閑話 マキA
半身を失ったことを悔いたことはなかった。
過去に飛ぶ、時空転移を選んだのは私のわがままだ。
どんなことになろうと構わない。
そう言って私は、自ら実験体に志願する。
そして、過去に飛ぶこともなく、ただ左半身だけが別の世界に移動した。
「繋がっていますね」
私の断面を見ながら、医師はそう言った。
「完全に切り離されたように見えますが、全部繋がっています。違う世界にある左半身は、ここにないのに、ここにあるんですよ」
何を言っているのかさっぱり分からないが、繋がっているということは間違いなかった。
心臓のある左側。
それがなくなっても、私の鼓動は止まらない。
遠く離れた世界から、私の胸に刻まれる。
「私がそこに行けば、元に戻るの?」
「恐らく無理でしょう。この異常な状態が正常に変わっています。無理矢理一つに戻ろうとすれば、何が起こるかわかりません」
どうやら医師は匙を投げたようだ。
だったらしょうがない。
私も私の半身を、自分でもびっくりするぐらい簡単にあきらめた。
「どうですか? 新しい身体は?」
「うん、いい感じ。快適よ」
人工樹脂による新しい半身は、見た目だけではなく、機能性にも優れていた。
自分の考えたとおりに、指の先まで細かく動き、日常生活になんら支障をきたすこともない。
肌の色や質感まで人間部分と変わらず、何不自由なく暮らせるようになっていた。
「それはよかった。ただ何年かごとにメンテナンスは必要になります。人工で作られた部分は年齢による劣化がないですから」
「ああ、いいよ、そんなの気にしない。それより、あっちはどうなってるの?」
「ああ、マキBのほうですね」
別れた半身は、この頃からマキBと呼ばれるようになる。
もっとも、マキナという名前が判明するまでの短い期間だったが。
「マキさんと同じように半身を機械で補われたようですね。あちらにも優秀な科学者がいるようです。……見た目は、まあ、少し、アレなようですが」
「映像はあるの?」
「ええ、シスターズから写真が送られてきました」
あの二人か。
幼い姉妹があちらの世界に行くと聞いた時には耳を疑ったが、どうやらうまくやっているようだ。
医師から私の半身、マキBの写真を受け取る。
「ぶはっ」
その瞬間に吹き出してしまった。
「な、なにこれっ、こんな戦隊モノ見たことあるわっ、ぶっははっ、すっごいセンスねっ」
久しぶりにお腹を抱えて笑ってしまう。
「どうやら生活用ではなく、戦闘用に特化されたみたいです。アザトースさんが後から与えた記憶では、マキBは国の内乱による戦争で、家族や友達、そして自らの半身を失ったという設定にされたようです」
ひどい設定だ。
見捨てたとはいえ、あまりにも可哀想じゃないか?
私の半身。
「アイツは何をしようとしているの?」
「わかりません。部署ごとに役割が違いますので。マキBはすでに我々の管轄ではございません」
「そう、じゃあ仕方ないわね」
失くしたものに興味はない。
交わることがないなら、かつて半身であったものでも関係ない。
ずっとそう思っていた。
だけど、何故だろうか。
私は人間に近づき、同じ顔をしたもう一人は人間から離れていく。
そのことが無性に気になって仕方がない。
「それではマキさん。拒絶反応はないと思われますが、もしもの場合は、一日に一度、この薬を飲んでください」
「……マキA」
「え?」
「マキAでいいわ。向こうだけマキBとか呼んだらなんか可哀想じゃない?」
「そういうものですか? まあ、それならそう呼びますが。マキAさん」
医師はどうでもよさそうに名前にAを追加する。
それが妙に心地よかった。
それから数十年の月日が流れたが、人工樹脂を変えることはなかった。
驚くことに、人間部分もあれからほとんど年を取らなかったのだ。
私の時間は、あの時から、ずっと止まったままだった。
「本気、なんですか?」
「うん、本気」
いつも表情を崩さない医師が珍しく、驚いた顔のまま固まっていた。
「私の半身も、機械の身体にしてもらえない?」
それは、あの写真を見た時から決めていたのかもしれない。
半身を失くした時に、すべては終わったものだと、自分で勝手に決めていた。
しかし、不恰好で、それでも堂々と立ち上がった半身機械の私を見て、何かが変わったのだ。
もう一度、あそこに行こうとするなんて、彼女を見るまで思ってもいなかった。
最初の目的はなんだったのか。
世界のためとか、人類のためとか、そんなりっぱなことじゃない。
ただ、子供が産まれたばかりのアイツの代わりができればいい、そんなことを思っていた。
結局、私は失敗して、アイツは先に行ってしまったが……
「今回は時空転移ではなく、通常転移です。指令は久遠 匠弥をこちらに戻すこと。後はこちらに戻ってから彼のサポートをお願いします」
「……戻す、か」
左手に仕込まれた解除装置。
それを彼の頭にぶつけるだけの簡単な仕事だ。
「イレギュラーの可能性は?」
「ありません。夢から覚めるように、本来あるべき場所に帰ってきます」
「わかった。すぐに済ませて戻ってくる」
マキB、いやマキナに会うことは叶わない。
まもなくナギサが散布したAR2020の効果によって設定が剥がれ出し、マキナが半身を失うような戦争など、世界のどこにも存在しなかったことがわかるはずだ。
それでも彼女はあの世界で、強く生きていくだろう。
それならば、やがて、私や、私の世界と戦うことになるはずだ。
その時は、誰でもなく、私が彼女の前に立ちたい。
堂々と、同じ、この半身機械の身体で。
「行ってくる。帰ったらうまい飯が食べたいな」
「わかりました。いつものところ予約しておきます。マキエさん」
巨大な試験管の中、緑色の液体に満たされる。
すべてが溶け、自分の身体がなくなっていくような感覚。
ああ、そうか。
あの時、私は怖かったのだ。
違う世界に行くことが。
いや、アイツがただの0と1から、新しい世界を、宇宙を創造したことに怯え、拒絶していたのだろう。
だから、半身だけがこちらに残ってしまった。
だけど、もう大丈夫だ。
私の鼓動は止まらない。
遠く離れた世界から、私の胸に刻まれる。
半身から遅れること数十年。
私は、やっとアイツが作った世界にやってきた。




