百二十八話 久遠匠弥の華麗なる一日
『久遠匠弥の朝はいつも遅い。
深夜アニメにハマっているため、起床はいつも昼過ぎだ。
朝食は摂らず、昼にカップ麺を食べる。よほど気に入ったのか、いつも同じメーカーの物しか食べない。
それから深夜まで、テレビゲームに勤しみ、疲れたら休憩して、スナック菓子を食べながら漫画を読む。
そして、深夜遅くからアニメを見て、朝方に就寝する。
それが久遠匠弥の一日のルーティーンだ』
「なに、このダメニートみたいな生活」
月に一度の定期報告。
いつもと同じカフェ、いつもと同じオープンテラスに二人座っている。
報告書を読んだナギサがホットコーヒーを飲みながら呆れていた。
匠弥の現状をアザトースに報告するために、ナギサは向こうとこちらを毎回行き来している。
こんなものを見せられては、グチの一つもこぼしたくなるだろう。
「最初の報告では、なんかカッコイイこと言ってなかった? あんたを倒してターミナルに行くとかなんとか」
「うん、言ってたね。それから三日くらいは、自己トレーニングに励んでたけどね」
向こうの世界では聖杯の影響で、いくら鍛えようが、匠弥は強くなることはなかった。
しかし、ここでは鍛えれば鍛えるほど匠弥は、強くなることができる。
「鍛えたところで、私を倒せるようになるとは思えないけど、念の為、あらゆる娯楽を買い与えたの。堕落するのにそう時間はかからなかったわ」
「ふーん。チョロいね。もう監視や定期報告いらないんじゃない?」
「それは私たちが決めることじゃない。あの人が決めることよ」
「はぁ、めんどくさいなぁ。自分の子供だからって買い被りすぎだよ」
ナギサが不満そうな顔でホットコーヒーにミルクを入れてかき混ぜていた。
実際、私ももう放置して大丈夫だと思う。
最初は警戒して、毎日、匠弥の生活を監視していたが、あまりのだらけっぷりに、見るのも嫌になっていた。
今では家から出ることも滅多に無くなり、完全なダメニート道にどっぷりハマってる。
『……私を、倒せると思ってるの?』
『よくわかったな、その通りだ』
まっすぐ私を見つめて匠弥がそう言った時、その穏やかな口調とは裏腹な激情に圧倒されそうになった。
私を本当に倒す。
その時は、愚かにも、そんなふうに感じてしまったのだ。
「……一応、週に一度、食料の買い出しついでに直接様子を見に行ってるの。よかったら一緒に行く?」
「遠慮しとく。監視カメラの映像も貰ったしね。あなたを倒すなんて、何百年経っても無理に決まってる」
ナギサの言う通りだ。
匠弥は、すべてをあきらめて自堕落な生活を送っている。服装もいつも同じスエットで、だらしない体型になっていた。
「じゃあね。これが最後になるといいね」
残っていたホットコーヒーを飲み終えて、ナギサが立ち上がった。
「ほんと、子守にはうんざりよ」
左目を閉じて、匠弥の部屋の映像を映し出す。
やはり、いつもと同じように、匠弥は寝転びながらダラダラとゲームをして過ごしている。
すっかり冷めたホットコーヒーを流し込み、店を後にした。
匠弥が住むマンションに行く途中、コンビニに寄る。
一週間分の食料を買うためだ。
何を買うか悩むことはない。
匠弥は同じメーカーの同じものしか頼まない。
一度、緑のカップ麺が無かった時に赤いほうを買ってきたら、食べたくないと返されてしまった。
どうも変なこだわりがあるようだ。
「……最初はいろんなものを食べたがってたくせに」
今では食事をすることすら、面倒くさいと思っているのか。
メニューが変わること事態、極端に嫌がるようになった。
買い物を済ませて、コンビニを出る時にふと気になった。
店内の監視カメラが私の方を向いている。
偶然か?
小さな違和感。
だけど、それは大きな胸騒ぎに変わっていく。
もう一度、左目を閉じて、匠弥の部屋を確認した。
変わらない。
いつもとまったく同じ映像がそこにある。
背筋にぞくり、と冷たいものが走った。
慌てて、昨日の映像を再生し、二分割に分けて、現在の映像と見比べる。
「……匠弥っ!!」
どうしていままで気がつかなかったのか。
寸分違わず、同じなのだ。
欠伸をするタイミングも、背伸びをする動作も、食べ物を食べる時も、まったく同じ時間に同じことをしている。
「カメラを乗っ取られているっ!?」
気がついた時には、走っていた。
電車よりも、タクシーよりも早く辿り着ける。
カメラで見ている匠弥の映像はすべてフェイクだ。
今、匠弥が何をしているか、知らなければならないっ。
街中に仕掛けたあらゆるカメラが走る私を追いかけていた。
匠弥を監視していたつもりが、いつのまにか、私が監視されている。
油断してはならなかった。
久遠匠弥は、あの人の、アザトースの息子なのだ。
ドアを開け、部屋に入った時、そこはいつもの匠弥の部屋ではなかった。
いつも引きっぱなしだった布団は綺麗に畳まれ、散らばったカップ麺やお菓子の袋も見当たらない。
部屋の中心で寝転がってゲームをしているはずの匠弥は、フローリングの中央で、VRのボクシングをして激しく手足を動かしていた。
どれだけの時間、そうしていたのだろうか。
床に流れた汗が、そこらじゅうに飛び散り水浸しになっている。
「おかえり、マキエ。早かったね」
匠弥が頭からVRの機器を外してそう言った。
ボクシングのソフトなど買い与えていない。
私が買い与えたソフトを売って、自ら購入したのか。
上半身裸の匠弥の身体は、鍛えに鍛えられ、腹筋が六つに分かれていた。
中に服を何枚も重ね着して、だらしない身体に見せかけていたのだろう。
「やられたわ。いつからカメラを乗っ取ってたの?」
「パソコンを買ってもらってすぐかな。パズルみたいで楽しかったよ、ハッキング」
そこには、今までの匠弥はいなかった。
異世界で育った人間が、わずか数日で高度なハッキング技術を身につけるなど、一体誰が信じるというのか。
紛れも無い化物が、私の前に立っている。
「カメラを制御できたなら、なぜ、ターミナルに行かなかったの?」
「一人で行っても無駄だからだ。鍵は君がもっているんだろう?」
「……本当に私を倒すつもり?」
いくら隠れて鍛えていようが、私に勝てるはずがない。
左側の拳を握りしめ、戦闘態勢に……
ぎっ、という軋むような音がしただけで、左の指は動かなかった。
「えっ?」
「しばらく動かないよ。メンテナンス情報を送ったんだ」
私の左半身は、本部のネットワークと繋がっている。
成長した肉体や怪我に合わせ、アップデートやメンテナンスが随時行われるからだ。
匠弥は監視カメラだけでなく、そのネットワークごと支配していたのかっ。
『自動操縦モード終了。これより手動操縦モードに切り替えます』
左肩にある非常用スイッチを押してネットワークを遮断した。
左側の身体がゆっくりと動き出す。
脳からの伝達は遅れ、動きにズレは生じるが、それでも普通の人間に負けるはずはない。
「……これも想定内なの? 久遠匠弥」
匠弥は答えない。
ただ、新しいおもちゃを見つけた少年のような顔で私を見る。
生身の右側から、ぶわっ、と汗が吹き出す。
それはアリスと対峙した時にも感じなかった、初めての恐怖だった。




