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百六話 前兆

 暑い。

 太陽がすべてを焼き尽くさんばかりに、燃えるように輝いている。

 夏真っ盛り。

 もはや、なにもやる気が起こらない。


『タッくん、タッくん、水ぬるくなってしもた。冷たいのと交換してえや』


 カルナがさやから抜け出て、水桶の中に浸かっている。

 ずるい。

 俺も裸で、水風呂に入りたい。


「冷たいのはもうない。川まで行かないと無理だ。そして、俺は暑くて動けない」

『ええっ、ほな、クーちゃんかレイアに頼んでや』

「二人はアリスと修行中だ。ぐうたらしてる俺たちがそんなことを頼めないだろ」

『この暑い中、ようやるなぁ』


 本当である。

 なにもしなくても身体が溶けていきそうなのに、よく修行なんてできるもんだ。


『けどタッくんは三人の師匠やろ。見に行かんでいいん?』

「ああ、あの三人は強くなった。もう俺が教えることなどなにもない」

『……タッくんが教えて強くなったみたいにいうてるけど、なんも教えてへんよね?』

「うむ、よくわかったな、その通りだ」

『いやいや、ほんまにその通りやんか』


 カッコだけでも師匠らしいセリフを言いたかっただけである。


『もう平和やから、のんびりしてたらええのにな』

「ああ、そうだな。このままずっと平和だといいなぁ」


 シロとクロの騒動から、三ヶ月。

 季節は、春から、俺のもっとも苦手な夏に突入する。

 この時期は毎年、あまり外に出ず、洞窟の奥でひっそりと暮らしてきた。

 だが、困ったことに、今年は弟子たちがいるので、あまりだらしない姿を見せるわけにもいかない。

 唯一、のんびりできるのが、三人が修行で出かけている時なのだ。


『ヌルハチやサシャがおったら、冷却魔法でヒエヒエにしてもらえるのになぁ』

「ああ、ルシア王国で大事な会議があるとか言ってたな。もっとたくさん、氷作っといてもらったらよかったな」


 今、ルシア王国には、各国のお偉いさんが集まって、何やら話し合いをしているらしい。

 長引いているようで、2、3日で帰ってくると言ったサシャやヌルハチは一週間経っても帰ってこなかった。

 しかも、面倒なことに……


「もきゅっ、もきゅっきゅっ!」


 洞窟の外からベビモの鳴き声が聞こえてきた。


『タッくん、散歩の時間やで、ついでに水も汲んできてや』

「いやだ。というかベビモの散歩は、俺には無理だ。それにあれは散歩じゃない。ただ俺が引きずり回されているだけだ」


 いつのまにか、なし崩し的に、ベビモはうちのペットとして転がり込む(実際に丸くなって、転がってやってきた)。

 小さいサイズにもなれるので、散歩くらい簡単だと思っていたが、それは大きな間違いだった。

 ベビモは、小さくなってもそのパワーはまったく変わらず、地獄を見る羽目になる。

 大きくなったベビモに乗ることもできるが、夏場にあのモコモコの中に入るのは自殺行為だ。


「カルナ、行ってきてくれ。ベビモのすべてを君に譲ろう」

『いらんわっ、夏場はずっと剣のままだらだら過ごすって決めたんやっ』


 情けない夏の決意を、堂々と言ってのけるカルナ。


「くっ、仕方ないな。使いたくなかったが、最後の手段をとるしかない」

『うん、しゃーないな。タッくん、やったげて』


 おもむろに机の上に置いてあるベルに手を伸ばす。

 鷹のマークが刻印された白銀のベルは、サシャが留守にする時に俺に渡してくれたものだ。

 手に取って軽く振ると、チリンという綺麗な音色が洞窟に響き渡る。


「お呼びでしょうかっ、タクミ様っ!」


 ずざざざざっ、と砂埃を撒き散らし、彼女は一瞬で俺の前に現れた。


「あーーっ、なんて格好してるんですかっ!」


 そして、甲高い声が響き渡る。


「真っ昼間からパンツ一丁でっ! それに、愛用の剣まで水浸しじゃないですかっ!!」

「い、いや、これはカルナが自分で勝手に……」

「剣が勝手に水に入るわけないでしょうっ!」


 ビシっ、とカルナを指差して仁王立ちで俺を睨んでいる。

 銀色の鎧がよく似合っていた。

 真っ黒な髪は女性なのに、かなり短く、兜から外にほとんどでていない。

 小柄で可愛らしいのに、大きな黒い瞳は、重大な使命を背負っているかのように、りんっ、と輝いている。


 ナギサ・キリタニ。

 サシャが自分がいない間に、俺のお世話をするために呼び寄せたルシア王国の新しい騎士団長だった。


「いいですか、タクミ様っ! 心頭滅却すれば火もまた涼しという言葉があります。たとえ暑くとも、そのようなそぶりを見せないことが大切なのですっ! このような姿をお弟子さんたちが見たら、どれだけ嘆くことでしょうかっ!」


 心と頭が滅却したら、死んでしまうのではないだろうか。

 ナギサはたまに、聞いたことのないような言葉を持ち出してくる。


「ああ、わかっている。レイアたちが帰るまでには、ちゃんとしておくよ」


 リックの後釜ということで、ナギサはかなりのハイスペックなのだが、呼ぶたびに説教されるので、いざという時しか呼ばないようにしていた。


「だからベビモを散歩に連れ行ってくれないかな? あと、川で水をくんできてくれるとありがたい」

「かしこまりました。私が帰ってくるまでにちゃんと着替えておいて下さいね」

「ああ、まかせておけ」


 気が向いたらな、と心の中で付け足しておく。


「それでは行って参りますっ! いくぞっ、ベビモっ! 二人で風になるのだっ!」

「もきゅっ、もきゅーーーーんっ!!」


 ドドドドドドッ、という騒音と共に、ナギサがベビモを散歩に連れて行ってくれた。

 さすが、ルシア王国の新しい騎士団長。

 ベビモのパワーにも、真っ向から対応している。

 しかし、ナギサがすごいのは、それだけではなかった。


『すごいなぁ。まだこっちきて一週間たたへんのに、ベビモ完全になついてるで』


 そうなのである。

 冒険者時代から、ほとんど俺にしか懐かなかったベビモが、ナギサには懐いているのだ。


「そうだな、アリスなんてこないだ頭噛まれてたもんな」

『ベビモだけちゃうで。気難しいレイアや、タッくんに近づく女は全部敵とみなすアリスまでがナギサとは仲いいねん。……上手く言われへんけど、なんかおかしない?』


 カルナの言っていることはわかる。

 俺もナギサから得体の知れない違和感を感じていた。

 たった一週間しかいないのに、長年一緒にいたような、そんな錯覚まで感じてしまう。


『誰かに似てるような気がするねん。でも、それが誰かわからんねん。なんかモヤモヤするわ』


 誰かに似ている?

 その点だけはカルナとは違う。

 俺はナギサに似た人物に、まったく心当たりがない。


「ただいま、戻りましたっ! ああっ、全然着替えてないじゃないですかっ!」


 はやっ!

 カルナと少し話している間に、ナギサは速攻で帰ってきた。


「……も、もきゅ〜〜」


 相当な速さで走ってきたようで、洞窟の外でベビモがバテて倒れている。


「はいはいはいはい、ちゃちゃと着替えるっ! いい加減にしないと怒りますよっ!」

「わ、わかった。わかったから、その荒ぶる鷹のポーズはやめてくれっ」


 慌てて服を着て、カルナを桶から出して腰に刺す。

 それでよし、と言わんばかりにナギサが満足そうに頷いている。

 やっぱり、出会ってすぐとは思えない。

 ずっと一緒にいるレイアやカルナのような距離感だ。


「なあ、ナギサ。ここにくる前に俺と会ったことなかったか?」

「いえ、ここにきた時がはじめてですよ」

「そうか、変なことを聞いて悪かったな」


 確かに過去に会った記憶はない。

 どうして、俺は、いや俺たちはこうまでナギサに親近感が湧くのだろうか。


「まあ、いいか。別に悪いことじゃないしな」

『そやな、仲良きことは美しきかな、やな』


 カルナもナギサの影響で、変な言葉を覚えている。

「いまから冷たいコーヒーを入れますので、それまでにちゃんと着替えて下さいね」

「はーーい」

『はーーい』


 カルナとハモりながら返事をする。

 最初、泥水のような飲み物だと警戒したが、飲んでみると香りも良く、ほどよい酸味で、すぐに好きになった。

 ナギサは、かなりのコーヒー通らしく、マイカップまで持参してくる。

 王冠を被った人魚が描かれたカップは、ちょっとおしゃれで羨ましい。


『タッくん、うち、コーヒーにあうお菓子もほしい』

「お、いいね。簡単なやつを作ってくる」


 平和な日々がずっと続いていく。

 俺はそんなふうに思って油断しまくっていた。


「あれ? これ、どれくらい砂糖いれたらよかったんだっけ?」 


 暑さで感覚が狂っているのだろうか。

 いつもなら、考えなくてもわかる料理のことがわからなくなっている。


 それが最悪の事態の前兆だということに、この時の俺はまったく気がついていなかった。

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― 新着の感想 ―
[一言] 熱中症には注意しないとw
[良い点] おぉっ!カルナのサービスシーン!と思いきや、剣のまんまで(笑) そろそろアリスとのイチャイチャシーンも見たいです❗ 楽しみやー。 [気になる点] キリタニ・ナギサ、凄い日本人っぽい。 彼…
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