次元だった。


「……まるで、タクミの上位互換じゃな」


 ヌルハちぃ(偽)の言葉に、どきっ、となる。

 さっきまで緊張に包まれていた空気が、彼女の料理一つで、一変していた。

 みんな、顔面の筋肉が崩壊したような顔で、味噌汁を堪能している。


「こんな光景を何度か見たことがある。そして、その中心にはタクミ、いつもお主がいたんじゃ」


 ヌルハちぃ(偽)が、その小さな身体で彼女を睨むと、その視線に気づいたのか。

 彼女は、微笑みを浮かべたまま、ヌルハちぃ(偽)の方を見た。


「気をつけろ、タクミ。このままでは全てを奪われる。アザトースとは比べ物にならん。間違いない、彼女こそがこの世界のラスボっ……」


 一瞬、彼女の目が大きく見開き、同時にヌルハちぃ(偽)の言葉が途切れる。


「ヌ、ヌルハチ?」

「……ちぃ、ちちぃ、ちぃ?」


 溜まっていた魔力がいきなり無くなったのか。

 ヌルハちぃ(偽)が、ヌルハちぃ(真)に戻ってしまった。


「あ、あなたは……」


 彼女によって、全てが塗り替えられていく。


 それでも言葉は続かない。


 いつも俺がいた食卓の中心に、まるで昔から、そこにいたように、彼女は堂々と君臨していた。





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[一言] バッテンにしたんなら水が降って来ないと(棒
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