閑話 彼女とアリス
ゆっくりと大きく息を吸う。
限界までギリギリ。
そして、またそれをゆっくりと吐き出していく。
「はぁぁぁあぁ」
全身に力がみなぎり、すぐにでも解放したいと身体が疼きだす。
まだだ、まだ早い。
衝動の赴くままに、力は使わない。
それだけでは勝てない相手がいることを知る。
偽物のタクミが本物と入れ替わった時、一瞬で気づき、拳を止めることが出来れば、ワタシは負けなかった。
今のワタシに必要なのは、単純な力ではない。
状況に応じ、静と動を使いわけ、ワタシはもっともっと強くなる。
爆発しそうになる力を押し留めたまま、目の前にある大木を長時間、睨んでいた。
限界が近い、いや、ここからだ、限界のギリギリまで、否、限界を超えて……
ぴしっ、ぴしっ、と溢れ出した力が、身体を内部から破壊していく。
「あぁあぉああぁあぁあぁィィィィッ!!」
崩壊寸前の一歩手前で、ワタシは産声のような叫びをあげて、大木に向かって真っ直ぐ拳を突き出した。
いまだっ!!
限界を超えて貯めた力を開放した一撃。
だが、ワタシはそれを止めなければならない。
この大木はタクミだ。
もし、貫けば、またワタシは敗北する。
「タクミっ!!」
びたっ、と大木に当たる寸前で、拳を止めようとする。
びききききっ、と反動が腕から全身に広がっていく。
身体のすべてが吹っ飛びそうな衝撃に耐えながら、拳を突き出したまま、前を見る。
止まっていた。
わずか数ミリ。
大木に当たる寸前にワタシの拳は止まっていた。
ばさぁ、と風圧で、大木の葉っぱのすべてが落ち、ワタシに降りかかる。
大木を中心に、まわりにある木々は全部折れ、山は禿げ上がっていた。
ここまでくるまでに、随分と長くかかったものだ。
「はぁぁぁ、ありがとうございました」
呼吸を整え、大木に、山に、一礼する。
少しずつ、ほんの少しずつ強くなっていることを実感した。
だけどまだまだだ。
これぐらいで満足してはいられない。
酒場の噂では、タクミがレイアを巨大化させて、アザトースの部下を撃退したと言っていた。
どこまでも進化していくタクミに、どうやったら追いつけるのか、まるでわからない。
それでも修行をやめることはできなかった。
ワタシは、いつかタクミの隣で……
「あらまあ、ずいぶんと面白いことをしているわね」
ぶわっ、と熱を帯びていた身体が一瞬で凍りつく。
ワタシの後ろに見知らぬ女が、立っていた。
馬鹿なっ!
ここまで接近されるまで気がつかなっただとっ!!
「なん…… きさ…… は」
なんだ、貴様は?
そう言おうとした言葉が出てこない。
長い黒髪。年は三十くらいか。
おっとりした顔と優しそうな黒い瞳。
何色とも言い難い、淡い色のワンピースを着ている。
一見、どこにでもいる、のほほんとした普通の女のはずなのに。
ワタシは息がまともに出来ないほどの焦燥感に駆られている。
魔王やヌルハチ、シロやクロ、そしてアザトースとも違う。
これまで、どんな強者と相対しても、こんな風になったことはない。
誰にも負ける気はしなかった。
いや、たった一人だけ……
「でも、ちょっと折れた木がかわいそうね」
彼女はそう言って、手を合わせ、祈るような仕草をする。
それだけで折れた周りの木々が、一瞬で元通りに再生された。
「これでよし」
そう言ってにっこり笑った彼女を見て確信する。
そっくりだ。
彼女は、あまりにも、あまりにもっ!
「あなたがアリスさんね」
そうだ、という言葉は、やはり声にならず、なんとか首を縦に振る。
お前は誰だ?
その言葉を言う必要はなかった。
戦っても勝てる気がしない。
そう感じたのはタクミ以外で初めてだ。
姿、形ではない。
彼女はあまりにもタクミとそっくりな雰囲気を身に纏っていた。
いや、信じられないことに、それ以上の、タクミ以上の力を感じてしまう。
「大丈夫よ、なにもしないわ。そんなに緊張しないで」
彼女がワタシに手を伸ばし、びくんっ、と身体を震わせる。
動けない。
逃げることも戦うことも出来なかった。
ワタシに出来たのは、ただ馬鹿みたいに突っ立っていることだった。
ふわっ、と暖かいものが頭に触れる。
その手は、ワタシの頭を優しく、なでなでした。
「いつもタクミがお世話になってます。ありがとうね」
「あ、あ、あぅ、あぅ、あー」
一緒だった。
そんなところまで同じだった。
全身から力が抜け、立っていられなくなり、その場から崩れ落ちる。
ワタシは涙を流しながら、タクミの言葉を思い出した。
『天におられる我が父、創造の神よ。地におられる我が母、大精霊よ。数多の命の恩恵を今日も賜ります事を奉謝致します』
タクミの父は、創造神、そして母は……
「……だ、大精霊」
この世界にある理のすべてを管理する大精霊。
その姿を見たものはなく、伝説として語り継がれるだけの偉大な存在。
だが、実際に目の当たりにした姿は伝説なんて、生優しいものではなかった。
今後、どれだけ修行しても、たとえ何千年修行しようとも、その力の片鱗すら、触れることすらできないだろう。
ガクガクと震えながら、それでもワタシは彼女に聞かなければならないことを、絞り出すように質問する。
「あ、あなたは、タ、タクミの味方ですか?」
笑ったままの表情で、彼女は、すっ、とワタシを見据えた。
それだけで、悲鳴がこぼれそうになり、逃げ出したくなるのを必死に押さえる。
「息子の敵になる母親はいないわ。まあ、ちょっと、父親と揉めてるみたいだから、仲裁にきただけよ」
すべてが終わる。
直感的にそう思った。
タクミが築き上げてきたものが、平和な日々が、この世界が、なにもかもが崩れていく。
そんな最悪のイメージが頭の中に充満していく。
「や、やめて、お、お願い、タクミのところに行かないで」
子供が泣きながら駄々をこねるように訴えかける。
彼女は、そんなワタシに再び優しく微笑みかけた。
「大丈夫よ。タクミは素直でいい子だから。きっとうまくいくわ。その後はみんなでご飯でも食べましょう」
まったく同じ笑顔なのに、この世の終わりを告げられたような錯覚に陥ってしまう。
ダメだ。絶対に彼女をタクミの所に行かせてはならない。
「あらあら ……もしかして、私と戦うつもり? それはやめといたほうがいいかな」
そんなことはわかっている。
でも、たとえ、勝てなくても、ほんの少しだけでも、たった数秒でも、タクミには平和な日々を過ごしてほしい。
いままでのすべてを、全力で彼女に叩きつける。
それだけを思って、拳を握る。
動かなかった身体に、熱い血が、どくどくと流れていくのを感じた。
「すごいわね。先に会いにきてよかったわ。アリスさん、やっぱりあなたは……」
「参るっ!!」
彼女の言葉を遮るように、拳を突き出す。
それは今までになく、あまりにも自然で、全身から拳の先まで、力が流れていくような、生涯最高の一撃だった。
どんっ、と空気を引き裂いて、ワタシと彼女を中心に衝撃の波動が広がり、再生した周りの木々は、再び、一本残らず、バキバキとへし折れていく。
そんな中で彼女は、まるでそよ風を浴びているように、幸せそうに笑っていた。
「そんなところまで同じだった」アリスのなでなでエピソードは(第一部 第五章 閑話 アリスと魔王)に、偽物のタクミと間違えてアリスが〇〇しちゃったエピソードは(第四部 第四章 百二十六話 紅い闇)に、そして父は創造神、母は大精霊エピソードは(第一部 転章 閑話 アリスとタクミ)に載ってます。
忘れちゃった人は、ぜひご覧ください(=^ェ^=)




