百二十五話 レイア 最後の神降ろし
「ガァアアアアアアッ!!」
クロエがドラゴン形態になり、巨大な炎を吐きだした。
しかし、目の前に広がる闇は、あっさりと炎を包み込み、何事もなかったように取り込んでいく。
「なんやっ! なんやねん、コレっ!!」
半狂乱になりながらクロエが、目の前にある闇の壁を叩く。
「中にっ、中に入れろやぁああぁあっ!!」
今までにない不吉な予感。
それは、数刻前、修行から帰る途中、アリス様が突然、魔剣カルナを山に向かってぶん投げた時から始まっていた。
「……来る」
アリス様がそうつぶやいた瞬間、突如、目の前が真っ暗な闇に包まれた。
「閉じ込められたっ!?」
「違うぞ、レイア。閉じ込められたのは、タクミ達のほうだ」
私には、感じられなかった脅威を、アリス様はいち早く察知し、カルナをタクミさんの元へ送ったのか。
不気味な闇が、タクミさんの住む山すべてを覆っている。
そこに軽く手を触れると、バチンッ、と激しく跳ね返された。
「っ! 結界っ!?」
触れた指先が黒く染まっている。
ただの結界ではない。
その闇からは、すべての生命を拒絶しているような禍々(まがまが)しさが漂っていた。
「アリス様っ、コレはっ!? タクミさんはっ……!?」
無事なのですか? と聞く前に、アリス様は、一瞬の躊躇もなく、闇に飛び込む。
バチチチチっっっっ、という炸裂音に、ブシュっ、と肉が引き裂かれる音が重なって響く。
私も慌てて後を追うが、今度は身体ごと外に激しく弾かれ、地面に投げ出された。
「くっ」
大武会にもあった四神柱の結界。
この闇は、それよりもさらに強固で得体が知れない。
まるで、この世にあるものすべてを拒絶するような、異様な混沌に満ちている。
「亜璃波刃っ!!」
それでも諦めるわけにはいかない。
かつて、隠密の一族から48人の神を奪い取った神を身体に降ろす。
神は、どこにでも存在する。
そのことに気がついたのはごく最近のことだった。
動物。草木。道具。どんな小さなものでも、世界中にあるものすべてに、神は存在しているのだ。
だから、モウの神を降ろし、巨乳になることも可能になった。
「目の前の闇から、神を盗めっ!!」
しかし、亜璃波刃はピクリとも反応しない。
「……そんな、まさか、この闇は……」
この闇に神は存在しない。
きっと、これは別の世界からきた異質なモノだ。
「レイアっ! この闇なんなんっ!? カル姉はっ!?」
そこに、麓の街に食料を買いに行っていたクロエがもどってくる。
「わからないっ! でも、嫌な予感が止まらないっ!」
クロエも同じように感じていたのだろう。
一瞬でドラゴン形態に変化し、闇を破壊しようと、巨大な炎を吐き続ける。
だが、それを嘲笑うかのように、闇は簡単にすべてを飲み込んでいった。
「はぁはぁはぁ、カ、カル姉ぇ……」
炎を吐き続けたクロエに限界が近づいてきていた。
それでも、闇を破壊する手を休めない。
嫌な予感はますます強くなっている。
「気配があらへんっ!! カル姉のっ! カル姉の気配がっ、なくなってるっ!!」
闇の向こうで何が起こっているのか、まったくわからない。
だが、クロエはカルナに何かがあったことを、特別な絆で察しているようだ。
「……タクミさん」
全神経を集中させる。
届く範囲にある、すべてのものから、神を降ろして、突き破ってみせる。
木々や大地、流れる川、雲や風まで。
肉体の限界を超えて、身体に数百の神を降ろしていく。
それでも、まだ足りない。
もっと、もっとだ。
この山に存在するすべての神を降ろす。
それならば、きっと闇の壁を破壊できるっ!!
そう思った時だった。
「……シャットダウン」
その声は闇の中から聞こえてきた。
そして、それと同時に、まるで経路が閉じられたように、降ろしていた全ての神が身体から抜けていく。
「わるいね。システムを閉じさせてもらった。これ以上、通すわけにはいかないんだ」
闇の中から、闇が現れる。
嫌な予感が加速度を増して跳ね上がった。
自らの心音がうるさいぐらいに激しく鼓動している。
「アザトース!?」
闇を纏った姿が変形していた。
激しく燃える炎火のように、闇が大きくゆらめいている。
「神降ろしの一族。神の力を身に宿し、身体能力を大幅に強化させる。だが、君たちが神と呼んでいるモノは、すべてこちらの世界のモノだ」
息をするのも、苦しいほどの圧迫感。
それでも、噛み締めた口の隙間から、ぷひゅっ、と一呼吸だけ息を吐く。
「抵抗はしないほうがいい。待っていれば、間もなくすべてが終わる」
それを拒否するように、腰の刀、聖剣マサムネに手を添える。
だが、先に動いたのは……
「カル姉はっ! カル姉はどうなったんやっ!?」
ドラゴン形態を維持出来なくなり、人間形態に戻ったクロエが、ふらふらと満身創痍の身体でアザトースに近づいていく。
「砕けた。二度と蘇ることはない」
ぷつん、という音が聞こえた気がした。
クロエの紅い瞳が倍以上に膨れ上がり、牙を剥いてアザトースに襲いかかる。
全身全力のクロエの攻撃。
今しかない。
恐らくこれが、最初の攻撃で、最後の攻撃だ。
クロエに合わせるように、聖剣マサムネを抜き放つ。
刃の光と闇の炎が交差する。
刹那の邂逅。
戦いは僅か、零コンマ1秒で決着を迎えた。
どしゃっ、とクロエがアザトースの前で崩れ落ちる。
ピクリとも動かず、生きているかどうかもわからない。
手に持つ聖剣マサムネは、刃がすべてなくなっていた。
闇に呑み込まれ、ただ塚だけが残っている。
そして、私はアザトースを見つめたまま、その信じられない姿に、ただ茫然と立ち尽くす。
アザトースの顔を覆っていた闇が完全に消えてなくなっていた。
「驚いたな。一部とはいえ、この闇を砕くとは」
闇の深淵。
その顔は決して見てはいけないものだった。
クロエと聖剣マサムネを犠牲にして、成し得た最大にして最後のチャンス。
追撃をしなくてはならない。
それなのに、身体は指先一つ動かない。
「……なんで?」
聞いてはいけない。
絶対聞いてはいけない。
聞いたらきっと後悔する。
「なんで同じ顔なの? タクミさんと……」
アザトースは何も答えず、タクミさんと同じ顔で、ただ静かに微笑んだ。




