百四十話 神と悪魔
アザトースが引き篭もった。
久遠匠弥に四神柱・朱雀を奪われたのが、よほどショックだったらしい。
私と違い、息子の力を信じていたが、さすがに自ら作り出したシステムを奪われるとは思っていなかったのだろう。
ぽかん、と大口を開けて、うそやん、と呟いたアザトースの顔は、別人と見間違うほどに崩壊していた。
その後は、王室に入ったきり出てこなくなり、扉の前に食事を運ぶ日々が続いている。
「マキエ、アザトース、死んじゃったの?」
「大丈夫よ、アサ。なんとか生きてるみたい」
最初は、ほとんど残していた食事も、今は全部平らげていた。
復活は近いと思っていいだろう。たぶん。
「それよりも、今は久遠匠弥よ。偵察の結果はどうだった?」
「うん、すごいことになってたよ」
アサから一枚の写真を渡される。
ドローンで撮影したものではなく、システム霊視カメラで直接捉えたものだ。
「な、な、なにこれ?」
そこに写っていた久遠匠弥の姿は、あまりにも常軌を逸していた。
前と同じように、バイクに乗って疾走しているのは、変わっていない。
しかし、久遠匠弥の背中には、システム霊視カメラが捉えた大きな紅い翼が広がっている。
やはり、アザトースから、朱雀を奪ったのは久遠匠弥だった。
しかも、ただ奪っただけではない。
なぜか、朱雀の翼が左右六枚ずつの十二枚に増殖し、まるで大天使のような威厳と神々しさを兼ねそろえ、大進化を遂げている。
そして、変化はそれだけに止まらず、乗っているバイクにも影響を及ぼしていた。
真っ黒だったバイクは、久遠匠弥の翼の色に同調したのか、炎のような紅蓮に染まっている。
タイヤは、とげとげしいスパイクタイヤに変わり、長かったエイプハンガーのハンドルは、さらに倍くらいに伸びていた。
最も大きな変化はマフラーで、久遠匠弥の翼の数に合わせたように、十二本に増量され背後に伸びている。
その一つ一つが、ロケットの噴出口のようにデカく、妖しい光を放っていた。
「……神にでもなるつもりなのっ、久遠匠弥っ」
無意識のうちに力が入り、機械の左手がくしゃっ、と写真を握り潰す。
「と、とりあえず、アザトースには見せないで。確実に引き篭りの期間が長引くわ」
こくん、と頷くアサの頭を右手で優しく撫でた。
引退しようと思っていたが、アザトースがこのままでは、それもままならない。
せめて、彼女がいてくれれば……
「……もう一つ、カセイフ、いえ、ナギサの消息はつかめたの?」
「ううん、向こうでDNAのついた服だけが発見されただけ。捜査部はもう、ファイナルクエストンによって消滅したということで、調査を終了したみたい」
部隊きってのエリート隊員だったナギサですら、ほとんど痕跡を残さずに始末された。
たとえ、アザトースが復活しても、今の久遠匠弥に勝てるとは思えない。
「もう私たちだけではどうにもならない。……このまま行けば、全面戦争になってしまう」
こちら側の人間は、誰も犠牲にならないはずだった。
圧倒的な力の差を見せつけて、無血で世界を制覇する計画は完全に崩壊する。
「圧倒的な力の差を見せられたのは、こっちのほうだったわね」
恐らく、このままだと裏フェーズに移行するだろう。
制圧前に、残った人類すべてを転送し、数の力で押し切るしかない。
それでも、神に等しい力を持った久遠匠弥に、まったく勝てる気がしない。
「……マキエ、偵察に行ってるヒル姉ちゃんから連絡がきた」
アサとヒルの設定、『同調』により、通信機がなくとも、いつでも二人は念話で会話できる。
一瞬で青い顔に変わったアサを見て、よくないニュースだということは見て取れた。
聞きたくない。だが、それでも私は聞かなければならない。
「ヒルは、なんて言っている?」
「……言葉が支離滅裂で、何を言ってるのか、よくわからないのっ」
『完成した。近づいてはならないのに、吸い込まれるように、身体が動いてしまった。もう無理だ。止まらないっ! やめて、それ以上っ! ああっ、破裂してしまうっ!』
ヒルが送った言葉を、アサがそのまま伝えてくれる。
恐らく、ヒルが最後に残したメッセージだ。
「……完成したのか、禁魔法を超える究極の破壊魔法が」
「う、うぐっ、ヒルっ、姉ちゃんっ」
泣き崩れるアサを慰めている暇はない。
久遠匠弥は、決定的な切り札を手に入れてしまった。
ヒルの言葉から推測するに、久遠匠弥の魔法は近くにいる標的を吸い寄せて爆発させるものだろう。
その範囲はわからないが、もしかしたら世界すべてに及ぶまで、広がっていく可能性がある。
「……もう、アザトースが出てくるまで待てないわ。アサ、最終フェーズの準備を……」
「あっ」
ガチャリと、王室の扉が開き、アサが声をあげた。
振り向くと、そこには幽鬼のようにやつれたアザトースが立っている。
「アザ……」
声をかけようとして踏み止まった。
明らかに今までのアザトースとは違っている。
【『「(匠弥の魔法が完成したのか)」』】
その口から出る言葉はもはや人間のものではなかった。
いくつもの声が重なり、ハウリングを起こしている。
「……なにを、したの、アザ、トース!?」
闇に覆われたアザトースの身体から、何かが這い出るように、はみ出していた。
禍々しい四体の凶獣。
自我を保っていることすら、奇跡的だ。
その姿は、まさに……
【『「(四凶を取り込んだ。これで、わずかだが、アイツに勝つ可能性ができただろう)」』】
久遠匠弥が神なら、アザトースは悪魔になったのか。
やはり、二人は親子なのだ。
ただ引き篭もるはずがない。
アザトースは、こんな絶望的な状況でも、諦めず、立ち向かう手段を模索していたのか。
わずかどころじゃない。
暴挙の限りを尽くした凶悪な四体の力を融合すれば、あの久遠匠弥とすら互角に戦える。
【『「(さあ、行こう。最終決戦だ)」』】
アザトースが、魔剣カルナを高々と掲げあげる。
世界の命運をかけた最強の親子喧嘩が始まろうとしていた。




