閑話 シロ
さてさてどこから語ろうか。
この世界が自然にできたものでないことはわかっていた。
何もない真っ白なワタシはゼロ。
そして、そこに生まれた小さな黒い点はイチ。
0と1。
誰かがそれを創り出し、すべてはそこから始まった。
「……完全に遮断されているヨ、クロ。すべてのシステムは上書きされてイル」
「そうダナ、シロ。ワタシたちは狭間の世界に閉じ込められた」
盤上に立つこともできない。
それでも、タクミやアリスがいるならば、干渉しなくていいと思っていた。
「この世界にいるはずのアリスを確認できない。そして、タクミは聖杯を失った」
「絶望的ダナ、シロ。圧倒的なワンサイドゲームだ」
どれだけの戦力差があるのか想像もつかない。
さすがは創造主といったところか。
やりたい放題、なんでもアリというわけだ。
「どうする、シロ。このまま、ただ世界が壊れていくのを眺めているノカ?」
「あまり気分のよいものではないネ。子供のおもちゃを取り上げるなんて、大人のすることじゃないヨ」
透き通るような狭間の世界から、静かに下界を見下ろす。
盤面は最終局面を迎えようとしていた。
「書き換えられたシステムを修正するヨ、クロ。コッソリと見つからないように」
「神々のシステムは全部繋がってる。すぐにバレてしまうゾ、シロ」
「いいんだヨ。ほんの刹那で十分ダ」
この世界における神々のシステムは、元々ワタシとクロが作ったものだ。
そのシステムを創造主はいとも簡単に、上書きして書き換えたのだ。
「本来ならば、とっくに決着はついてイタ。主人公が入れ替わった時点で、最終回を迎えていたはずなんダヨ。それなのに、物語はまだ続いてイル」
そして盤面から消えたはずの王は帰ってきた。
「創造主はずっと恐れている。彼だけを恐れているんダ。もしかしたら、自分と同じように世界を創ることができる、そう思っているノカ、……ノカ、ノカ、ノカ、ノカ、ノカ、ノカ、ノカ、ノカ、ノカ、ノカ、ノカ、ノカ、ノカ、ノカ、ノカ」
「……勘違い、いや、ただの親バカだナ、シロ」
「それが創造主の、アザトースの、唯一の弱点ダ」
たった一回。
一度だけの奇跡でいい。
それがワタシたちでなく、彼が起こしたものと勘違いさせれば、局面はひっくり返る。
「さあ、いくヨ、クロ」
クロはもう口を開かなかった。
そのまま、二人でシステムに手を伸ばす。
膨大なシステムの一部分。
四神柱の一角、朱雀だけでも取り戻せば、失った仲間を生き返らすことができるだろう。
「……ダメだ、シロ。もう見つかったゾ」
あと少し。
しかし、システムを書き換える寸前に、その四体は目の前に現れた。
ワタシたち以外に、入ったことのない狭間の世界に、軽々しく、その足を踏み入れる。
「……裏四神・四凶」
裏という言葉が実にしっくりとくる。
神々しい四神と正反対の、あまりに禍々しい四凶の獣。
目、鼻、耳、口の七孔がない六本足の犬、渾沌。
羊の身体に、人の顔、目がわきの下にある、饕餮。
針鼠の体毛を持つ翼の生えた虎、窮奇。
人の頭に虎の身体、猪の牙を持つ、檮杌。
「創造主が気づいたわけではないヨ、クロ。システムエラーに反応して、自動で守っているんダ」
「そうか。コイツらを倒せば、いいだけダナ」
四凶は、ただのシステム守護神ではない。
完全削除。
この凶悪で醜い獣たちは、この世界のあらゆるものを、二度と復元できないように、消去することができる。
「気をつけるんだ、クロ。欠損した部位は二度と……」
どんっ、とクロが渾沌に向かっていきなり突進した。
相変わらず、話を聞かない。
体当たり気味に繰り出した拳が渾沌の胴体に深々と突き刺さる。
「まずは一匹ダっ」
そう叫んだクロが突き刺したはずの腕がないことに気づく。
渾沌に突き刺さった右腕は、ぐずぐずに溶けて、この世界から消滅していた。
そして、渾沌はまるで何事もなかったように、その場で自分の尻尾を追いかけてグルグル回っているだけで、前に進むことなく、口もないくせに、空を見て、くっくっ、と笑っている。
「クロっ!」
動いたのは他の三体だった。
饕餮が背後からクロの脇腹を噛み砕き。
窮奇は宙に舞い、クロの頭にかぶりつく。
檮杌はただ真っ直ぐにクロに向かって突進した。
戦闘から、約一秒。
ワタシとほぼ同等の力を持つクロは、一瞬でゴミ屑のように変わり果てる。
ぐるぐるとまわっている渾沌以外は、もはや原型を留めていないクロを、むちゃっ、むちゃっ、と補食し始めた。
「大丈夫ダ、シロ。ゴミ箱に行くだけダ。完全に消去されるまえにシステムを書き換えれば、問題ナイ」
そうか。ゴミ箱が空になる前なら、その痕跡を復元できる。
四凶と戦うクロに背を向け、再びシステムに手を伸ばす。
渾沌の笑い声と、咀嚼音が重なり、狭間の世界に不協和音が流れていく。
「間に合わせるヨ、クロ」
タクミがいなくなってから世界は一変した。
残酷で無慈悲で情け容赦ない展開がずっと続いていた。
でも、もう大丈夫だ。
深く深く、システムの奥まで潜り込む。
長方形の板状の筐体におよそ百前後の鍵が設置されていた。
鍵には、文字、記号、機能等が印字されている。
筐体に手を伸ばし、初めに0の鍵を、次に1の鍵を打ち込んだ。
システムの核から、四神・朱雀を取り出して、その権限をタクミに書き換える。
「主人公はタクミだけダ」
逆転の一手が、パチン、と盤面に放たれた。