百二十七話 四神四凶 王女の契約
絶望。
目の前に絶望が広がっていた。
私の腕の中にいたタクミがいない。
気がついた時には、アリスに心臓を貫かれ倒れていた。
そのアリスも大量の血を撒き散らしながら、タクミに重なるように倒れていく。
魔剣カルナは砕け散った。
ヌルハチは、魔力を使い果たし消滅した。
「……なんなの」
足に力が入らない。
回復魔法を唱えすぎたからか。
近くの木を支えに、なんとか立ち上がる。
「……あなたたちはいったい」
フラフラと前に歩いていく。
タクミの顔をした男が、倒れたアリスを感情のない冷たい目で眺めていた。
「なんなのよっ!!」
タクミじゃない。
絶対にタクミじゃない。
タクミは、あんな冷たい瞳でアリスを見つめない。
でも、だったら、やっぱり、本物のタクミは……
攻撃魔法を唱えようとしたが、完全に魔力は枯渇していて、何も出てこない。
ただ、手のひらを前に突き出しただけで終わってしまう。
「断崖の王女、サリア・シャーナ・ルシアか。お前は排除しない。調和のために残しておく」
タクミに似た顔が闇に覆われていく。
いや顔だけではない。
その闇は全身に広がり、やがて、黒い闇が身体のすべてを支配する。
「ア、アザトースっ!?」
「ああ、悪いが匠弥じゃない」
頭の中が混乱している。
聞きたいことはたくさんあるのに、ちゃんとした言葉として出てこない。
「なんのためっ、こんなっ! タクミはっ、みんなはっ、生きてるのっ!? あなたはっ、タクミのなんなのっ!!」
それでも、そのまま、吐き出すように言葉をぶつけていく。
その時になって、ようやく自分が号泣していることに気がついた。
「この世界を支配するためにやってきた。匠弥も、アリスもみんな死んでいる。そして、私は匠弥の父親だ」
まったく躊躇なく、まるで挨拶でもするように、アザトースは私の問いすべてに解答した。
まだ、聞きたいことはある。
聞かなければならないことがあるはずだった。
しかし、もう頭が追いつかない。
膨れ上がった感情がさらに押し寄せてきて、私の中で爆発する。
「あぁあぉああぁぁアァアぁアァアっ!!」
嗚咽に押し潰されながら崩れ落ちた。
助けて。
いつもなら、こんな最悪の状況をタクミが吹き飛ばしてくれていた。
だけど、そのタクミはもういない。
助けて、助けて、助けて。
絶望の中、一人の男の顔が浮かぶ。
そうだ。彼なら。
あの男なら、こんな状況でもひっくり返してくれるはずだ。
「……助けて、バッツ!!」
その声と共に、バッツは目の前に現れた。
奇跡が起こったと思ったのは一瞬で、それはすぐに絶望に変わる。
そこにいるバッツには、首から下が存在しなかった。
「彼はもう始末した。誰よりも先に私の存在に気がついた。油断ならない男だった」
バッツの首をぶら下げながら、アザトースが話す。
言葉はもう入ってこなかった。
ただ、眠るように目を閉じたバッツの顔を呆然と見つめる事しかできない。
「助けはもう来ない。ここに来る途中でクロエとレイアも始末した。急いでいたので、悪いが戦いはカットさせてもらった」
なにができる?
私にできることはなにがある?
命など捨ててもいい。
だから、せめて、せめてなにかっ……
「やめておいたほうがいい」
その言葉と共に、アザトースの背後に四体、それは浮かび上がった。
「えっ」
目に映るものを信じられず、唖然となり、その幻想的な光景に目を見開く。
「うそ……」
紅蓮の炎を纏った鳥。
雪のように白い氷の虎。
蛇の尾を持つ漆黒の亀。
透き通るように蒼い巨大な龍。
光輝くオーラを身に纏いながら、その四体の神獣たちは、まるで付き従うようにアザトースの背後で鎮座している。
朱雀。白虎。玄武。青龍。
間違いない、これは……
「……四神柱、なの?」
「そうだ。こちらで神と呼ばれるものは、私がすべて管理している。今ならまだ、全員、生き返らせることも可能だ」
あり得ない。
レイアのように神を降ろすわけでもなく、バルバロイ会長のように柱に宿らすわけでもない。
四神そのものを従属させることなど、できるはずがない。
もし、そんなことができる者がいるとするならば、それは……
「アザトース、あなたは……」
「ああ、この世界は私が作った。創造主だ」
『天におられる我が父、創造の神よ。地におられる我が母、大精霊よ。数多の命の恩恵を今日も賜ります事を奉謝致します』
『すごいね、サシャ。タクミのお父さんは創造神で、お母さんは大精霊なんだよっ』
食前のタクミの祈りを聞いて、勘違いしていたアリス。
それが、まさか、本当だったということなのっ!?
「君には、私の下でこの世界を統治してもらう。そうすれば、いつか仲間たちを生き返らせてもいい」
アザトースは私にすべてを語っている。
絶対に私が逆らわないと確信しているからだ。
「先にっ! 先にみんなを生き返らせてっ!」
アザトースは、その願いに答えるかわりに、更なる絶望を運んでくる。
「裏四神・四凶」
背後に控えていた四神が光に包まれ消えていく。
そして、光が消えると共に闇が生まれ、そこから新たな四体の獣が現れる。
それは、どれも見るに耐えない、凶悪で醜悪な獣だった。
「まさか……」
ルシア王国王族のみに伝えられてきた禁書。
そこには、中国という異界で伝承される最凶の悪神が記載されていた。
目、鼻、耳、口の七孔がない六本足の犬、渾沌。
羊の身体に、人の顔、目がわきの下にある、饕餮。
針鼠の体毛を持つ翼の生えた虎、窮奇。
人の頭に虎の身体、猪の牙を持つ、檮杌。
暴挙の限りを尽くした四体の獣は、やがて、中国という異界を滅亡寸前まで追いやり、四凶と呼ばれるようになったと伝わっていた。
アザトースが持っていたバッツの首をその四凶の前に差し出そうとする。
とてつもなく嫌な予感が全身に降り注ぐ。
「や、やめてっ!!」
アザトースの手がギリギリのところで止まっていた。
「この世界にあるものは、すべて復元させることができる。そういうふうに創ったからだ。しかし、四凶の手により破壊したものは、完全に消去され、二度と復活することはない。この世界に最初から存在しなかったことになる」
「わかったわ、言う通りにするっ! なんでも従うっ! だからっ!」
「さすがルシア王国王女だ。理解が早くて助かる」
すっ、とバッツの首を自らの闇の中に収めると、同時に背後の四凶も、消えていく。
「ああ、そうだ。安心してくれ。匠弥だけはすぐに生き返らせる。私の大事な息子だからね」
四凶がいた地面が、ただれるように溶けて瘴気のようなものを放っていた。
アザトースの言っていることは、全部本当だ。
逆らえば、本当になにもかも失ってしまう。
「ではこれより、最終フェーズに移行する」
アザトースがそう宣言すると、足元から闇があふれるように広がった。
タクミもアリスも、一緒に暮らした洞窟も、すべてが闇に飲み込まれていく。
その中で、闇は私だけを避けている。
いっそ、私も飲み込めばいい。
そんな衝動にかられながら、それでも、なんとか踏みとどまった。
止めどない絶望の中、最後に希望が見えたからだ。
アザトースは気づいていない。
闇に飲み込まれる寸前、アリスの指が微かに動いていたことを。
この日、タクミが住んでいた山は、この世界から消滅した。
バッツとアザトースのエピソードは第三部裏章に載っています。忘れている方は是非ご覧になって下さい。




