百二十話 最終回
例えるものがないほどの喪失感。
それは冒険者を諦めて山に引きこもった時よりも、遥かに大きなものだった。
そして、そんな俺の前に一つの料理が運ばれてくる。
メイン料理か。
例え、それがどんなにうまいものだったとしても、俺の心が動くことは……
「……えっ?」
動くことはないはずだった。
なのに、食べる前から声をあげてしまう。
その料理は、あまりにも想像とかけ離れていたのだ。
真ん中に置かれた皿には、店の主人が鉄板で焼いていた丸い物体がどん、と置かれている。
そこにはあの黒い液体を濃厚にした感じのものがまんべんなく塗られ、その上には新たな白いクリームのようなものが網目状にびっしりと張り巡らされている。
そして、さらに謎の緑色の粉と、ゆらゆらと揺れる薄茶色の物体が振りかけられていた。
そのすべてが混ざり合った匂いなのか。
実に食欲をそそる香りが、鼻の中に突き抜けるように入ってくる。
しかも、それだけではなかった。
皿の横には器が二つ並べてあり、そこに白い米と茶色いスープのようなものが入っているのだ。
「この料理は……」
「お好み焼き定食だ」
マキエの前にも同じものが運ばれてきた。
ごくっ、と喉を鳴らして、お好み焼きという料理をみつめる。
分厚い。
このメイン料理。
何が入っているのかわからないが、かなり気合いを入れないと完食できないほどのボリュームだ。
「色々あるけどさ。とりあえず食べてから考えようよ。冷めたら味が半減しちゃうよ」
「あ、ああ、そうだな。いただきます」
腹が減っては戦はできぬ。
確か、ナギサがやってきた時、そんなことを言っていた。
まずは食べる。
こちらの世界の食文化を知ることで、何か重要な情報を得ることがあるかもしれない。
これはあくまで調査なんだ。
そう自分に言い聞かせて、お好み焼きにかぶりつく。
むっはぁっ!?
口の中に広がったのは、これまでの常識を覆す、信じられない味の集合体だった。
口にいっぱい頬張っていなければ、感嘆の声をあげていただろう。
一体、いくつの素材をこの中に閉じ込めたのか。
肉、野菜、魚介、いくつもの味が混ざり合い、それらを黒と白の二つの調味料が見事なまでに一つにまとめ上げている。
さらに、それらを閉じ込めていたのは、パンにつかう小麦粉だろうか。
中はふわふわなのに、外はかりっ、と焼き上がり、絶妙のコントラストを形成している。
うまいっ! うますぎるっ! ものすごいぞっ! このお好み焼きという食べ物はっ!!
すぐに二口目に差し掛かろうとして、一つの疑問が浮かぶ。
このお好み焼きを分類するならば、なんの料理だろうか。
様々な具材が入っているが、一番多く使われているのは、おそらく小麦粉だ。
俺の世界で、これにもっとも近い食べ物が何か、と聞かれたら、たぶんパンと答えるだろう。
……パン?
お好み焼きの横に置かれている白米に目がいく。
パンにご飯?
そんな組み合わせがあっていいのか?
疑問を投げかけるようにマキエのほうを見ると、俺の心を察してくれたのか、真っ直ぐな瞳で見つめ返してくる。
「うん、炭水化物と炭水化物よ」
何も考えず、お好み焼きがまだ口内にある状態で、白米を掻っ込んでいく。
味の新境地。
これまでの常識が覆されていく。
決して、混ざり合うことのなかった二つが、今重なり合い、一つになっていく。
パンをおかずにご飯を食べる!?
これがこの街の文化なのかっ!!
お好み焼き、ご飯、お好み焼き、ご飯を繰り返し、たまに茶色い汁を挟む。
大豆のほのかな甘みと海藻が口の中を麗し、ますますお好み焼きとご飯が恋しくなる。
炭水化物と炭水化物。
どうやらこの世界には、未知への挑戦により、新しく開眼する食文化が存在するらしい。
「よかった。どうやらここの料理、気に入ってくれたみたいね」
一心不乱に食べているとマキエが話しかけてきた。
すでに完食したのか。
皿には黒い液体の跡が残るだけだ。
「ああ、今までにない、まったく新しい味だった。目にする景色より、こっちのほうが実感するよ。ここは本当に俺がいた世界と、まったく別の世界なんだな」
「そうね。でも安心していいわ。あなたがいた世界の料理も、ほとんどこっちにあるから。カレーも、ピザも、ビシソワーズも、こちらの世界からあっちの世界に広めたものよ」
「え?」
思わず食事の手を止めて、マキエを見る。
今、聞いた料理は、どれも古くからある伝統食だ。
それが、この世界のものだというのか。
「私達がそっちに行っても馴染めるように、少しずつ、少しずつ、様々なものを浸透させていったの。料理だけじゃない。文化や言葉、思想や法律、その他諸々。だからきっと、あなたもすぐにこっちに慣れるわ」
浸透させていった?
いつから?
想像もつかないような、昔からだ。
そして、それを実行したのは……
「まあ、アザトースは、炭水化物と炭水化物は認めない派だったから、この料理は広めなかったみたいだけどね」
やはり全ては、闇を纏ったあの男、アザトースから始まっているのか。
「…… 何のために君たちは、そんなことをしているんだ?」
「愚問ね。侵略するためよ。全てを奪った後、私たちが快適に過ごせるように、あっちの世界を変えてきたの」
そんな答えは聞きたくはなかった。
このお好み焼き定食みたいに、二つの世界がうまく重なり合い共存していくことを、俺は心のどこかで期待していたんだ。
「……もう止められないのか」
「うん、こっちの世界はゆっくりと終わりを迎えている。だから、みんなで行くしかないの。もう誰にも止められない」
それでも、止めなくてはならない。
あの世界の人間じゃなくても。
主人公じゃなくなっても。
アリスを、みんなを奪われるわけにはいかない。
「考えるの、やめたほうがいいって言ったよね。君の物語は終わったんだ」
そんなことはない。
それは、お前たちが決めることじゃない。
「君ができることはもう一つもないんだ。君はそこいらにいるモブキャラと何も変わらない。わかるかな? この話で最終回なんだ。次からは登場しても、ただのエキストラよ」
ちがうっ、こんな俺でもっ、できることはあるはずだっ。
そう叫ぼうとして、声が出ないことに気がついた。
突然、がんっ、と後頭部に強い痛みが走り、目の前が真っ暗になる。
「最後に残っていた主人公の設定が剥がれたんだ。本当にお疲れ様。これで君は、すべてから解放された」
真っ黒な闇の中で、ぼんやりと白い光が見えた。
それは、ゆっくりと近づいてきて、目の前に大きく浮かび上がる。
薄れていく意識の中で、最後に見たもの。
それは、堂々と大きく書かれた「完」という一つの文字だった。
タイトルは最終回ですが、まだ終わりません。
もうちょっとだけ続くんじゃよ。




