百十話 君だけを愛してる
「なんでやっ、なんで結婚してんのに、他の人、抱きしめてるんやっ!」
カルナの声が大きく鳴り響く。
「あかんっ、そんなんしたらあかんっ!」
「カ、カルナ、ちょっ、ちょっと静かに」
「うわぁ、あかんていうてるのにっ! ああっ! タッくん、ヤバいっ、ヤバいって、これっ!」
ダメだ。興奮して俺の声は届かない。
カルナが騒がしすぎて、まったく集中できない。
『君だけを愛してる』
ナギサが故郷から持ってきたという、小さい鏡のようなものから、綺麗な映像と音声が流れている。
ヌルハチの記憶魔法よりも、はるかに鮮明で美しい。
タクミ授業の休憩時間や、休みの日は、いつも昼食後に、食卓でカルナとナギサと三人でそれを見るのが日課になっていた。
「ナギサっ、こんなんあかんやんなっ、お互い結婚してるんやろっ、えらいことなってしまうやんっ」
「大丈夫です。私の国には、不倫は文化という言葉を残した偉人がいるくらいです」
「お、恐ろしい国やな」
ナギサの持ってきた映像は、男女の恋愛ストーリーが八割を占めている。
でも、一つ気になるのは、ドラマの舞台となっている田舎町の風景が、五大陸のどことも違うように見えることだ。
いったい、ナギサの国はどこにあるのか。
そして、何故ナギサが夢で聞いたあのメロディーを知っているのか。
結局、あれから一つも聞けないままだった。
「うわぁ、ええとこで終わってしもたっ。はよ続き見たいわっ」
「ふふ、待つのも連続ドラマの楽しみなんですよ、また明日ですね」
ナギサが映像鏡に軽く触れると、プツンと画面は真っ暗になる。
「あ、あのナギサ」
「なんですか? タクミ様」
「い、いや、その、なんだ」
今日こそ質問しようとしていたのに、いざとなると尻込みしてしまう。
本当に聞いてしまっていいのか。
俺は真実を知ることが怖くてたまらなかった。
「い、いや、なんでもない。今日も面白かったよ」
「はい、また明日も一緒に観ましょうね」
そう言ってナギサは部屋に戻っていく。
「……タッくん」
「ん? どうした、カルナ」
「ちょっと、ぎゅっ、てしてみて」
ナギサの映像を見た後、カルナはいつもちょっとおかしくなる。
赤い顔で、なんだか、もじもじと身体をくねらせていた。
「じゃあ、魔剣になってくれ、いつものように握るから」
「ちゃうねんっ! そういうのとちがうねんっ!!」
興奮したカルナがバンっ、と食卓を叩く。
「このままやねん、ありのままのうちを、ぎゅっ、てしてほしいねんっ!」
「いや、暑いし、そのままだと握りにくいよ」
「だから、剣やないていうてるやんかっ!!」
ヤバい。
何故かカルナが、かなり怒っている。
仕方ないので人間形態のままのカルナを持つことにした。
「えっと、ここかな」
本来ならカルナの尻尾がある部分には、魔剣を握る柄が出ている。
正面からそこに手を伸ばし、ぎゅっ、と握りしめた。
「た、タッくん、な、なかなか、だ、大胆やな」
「よっこいしょ」
「お、おおぅ」
さらに腰を抱きしめながら、なんとかカルナを持ち上げる。
お、重い。
やはり、人間形態の持ち運びは、無茶がある。
「な、なにこれ、お、お姫様抱っこいうやつかっ。ちょっと一部持つとこおかしいけど、やるやんっ、タッくんっ!」
「ちょっ、動かないで、バランスがっ」
カルナがはしゃいで、ジタバタするので、バランスが取りにくい。
しかし、落としたら怒られそうなので、なんとか踏ん張る。
「ここでアレや、タッくんっ、アレ言うてっ、ほらっ、ドラマのセリフっ」
「カ、カルナ、もう限界だっ、は、早く、魔剣に戻ってっ」
「ちゃうわっ、さっき、イケメンが言うてたやろっ、君だけをってやつやっ」
「ええっ!?」
なんだ、コレ。
カルナがドラマに影響されておかしくなっている。
ごっこ遊びをしているつもりだろうが、そんなセリフを言ってるところを誰かに聞かれたら、酷い誤解を生むのではないか。
しかし、カルナを持ち続けるのは、もう限界に近い。
……誰も帰ってこないよな?
「き、君だけを愛してる」
確認してから、ぼそっ、とカルナに向かってそう言った。
と、同時に。
バンっ、と扉が開いて、レイアが突然帰ってくる。
なんというタイミングだろうか。
カルナを抱っこしたままの俺を、なんとも言えない表情で見つめていた。
魔王とのキスがバレた時の、激怒したレイアを思い出し、ぞっ、とする。
「い、いや、違うんだ、レイア。これはドラマの真似事で」
「ふひひ、うち、タッくんに愛してるいわれてもうた。もう結婚まで一直線やわっ」
やめてっ、さらに火に油を注がないでっ!
レイアが静かにこちらに近づいてくる。
恋愛ドラマがバイオレンスアクションになってしまうっ!
「カ、カルナ、頼む、魔剣に戻ってくれっ」
「いやや。今、めっちゃエネルギー充電されたし、うち、しばらく、このままでおる」
ダメだ、もう間に合わないっ。
これから起こるであろう惨劇に恐怖する。
「ダメですよ、魔剣さん、タクミさん、困ってますよ」
しかし、予想していたようなことは起こらなかった。
レイアは何事もなかったように、ヒョイ、と俺の手からカルナをかついでいく。
「レイア、聞いてた? うち、タッくんに愛してるって言われたで」
「はいはい、ドラマの真似事でしょう。タクミさんに変なことを言わせないように」
「うっ、そ、そうやけど、そ、それでも嬉しいやん。レイア、なんか冷めてるなぁ」
修行が終わったばかりで疲れているのだろうか。
大武会の時とまったく違い、レイアは冷静にカルナを部屋まで運んでいく。
実は怒っていて、後でカルナを真っ二つに折るとかしないだろうな?
少し心配なので様子を見ようとついて行こうとすると、後から声がかかる。
「大丈夫ですよ」
いつのまにか、ナギサが食卓に戻っていた。
「ナ、ナギサ、大丈夫とは?」
「そのままの意味です。レイアさんは冷静なので心配ありません。それとも、昔みたいにもっと嫉妬してほしかったのですか?」
「そ、そんなことはっ」
嫉妬されたいわけじゃない。
ただ、違和感を感じていた。
つい先日、牝牛神を降ろして大騒ぎしていたレイアが、こんなに急速に変われるものだろうか。
「変わっていくんですよ。人も、人の気持ちも、いつまでも同じではないんです」
「……ナギサ、君は」
そのあとに続く言葉が出てこない。
いや、本当に聞きたいのはこんな事ではない。
ずっとずっと聞きたくて、でも、どうしても恐くて聞けなかった事だ。
あの日、あの時、ナギサが吹いた口笛のメロディを聞いた瞬間から、俺は……
「俺は一体誰なんだ?」
自分でもおかしな質問だという事はわかっている。
ナギサはニッコリと笑ったまま、何も答えてはくれなかった。




