百四十四話 大賢者 ヌルハちぃ
転移の鈴が鳴ってから、しばらくの時が流れた。
いつもすぐにやって来ていたヌルハチは現れない。
その身体の一部でも現れてくれたら、朱雀の力で復活させることができるのに……
「ヌルハチっ」
もう二度と彼女を見ることができないのかっ。
あきらめて膝をついた時だった。
「……ちぃ」
小さな、本当に小さな、小鳥が鳴くような声が聞こえた気がした。
「ソッちん、何か、言った?」
「いえ、何も言ってませんが」
「じゃ、じゃあ、何か聞こえた?」
「いえ、まったく。タクミ様は何か聞こえたのですか?」
「い、いや、気のせいだったのかな」
辺りを見回してみたが、やはり何もない。
さっきのは、俺がヌルハチを求めるあまり聞こえた幻聴だったの……
「ちぃ」
「聞こえたぁっ!!」
幻聴なんかじゃないっ。
今度ははっきりと聞こえた。
限りなく小さいが、この声は確かにっ。
「ヌ、ヌルハチだっ、どこかにいるんだっ、今度は聞こえただろ、ソッちんっ!」
「い、いえ、本当にまったく聞こえません。だ、大丈夫ですか、タクミ様っ」
滅多なことで動揺しないソネリオンが慌てている。
俺がおかしくなったと思っているのか。
確かにヌルハチの姿は、どこにも見えない。
声だって本当に小さくて、気のせいだと思ってしまう。
でも、違う。
ヌルハチは近くにいる。
すごく、近くに感じるんだ。
「どこだっ、いるんだろっ、ヌルハチっ! 出て来てくれっ! 姿が見えないのかっ! もう一度、声を出してくれっ!」
「ちぃっ」
聞こえた。
今までよりも大きな声で。
それでもやはり、本当に小さな声で。
ヌルハチは精一杯、声を出してくれた。
だから、わかったんだ。
ヌルハチがどこにいるか。
そう、ヌルハチの声は俺の右側からしか聞こえてこなかった。
「ソッちん、俺の右耳を見てくれ」
「え? 耳ですか? はい、非常に福耳で、耳たぶが、ぷにぷにしてますが?」
「いや、形状の事じゃないよっ 中を見てっ! 耳の中をっ!」
はっ、とようやくソネリオンが俺の意図に気づいてくれる。
「ええっ!? まさかっ!!」
右耳の中を見たソネリオンが、目を開く。
やっぱり、いたんだ。
俺に声を届けるために。
そんなところに、転移していたのか。
「ヌルハチっ!」
「ちぃっ!」
大賢者ヌルハチは、俺の右耳の中で、超小型サイズで、嬉しそうに声を上げた。
小指の爪ほどしかないミニチュアサイズのヌルハチを慎重に洞窟に運び込んだ。
キッチンのテーブルにそっ、と置くと、ソネリオンは虫眼鏡でまじまじと観察している。
「ち、小さいですね。しかし、間違いなく大賢者ヌルハチ様です」
「ちぃちぃ」
当たり前だ、とでも言ってるのだろうか。
今のヌルハチは、「ち」と小さい「ぃ」しか、喋れないようだ。ちょっと、いや、かなり可愛い。
「これは一体どういう状態なんだ? ヌルハチは魔力を使いきって消滅したんじゃなかったのか?」
「推測の域はでませんが、おそらくは少しだけ、微粒子ほどの魔力が残っていたのでしょう。それで維持できるのが今の大きさといったところですね」
あれ? と、いうことはヌルハチ死んでない?
転移魔法が宿った鈴で召還されただけなのか。
「もしかして、朱雀の力で元のヌルハチには戻せないのか?」
「そうですね。朱雀の能力は蘇生です。魔力の回復とはまた別の能力と考えるのがよろしいかと思われます」
なんてこった。このままヌルハチを完全復活させて、すぐにレイアやクロエを見つけてもらおうと思っていたのに……
小さいヌルハチをじっ、と見つめる。
魔力がかなり減った時は、子供のチハルになっていたが、限界までなくなるとそのまま小さくなるのか。
「ち?」
どうしたの? みたいに首を傾げるミニヌルハチ。
うん、やっぱり超かわいい。しばらくこのままでいいかもしれない。
「ソッちん、ヌルハチはどれくらいで元に戻るのかな?」
「そうですね。いままでは山が丸ごと消えていたので魔力が吸収できなかったみたいですが、見事復元して頂けたので、これからは徐々に回復していくと思いますよ」
「え? 魔力って山から吸収できるの?」
「いえいえ、山と言わず、この世界のあらゆるものには魔力が流れてます。ただ、アザトースはその魔力ごと、ここら一帯を消し去っていたのです」
魔力ごと?
アザトースは、世界の一部を完全に切り取っているのか?
だったらそれを元に戻すことができる朱雀は、思った以上にすごいのかもしれない。
やってる時、超熱いけど。
「タクミ村に戻ってもヌルハチは回復していくんだよな?」
「ええ、村でも魔力を吸収できるでしょう。しかし、ここにいたほうが回復は早いと思います。自然には魔力が宿りやすく、この山はかなりの魔力に満ちていますので」
「ちぃちぃ」
小ヌルハチがコクコク頷いてる。
どうやら同じ意見のようだ。
あと、相変わらず超かわいい。
「よし、住んでいた洞窟も復活したし、拠点をこっちに戻そう。ソッちん、悪いけどナギサやダビ子に伝えてくれないか?」
「かしこまりました。早速行ってまいります。私もなるべく早く引っ越しの準備をして参りますので、お待ちになってて下さい」
「え? ソッちんもここに住むの?」
「え? もちろんですよ、タクミ様」
「……」
「……」
「ちぃ」
はっ! ちょっと固まってしまっていた。
小ヌルハチの声でようやく覚醒する。
「あれだよね? アザトースのことが片付くまでの間だけだよね?」
ソネリオンはニッコリと笑うだけで返事をしてくれない。
そのまま、一礼して素早く山を降りていく。
え? どっち? 全部終わったら帰ってくれるよね? 帰ってくれるんだよね?
「ちぃ?」
大丈夫? みたいに小ヌルハチがつんつん、と俺の指に触ってくる。
「う、うん、きっと大丈夫だ、ヌルハちぃ」
俺は微妙な笑顔を浮かべながら、その小さな頭を、指先でそっと撫でた。




