百十七話 適合者
目前に迫る逆マキナの左腕。
いつもギリギリの所で誰かに助けてもらっていた。
まるで奇跡のような、何か大きな力に守られているような、そんな感覚が側にあった。
だが、今はそんな力を一切感じない。
料理の腕が落ちていくと共に、自分の中からそういった奇跡も一緒に抜け落ちていったのだろう。
「どうか死にませんように」
俺には本当にもう祈ることしかできない。
覚悟を決めて、ただ目を閉じる。
ごんっ、と頭の中が爆発したような衝撃が走った。
『タッくんっ!!』
人間形態になったカルナが、逆マキナの飛んできた腕を掴んでいた。
しかし、勢いを止めきれず、俺のオデコに拳が食い込んでいる。
ああ、これは……
走馬灯というやつか。
ゆっくりと時が止まったと勘違いするほどのスローモーションで倒れながら、これまでの思い出が頭の中に流れてくる。
黒くなったアリス。白くなった俺。
大草原の戦い。
大武会で古代龍から舞い降り、四神柱の結界を破壊するアリス。
ヌルハチと同じ姿で青い薔薇に囲まれ、氷の中で眠る魔王。
洞窟前で開催された十豪会とミアキスの乱入。
様々な思い出が逆再生されるように巻き戻っていく。
ゴブリン王と魔剣カルナとチハルを連れてきたレイア。
ヌルハチとの再会。
クロエの襲撃。
レイアの来訪。
走馬灯は止まらない。
さらに加速しながら、過去に戻っていく。
山での生活に慣れ、ほのぼのと暮らす俺。
野垂れ死に寸前のところを犬神様に助けてもらう俺。
パーティーから追放され、山に引きこもる俺。
魔王の大迷宮でアリスを拾う俺。
皇帝ベヒーモスを倒し、その分身ベビモに懐かれる俺。
サシャ、バッツ、リックの三人と出会う俺。
ギルド試験に合格し、ヌルハチのパーティーに入る俺。
俺、俺、俺、俺、俺。
どんなシーンでも、困ったような、情けない顔をしている。
しっかりしろよ、俺。
走馬灯の俺に思わず、叱咤激励してしまう。
リンとの出会い。クロとの邂逅。記憶の消失。冒険者への憧れ。親父のスープ。
ほとんど忘れてかけていた過去の記憶も、鮮明な映像となって俺の頭に流れていく。
そして、それは俺が生まれた時まで遡り……
「たんたた♪ たんたた♪ たんたたたたた♫」
誰かが小さな赤ん坊の俺を抱きながら、懐かしいメロディーを口ずさんでいる。
顔を確認しようとしたが、霧がかかったようにぼやけていてわからない。
どうやら、赤ん坊だから目がハッキリ見えていないようだ。
「また、その歌?」
さらに女の声が聞こえてきたが、やはり顔はわからない。
「ああ、匠弥はこの歌を聴くと泣き止むんだ」
「……あなたが歌うからよ。他の誰が歌っても泣き止まないわ」
長い沈黙。
そして、先に口を開いたのは女のほうだった。
「……数千年の時を超えた転移をするですって? もうこの子に会わないつもり?」
「不老と不死の設定を組み込んだ。運がよければ、また会える」
「運がよければっ!? どうしてあなたが未完成で危険な過去転移をしなければならないのっ!? あの子を見たでしょうっ!! 失敗して、真っ二つになったわっ!!」
突然、女が叫び、その声に赤ん坊の俺が驚いた。
「ふ、ふわぁああああっ!」
盛大に泣き出す赤ん坊の俺を、男が覗き込む。
どれだけ近づいても、その顔はぼやけたままだ。
だけど、つい最近、遠い過去ではなく、ほんの少し前に、その顔を見ているような、そんな風に思ってしまう。
「たんたた♪ たんたた♪ たんたたたたた♫」
男が再び、あのメロディーを口ずさむと、赤ん坊の俺はすぐに落ち着いて泣き止んだ。
「あなたは聖杯の適合者として、ただの転移をするはずだったじゃないっ!」
「私より聖杯に適合する者が現れたんだ」
「嘘よっ! あなたの数値を上回るなんてありえないっ! 半年前、全人類のデータを調べて……」
女の言葉が途中で止まり、泣きやんだ赤ん坊の俺のほうへ、ゆっくりと振り返る。
「……まさかっ!?」
男は何も答えない。
だが、沈黙がすべてを物語る。
「そんなことまでして救わないといけないのっ!? そこまでして守る価値があるのっ!? そんな世界なら滅んでしまえばいいのよっ!」
声を荒げながら、それでも赤ん坊の俺が泣かないように、必死に音量を抑えている。
「……そうだな。きっとそれが正解なんだろう」
さらに長い沈黙。
二人はもう、何も話さない。
「あっきゃきゃきゃ」
そんな中、空気の読めない赤ん坊の俺が、一人笑っていた。
『タッくんっ!!』
走馬灯が終わり現実に引き戻される。
あれからコンマ一秒もたっていない。
倒れていく俺の身体はまだ地面に到達していなかった。
カルナが必死に手を伸ばそうとするが届かない。
サシャも回復魔法を詠唱しているが間に合わない。
ほとんど無意識の中、地面スレスレで腰にぶら下げた鈴に手を添える。
「……ヌルハチ」
「無駄ですよ」
逆マキナの明るい声が聞こえてくる。
転移魔法は発動しない。
どんっ、とそのまま地面に衝突し、頭を強打する。
「アザトースが作り出した特異点。アリス以外が突破できるはずがない」
意識が飛びそうになる中、鬼のような形相でアリスが逆マキナに向かっていくのが見えた。
『タッくんっ! タッくんっ!! サシャ!! 早く回復をっ! タッくんがっ!!』
悲壮感を含むカルナの声。
祈りは通じなかったらしい。
背中に感じる暖かいものは、頭から流れる血のようだ。
「器は役割を終えた」
逆マキナが、人間離れした動きで、アリスの攻撃をかわしながら、俺のほうを振り向いた。
「お疲れ様、久遠 匠弥」
意識が途絶え、すべてが闇に包まれた。




