百四話 戻った時間と止まった時間
アリスの動きが止まっていた。
アリスだけではない。
十豪女子会のみんなも。
そして俺も。
アリスとキスした瞬間から、まるで時が、世界が止まってしまったかのように、動かない。
(シロ、アリスの中に入ることができたのか?)
心の中で呼びかける。
『……はっ』
まだ、いた。
(む、無理だったのか?)
『い、いや、すまない。あまりの展開に止まってイタ。い、いまから、行ってくるカナ』
どうやらシロも固まっていたようだ。
アリスと俺がキスをする。
誰もそんなことは予想出来なかったのだろう。
それはそうだ。
直前まで、俺もそんなことができると思わなかった。
魔王の大迷宮でアリスと出会った日のことを思い出す。
小さなアリスは、強大な力を持て余し、絶望して泣いてるみたいだった。
俺はあの時からずっと、アリスを救ってやりたい。
そう思っていたんだ。
「……んっ」
重なったアリスの唇から、声が漏れる。
シロがアリスの中に入ったのか。
(シロ、もういないのか?)
返事はなかった。
無事、アリスの中に入ったようだ。
後は、アリスの中に入った黒い存在を、シロがなんとかしてくれることを祈るしかない。
俺は、ようやく長いキスを終えて、その唇を……
離せないっ!?
ガッツリとアリスが手で俺の後頭部を押さえ込んでいる。
(ア、アリスっ!)
叫ぼうにも声がでない。
アリスは目を閉じたまま、俺の唇を離さない。
『いかないで、タクミ』
聞こえないはずのアリスの声が聞こえてきた。
それは、耳ではなく、直接、心に響いてくる。
真っ黒だったアリスの身体が変化していた。
所々が白く染まり、元の身体へと戻ろうとしている。
アリスの中で、シロと黒い存在が戦っているのか。
『いかないで』
もう一度、そう言ったアリスに、返事の代わりに力いっぱい抱きしめた。
「タクミさ……」
レイアの声が聞こえ、それが途切れる。
自分で口を押さえ、そのまま、レイアが去っていく。
「タ、タッくん」
「あかんで、カル姉」
「せ、せやけど、クーちゃんっ、このままやとっ!」
「まだまだ大丈夫や。第二夫人や第三夫人、愛人という手も残っとるっ!」
カルナもクロエに引きずられて、ズルズルと退場する。
「チハル、チハルもちゅーっ、うわぁ、離せ、じじい」
「ふぉふぉ、こりゃ、邪魔したらいかん。わしらは退散するとしよう」
「チハル、このじじい、きやいっ!」
バルバロイ会長に誘拐されるようにチハルが連れて行かれた。
「魔王、貴様もしたのだろう。ど、どんな感じだった?」
「あれはこちらから無理矢理だからな。するのとされるのでは違うと思うぞ」
「そ、そうなのか。魔王はされたことがないのか? リックはそういうことをしないのか?」
「ばっ、馬鹿者っ! リ、リックの話は今いいっ!」
魔王と勇者が何やらコソコソと話しながら帰っていく。
結局、男のエンドがなぜ十豪女子会に参加していたのかは、謎のままだった。
「あらあら、私が頂くはずだったのに」
「何言ってるにゃ、カミラ。ファーストキスもまだのくせに」
「ミアキスっ! バラさないでっていってるでしょっ!」
「ミ、ミアキスはしたことあるのか?」
「……ザッハには教えてあげないにゃ。さっ、帰るとするかにゃ」
「いや、何だよっ! 言えよっ! 気になるじゃねえかっ!」
次々に去っていく十豪女子会のメンバー達。
「ふぅ、仕方ないわね」
リンが大きなため息をついた後、空を眺める。
この世の終わりのようだった漆黒の空が、いつのまにか、透き通るように青く澄み渡っていた。
「……今回だけ譲ってあげるわ」
上を向いているリンの表情は見えない。
でも、その声は少し震えている。
あの時から貯めていた、すべての魔力を使ってリンが時間を戻してくれた。
ずっと、ずっと、この日のために、リンは備えてくれていたのだろう。
背を向けて去っていくリンに、心から感謝する。
(ありがとう、リン)
そして、円卓の周りにいたみんなは、すべていなくなった。
アリスの中で、シロと黒い存在がどうなったかはわからない。
戦ったのか、それとも話し合ったのか。
ただ、すべてが終わったのだろう。
アリスの髪は、元の美しい金髪に戻っていた。
そして閉じた目からは、涙が溢れている。
ああ、そうか。
そうだったんだ。
ずっとずっと、アリスのことは、自分の娘のように思っていた。
10年ぶりに大武会で、再会した時も、美しく成長したアリスに、ドキドキしたのに、その感情を押し込んだ。
だけど、今になってようやくわかる。
シロが目も鼻も口もない姿から人間の姿になった時、どこかで見たことがあるように思えた。
その姿に惹かれ、俺はシロを見る度にドキドキしていた。
今、その姿が誰に似ていたのかわかる。
あのシロの姿は、さらに成長したアリスの姿だったんだ。
誰もいなくなった円卓の上で、俺とアリスは抱き合ったまま、ずっとずっと動けずにいた。




