百六十一話 聖母
「タクミ殿、最近ちょっとダラダラし過ぎじゃないでしょうか?」
「ふえっ!」
洞窟前でレイアントと日向ぼっこしている所にクロエがやって来た。
痛いところをつかれ、動揺して変な声を出してしまう。
「なぁにを言うのですかぁ、黒トカゲぇ! たぁくぅみさんは、何もしてないでゴロゴロしているように見えてぇ、これからの戦いの計画をぉ、考えてるに決まってるじゃないですかぁあぁぁ」
「さすが、レイアント、よくわかったな、その通りだ」
本当は、クロエの言ったとおり何もせずゴロゴロしてるだけだが、怒られそうなので合わせておく。
「ほんまかなぁ、最近、タクミ殿、かなりお腹でてきてるで、ついでにレイアもな」
「うっ」
「うぅぅぉ」
再び痛いところをつかれ、二人同時にお腹をおさえた。
たしかに、これまでになかった駄肉が、ぽよん、ぽよん、とゆれている。
たしかにここ数日、調子にのって、巨大化料理を食べすぎた。
「全部うまくいってるみたいやけど、まだ問題はいっぱい残ってるはずやで。カル姉やサシャはまだアザトースのとこやし、うちのじいちゃんやドラゴン族もどこにいったかわからへん。それにアリスも行方不明のままやんか」
うむ、たしかにその通りだ。
しかし、俺が頑張ってもそれらの問題は解決しないのだよ。残念ながら。
「まあ、落ち着け、クロエ。もうすぐ、すべてが解決する」
俺以外のみんなの活躍で、と心の中で付け足しておく。
「さすがぁ、たぁくぅみさんはぁ、ぽっちゃりしててもぉ、頼りになりまぁすぅ」
「そ、そう? でもちょっと痩せないとヤバいよな。食後にちょっと走ろうかなぁ」
「いいですねぇ。わたしもぉ、ご一緒していいですかぁ」
うん、それは勘弁してね。
山の形が変わる大災害になるから。
俺とレイアントのやりとりを見ていたクロエが、あきらめたように、ため息を吐く。
「……わかりました、タクミ殿。もうしばらく様子を見ることにします」
興奮している時に出るドラゴ弁もなおっている。
ひとまずは落ち着いてくれたようだ。
「けど、なんだかとても嫌な予感がするんです。アザトースが襲撃したときのような。いえ、それよりももっと酷いことが起きそうな……」
あの時って、たしかみんなやられて、俺、死んだよね?
それより酷いことなんて存在しない気がするんだけど。
「大丈夫、大丈夫、最近ずっと調子いいから。料理の腕も戻ってきたし、これからは全部うまくいくよ、ねぇ、レイアント」
「はぁい、たぁくぅみさん」
うんうん、焦って動いても仕方ない。
ここはもうちょっとゆっくりして、アリスが帰ってきてから、頑張ろう。主にアリスに頑張ってもらおう。
『……タクちゃん』
「ん? どうしたんすか、先輩?」
急にスーさんが話しかけてきて、レイアントやクロエに聞こえないように小声で話す。
『壊れてたメインシステムが治っとる。いや、治っとるのとは、ちょっと違うみたいや。全く新しいシステムに書き換えられとる』
「へぇ、そうなんだ。じゃあレイアントも戻っちゃうのか」
最初は、えらいことになったと思ったレイアントだが、なんでも大きくできるレイアントは便利で仕方ない。
巨大食材のおかげで、魔王の大迷宮にいる72柱の魔族たちにも、食料を運ぶことが出来ている。
戻る前に大量に食材を巨大化しておいてもらおうかな。
『いや、すぐには戻らへん。新しいメインシステムの修正範囲があまりにも狭すぎる。……なんやろ、これ。まるで普通の人間みたいな……』
スーさんが何を言ってるのか、よくわからないが、しばらくレイアントは戻らないみたいだ。
よかった。今日の晩御飯は巨大ハンバーグにしよう。
『……タクちゃん、クロエやないけどワレもなんか嫌な予感するわ。とんでもないものが、ゆっくり近づいてきてるような、そんな気がするねん』
「え? そう? もしかしてそれってアリスじゃないかな? 大丈夫だよ。結構無茶するけど、話せばちゃんということ聞いてくれるから」
『いや、そんなんとちゃうねん。なんやろ、コレ。うまく言われへんねんけど…… あっ』
スーさんが驚いたような声をあげた瞬間、ふわっ、と優しい香りが漂ってきた。
なんだろう、これは?
どこか懐かしいような、落ち着く香りだ。
でも、それをどこで嗅いだのか、思い出せない。
『……ゆっくりやなかったわ。そやな、システムやもんな。どこでも自由に転送べるんか』
「へ? 何がだ、スーさん? あれ? あの人は?」
いつのまにか、少し先にある木のそばに、彼女は立っていた。
おっとりした顔と優しそうな黒い瞳。
何色とも言い難い、淡い色のワンピースを着ている。
どこかで見たことがあるような気がするが、やはり思い出せない。
彼女は木陰から覗きこむように、俺のほうをじっ、と見ている。
「あのぅ、どちら様ですか? 失礼ですけど、昔会ったこと、ありましたっけ?」
『あかんっ、タクちゃんっ、近づいたらっ……』
ひゅんっ、という音と共に、半身を奪われたような、とてつもない喪失感に襲われる。
「……ス、スー、さん?」
呼びかけても、もうその声を聞くことはできなかった。
かわりに、こちらを覗いている彼女の肩に、小さな紅い鳥が止まっている。
何故だか俺はそれがスーさんだと確信してしまう。
「あ、あぅ、あ、あ」
何か言おうとしたが声にならず、ただ彼女に向かって手を伸ばす。
そんな俺を見た彼女は、静かに、そしてニッコリと微笑んだ。
一瞬、自分がどこにいるかわからなくなる。
深く、そして暖かい海の中にいるような感覚。
何もかもどうでもよくなり、そこでずっと、丸まって眠りたい欲求が身体を支配していく。
「たぁくぅみさんっ!!」
レイアントの巨大な声で我にかえる。
辺りは、いつもの洞窟前に戻っていた。
もう一度、意識をしっかり保つように、ゆっくりと彼女を見据える。
強敵に出会った時のような畏怖はまるでない。
むしろ、この世のものとは思えないほどの安心感に包まれていく。
彼女は、聖母のような慈しむよう瞳で、ただずっと俺を見て微笑んでいた。




