百六十二話 見つかったエロ本
「そ、粗茶ですが」
震えながら、熱々のお茶をテーブルに置く。
「ありがとう」
彼女はニッコリ笑って、湯呑みを口元まで運ぶ。
俺はそれを緊張しながら見つめていた。
「いいお茶ね。タクミがたてたの?」
「は、はい、茶葉は東方のものを使用しました」
出会った時から、ずっと背筋がピンと伸びている。
誰だかわからないまま、とりあえず洞窟の中に案内したが、まだ彼女の名前も聞けていない。
しかし、どうやら彼女は、俺のことをよく知っているような口ぶりだ。
色々聞きたいが、言葉がでてこない。
なんだ、この味わったことのない緊張感は……
そう、感じているのは俺だけでなかった。
洞窟にいる面々。
ヌルハちぃやクロエ、エンドやナギサですら、遠まきに見守るだけで近づこうとしない。
場の空気をまったく読まない、あのソネリオンですら逃げ出して、どこかに行ってしまった。
そして、こんな時に頼りになるスーさん先輩は……
「ぴぃぴぃ、ぴぴぃ」
その彼女の肩にとまり、かわいい声で鳴いている。
「あ、あの」
「なぁに?」
「い、いや、なんでもないです。あ、そうだ。お茶菓子もあるんで持ってきますねっ」
「まあ、うれしいわ。一緒に食べましょう」
「は、は、はい」
こんな感じで、お話は一向に進まない。
だけど、俺の中ではずっと警報が大音量で流れている。
絶対に彼女を怒らせてはならない。
少しでも機嫌を損ねたら、何が起きるかわからない。
そんな嫌な予感がずっと止まらないのだ。
お皿に自家製の柚子羊羹をよそっていると、ちょんちょん、とヌルハちぃが指先をつついてきた。
「どうしたの、ヌルハちぃ? 羊羹食べたい?」
「ちがうわ、バカ者。そんなことしている場合ではなかろうがっ」
いつもなら、可愛い声で、ちぃちぃ、答えるヌルハちぃが、普通のヌルハチみたいに話しかけてくる。
「え? えっ? 戻ったのヌルハチっ、まさか、彼女の影響でっ!?」
「んんっ、それは違う。だいぶ前に戻っておったが、ヌルハちぃのままじゃと、お主がいつもより可愛がってくれるのでな。しばらく演技をしておった」
「え、ええっ! じゃ、じゃあ、もうあのかわいいヌルハちぃには、会えないのっ!?」
「い、いや、また魔力を使い果たしたら、戻れんこともない。し、しかし、面と向かってかわいいと言われると、恥ずかしいものだな」
照れて赤くなるヌルハちぃ、改め、大賢者ヌルハチ。
いや、かわいいのはヌルハちぃのほうだからね。
「はっ! そんなことを言ってる場合ではなかったわっ! タクミ、お主はいったい、何を連れてきたのだっ! あの女から尋常でないオーラが漂っておるぞっ!」
「う、うん、わかってる。でも誰だかわからないんだ。どこかで会ったような気はするんだけど」
そうなのだ。
初めて会ったはずなのに、何故か昔から知っているような、そんな風に思ってしまう。
しかし、俺は彼女に対して、あなたは誰ですか? と聞くことができなかった。
聞けば全てが終わるような、そんなわけのわからない不安にかられてしまう。
「と、とりあえず、今日はお茶菓子を食べてもらって、穏便にお帰りになってほしい。そのうち、誰だか思い出すかもしれないし……」
「だ、大丈夫なのか? 四神柱の朱雀、あの女に取られたんじゃろ? このままじゃと、もう誰も復活させることができなくなるぞ」
取られたというよりは、スーさんが自ら、あっちに行ったような気もするが……
「うーーん、だいたいみんな復活したし、しばらくは大丈夫かなぁ。今は、ちょっと、あの人を刺激しないほうがいいと思うんだ」
「……確かに。それについては賛成じゃな」
敵か味方かわからないが、敵に回したら勝てる気がしない。
今までは、どんな強敵も、アリスがいればなんとかなるような気がしていたが、彼女だけは例外だ。
ただの直感だが、たとえアリスが来ても、どうにもならない、と感じていた。
「ヌルハチ、なにかあったら、ここにいるみんなを転移魔法で移動させれるか?」
「ふむ、そのぐらいの魔力は戻っているが、またしばらく、ヌルハちぃになってしまうぞ」
大歓迎です、と言おうと思ったが、怒られそうなので心の中でだけ拍手しておく。
「じゃあ行ってくるよ、ヌルハチ。見守っててくれ」
「う、うむん」
柚子羊羹を持って、再び彼女の前に戻ってきた。
「おかえりなさい、タクミ。ちょっと聞きたいのだけど」
「は、はい、なんでしょうか?」
「この洞窟、たくさん部屋があるみたいだけど、もしかして、たくさんの人と暮らしているの?」
どうやら、待ってる間、洞窟の中をチェックしていたらしい。
「え、ええ。前は一人で暮らしていたんですが、色々あって今は何人かと暮らしてます」
「……まさか、それ、全部女の子じゃないわよね?」
びくっ、と身体が震える。
ずっと彼女は笑っているが、いつのまにか、その目が笑ってないことに気がついてしまった。
彼女を中心に、洞窟の温度が一気に下がり、冷気があたりを包み込む。
「そ、そうですね。ほ、ほとんどは女の子なんですけど、あ、でも、本当に成り行きというか、自分が望んでこうなったわけではなく、仕方ない事情があったというか、あ、あとちゃんとオッさんも一人混ざっているので……」
別に悪いことをしたわけではないのに、必死に言い訳をしてしまう。
なんだ、この息苦しさは。
例えるなら、母親にはじめてエロ本が見つかった時のような。
今すぐ、この場から逃げ出したい衝動に駆られてしまう。
(ダ、ダメだ。ヌルハチ、とりあえず、どこかに飛ばしてくれ)
キッチンのほうにいるヌルハチに合図を送るが……
ふるふるふる、と首を横に振っている。
まさか、転移魔法が使えないのか?
「魔法は使えないわ。あれもシステムによるものだから。全部私の中にあるの」
「ぴぃぴぃ」
彼女の言葉に賛同するように、肩にとまった小鳥スーさんが相槌を打つ。
「逃げられないから全部、正直に答えなさい、タクミ。あなた、もしかして、ふしだらな生活を送っているの?」
なんと答えたら正解なのか。
もう一度、キッチンを見るとヌルハチはいなかった。
洞窟にいるはずの、他の者達の気配もなくなっている。
彼女の迫力に、みんな、普通にこっそり洞窟から逃げだしたらしい。
「ふ、ふしだらではないですがっ、す、少しダラけた生活をしていましたっ」
彼女の目がすっ、と細くなり、さらに温度が下がり、洞窟が凍りつく。
正直に言って正解だったのか。
いや、恐らく正解ではなかったはずだ。
彼女は、洞窟から帰ることなく、正体もわからぬまま、新たな同居人となってしまった。