閑話 アリスと大賢者
近づいて来ているのはわかっていた。
ヌルハチの結界をまるで気にせず平然と歩ける者など、一人しかいない。
幾重にも張り巡らせたドラゴンでも気絶するような結界がまるでシャボン玉のように次々と弾け飛んでいく。
「来たか、アリス」
滅びた王国の廃城。
その玉座に座るヌルハチの前にアリスは現れた。
十年ぶりに見るその姿は、幼女から乙女へと成長を遂げている。
「美しくなった」
「貴方は老けたわ、ヌルハチ」
思わず挑発にのり、魔法を放つところだった。
アリスに魔法は通じない。
数千年の魔力を貯めた古代龍の攻撃はアリスの気合一つで吹っ飛んだらしい。
アリスを倒すには、肉弾戦しかない。
まったく嫌になる。
ヌルハチの、魔法使いのすべてを否定された気分だ。
「ヌルハチ、何か、言い残すことはある?」
「なにもない」
アリスがゆっくりと近づいてくる。
溢れる殺気を隠そうともしない。
十年前とは桁違いだ。
アリスがここに来ることは予想していた。
朝、タクミに会った時も、レイアと戦っていた時も、ずっと外部からの視線を感じていた。
魔法の力ではない。
ただ、純粋にタクミを見たい。
その想いだけで、アリスは数千里離れたタクミの様子を見ていたのだろう。
相変わらず規格外すぎて、笑ってしまう。
アリスが装備している大剣を見る。
ヌルハチがタクミに買ってやった剣だ。
タクミが置いて行ったのをアリスがずっと持っていた為、剣聖とか呼ばれているが、別にアリスは剣士でもなんでもない。
ただ、殴る。
アリスの攻撃は単純にそれだけだ。
それだけがこの世のあらゆる攻撃を、遥かに超える。
対抗する手段は一つしかなかった。
制御のマントを脱ぎ捨て、ヌルハチの中にある魔力を外に出さず、全てを身体の中で増幅させる。
爆発的に身体が強化されていく。
抜群のプロポーションが台無しになるのは残念だが、そうもいってられない。
身長は倍以上に膨れ上がり、着ていた服は弾け飛び、伸縮自在のレザーボンテージだけが残る。
「ヌルハチ、気持ち悪い」
「いうな、わかっておる」
超肉体強化全開120パーセント。
最初から限界を超えて挑む。
耐えきれず崩壊していく肉体を再生させながら、さらに強化していく。
終わった後は魔力も枯れ、しばらくは動くことも出来なくなるだろう。
「参る」
弟子と同じセリフで、アリスが接近する。
退かぬ!媚びぬ!省みぬ!
正面から堂々と殴り合うっ!
アリスの拳がヌルハチの顔面に迫る。
避けずに全ての力を込めて、アリスの顔面に拳を叩き込む。
強大な爆発音がして、そこにあるすべてが吹っ飛んだ。
廃城はすでに跡形もなく、瓦礫が散らばっている。
かろうじて形が残った玉座にはアリスが座っていた。
ヌルハチは、その正面にある壁に身体ごと埋まっていた。
身動き一つとれない。
たとえ壁から出たとしても同じことだ。
すべての魔力はふっとんでしまった。
しぼんだ風船のように、枯渇した抜け殻のようになっている。
一撃だった。
まさか、ここまでの差があったとは。
アリスの強さの底がまるで見えない。
「トドメはささぬのか?」
「いい、これでしばらくタクミのとこにいけない。それで十分」
確かに魔力が尽きては転移することもできない。
回復するまで、しばらく死んだことにでもしていよう。
少しでもタクミが心配してくれたら嬉しい。
「……一つ、聞いてもいいか?」
「やだ」
露骨に嫌な顔をされた。
残りカスのような魔力を使って心を読むしかない。
「どうして、タクミの元にレイアを送った?」
アリスの思考が脳内に流れ込む。
ぶっ、と豪快に鼻血を吹いた。
なんだ、この感情はっ。
ありえないっ。
人がこんな感情を持つことができるのかっ。
あいたっ、あいたたたっ。
頭痛いっ。ダメだ、脳が潰れるっ。
心を読むのを切断する。
「ぶはぁ」
大きく息を吐き、アリスを見る。
玉座に座り、ヌルハチを平然と見ているアリスに震える。
平気な顔をして、なんということを考えているのだ。
やはり、アリスはタクミの為だけに生きていた。
しかも、タクミが自分より遥かに強い存在だと信じきっている。
人類最強が人類最弱を最強だと勘違いする。
普通ならありえない。
ありえないが、その理由は……
「少しだけ、わかるよ」
ぱき、ぱき、とゆっくりと埋め込まれた壁から這い出る。
魔力はすでに枯渇している。
出来ることなどもう何もない。
だが譲れないものがそこにはあった。
「人は皆、大きさの違う器を持って生まれてくる」
飛び散った魔力をかき集めるように吸い込みながら、アリスの前まで歩いていく。
「小さな器しか持たぬ者は、そこには少ししか入れられない。せいぜい家族を大切に守るぐらいの器だ」
殆どの人間はそれぐらいのものだ。
それで満足して死んでいける。
「器の大きい者は、その中にたくさんのものを入れられる。莫大な財産、巨大な王国、世界すべてを手にするほどの器を持つ者もいる」
選ばれし覇王の器。歴史に名を残す者たちだ。
「だが、そんな器を持つ者でさえ、ヌルハチやアリスを受け止めることは出来ない」
強大な力は人から嫉妬され、畏怖され、やがて、迫害される。
千年以上の時を経ても、自らを受け止める器を見つける事は出来なかった。
そう、ただ一人を除いては。
「タクミしかいないのだな、ヌルハチも、アリスも」
壊れた器。
誰もが持って生まれる器をタクミは持っていなかった。
『ねえ、ヌルハチ、これで俺、強くなれる?』
初めて買い与えた大剣をヨタヨタになりながら、振り回すタクミを思い出す。
それだけで完全になくなっていたはずの魔力が、身体の底から湧き出てくる。
ボロボロの身体でアリスの前に立つ。
精一杯の強がりでニヤリと笑う。
「もうやめろ、本当に死ぬぞ、ヌルハチ」
アリスが玉座から立ち上がる。
「舐めるなよ、我が名はヌルハチ。ヌ族、ルシア領、第372代目ハシュタル家当主、大賢者チルトだっ」
力に力で対抗することが愚かであった。
ここにきてようやく最後の手段に気がついた。
「タクミはヌルハチのものだ。おまえにはやらん」
そう言ったヌルハチの顔面にアリスの容赦ない全力の拳が迫る。
一本のパイプをイメージする。
力を流すただの一本のパイプ。
顔面に来た力をそのまま受け入れて、流していく。
身体は崩壊しながらも、それは右手に流れ、伝わった。
とん、とその右手をアリスの胸に軽く置いた。
凄まじい轟音と共に、人類最強が生まれて初めてぶっ飛んだ。




