九十八話 聖杯
『タクミはまったくコレっぽっちも強くなっていない』
俺の中にいるシロがそう呟いたような気がする。
にわかには信じられないので、みんなに聞こえないようにこっそり確認してみた。
「まったくコレっぽっちも強くなっていない、て聞こえたけど、気のせいだよな?」
『いや、気のせいじゃないカナ。タクミはまったく……』
「ストップ、わかった。もう言わなくていい」
挫けそうになる心を抑えながら、なんとか平静を装う。
「ちょっと、夜風に当たってくる。今日の晩ご飯はサシャに任せてもいいかな」
「え、ええ、わかったわ。顔色悪いけど大丈夫?」
「ああ、大丈夫だ。問題ない」
まったく大丈夫じゃないけどね。
「きっと、シロの強大な力をお試しになるのですね。私達を巻き込まないように、一人で外に出られるのですねっ」
レイアに「よくわかったな、その通りだ」という元気もない。
みんなに背を向けたまま、手をふって洞窟の外に出る。
そう、俺はちょっと強くなる自分に憧れていた。
いくら最弱クソ雑魚の俺でも、圧倒的な力を持つシロを吸収すれば、きっとそこそこ強くなれると思っていた。
「なあ、まったくコレっぽっちもというのは、大袈裟じゃないか? 本当は少しくらいは強くなっているんだろ?」
『いや、本当にまったく変わっていない』
「髪の毛白くなったのに?」
『うん、ただ髪の毛白くなっただけカナ』
無言。
あまりにも無情な事実に、ただ夜空を眺める。
満月がとても綺麗だった。
「……俺は、一体何者なんだ?」
しばらくして、ようやくそう尋ねる。
『それは、ワタシにもわからない』
超越した存在のシロにわからないと言われる俺って本当に何者なんだろうか。
『でも、タクミの中に入ってわかったこともアル。タクミは誰もが持っている器を持っていない』
「器? なんだ、それは?」
『人が、いやすべての者が持っているはずの器ダ。だけどタクミの器は壊れている』
「壊れている? 俺は欠陥品なのか?」
冒険者になって、どれだけ訓練しようが、俺は強くなれなかった。
いつも力が違うところに逃げていたと感じていたのは受け止める器がなかったからなのか。
『ワタシも中に入るまで、タクミの器は壊れて存在しないと思ってイタ。自身はどんな小さな力も留めておけず、かわりに他者のどんな大きな力も受け入れることができる。なら、その力はどこにいくノカ。その答えはここにあったのダ』
「え? どこに?」
『オマエの器はあるのダヨ、タクミ。ちゃんと、この中に。だが、それはもう器と呼べる代物ではナイ。壊れた器は無限に広がってしまったノダ』
シロの言っていることがほとんどわからない。
壊れた器が俺の中にあって、大きすぎる?
『人が持つ器は小さい。せいぜいコップ一杯ほどだ。力という水を少し入れただけで、すぐに満杯になる。だけど、傾ければすぐにこぼれ、使うことができるだろう』
「俺の器は壊れていて水がこぼれてるんじゃないのか?」
『違う。器が大きすぎて見えないだけだ。この世界よりもはるかに大きい。そうだな。例えるならこの空に広がる宇宙だ。それらすべてがタクミの器と思ってもいい。なら、そこに入れた水がどこにいったかなどわからないだろう?』
あまりにも壮大なスケールに頷くこともできない。
『ワタシの力ですら、そこでは塵芥のようなものだ。どう足掻こうが、タクミの力として表層に出ることは叶わない』
「……一体どういうことだ? 何故、俺はそんな器を持っているんだ?」
『わからないといっただろう。それはこの世界に存在せず、誰も手に入れることができない聖杯と呼ばれる器ダ』
せ、聖杯っ!?
なんだ、その大袈裟な名前はっ!?
「な、なんで、俺がそんなものを持っているんだ?」
『わからんヨ。それが存在すること自体がありえないのダ。この世界の理が根底から覆される』
「そ、そうか? それって、そんなに凄いことなのか?」
いまのところ、力をいっぱい受け止めるだけで使うことができない、ただの大きな入れ物というイメージしかない。
「これ、デメリットしかないんじゃないか? 一体なんの役に立つんだ?」
『そんなことはないカナ。現に今、ワタシの力は完全に封じられて外に出せない。封印されたのと同じことだ。アリスの中のアレを封じることも可能だろう』
「でも、倒すことはできないんだろう?」
『確かにできるのは封印だけダ』
封印するためにはやっぱり倒さないといけないんじゃないか?
「それならこんな聖杯なんかより、俺は普通に強くなりたかったよ」
一体、誰が俺にこんな力を授けたのか。
この世界をゲームとして遊んでいたシロですら、把握していない能力。
そんなもの、どう考えても俺の手に余る。
『……まあ、そう言わないことダ。それはワタシ達が望み、手に入らなかった器ダ。やがてわかる時が来る。タクミ、オマエはおそらくこの世界の……』
その後に続くシロの言葉が俺には信じられなかった。
なんと言っていいのかわからず、しばらくの沈黙の後、ようやく答える。
「よくわからないな、たぶん違うよ」
いつもの台詞は言えなかった。




