八十七話 戦慄の朝ご飯
「えー、今日の朝食はエッグベネディクトと言って、半分に切ったパンの上にポーチドエッグ、ラビ肉の薄切り燻製、特製ソースを乗せて作ってあるんだ。ポーチドエッグは、割ると黄身がこぼれてくるから、気をつけて食べてくれ」
料理の説明をするが、返事が帰ってこない。
いつもならレイアあたりが、すごいですね、さすがです、タクミさんとか言ってくれるのに、無言で料理に手を伸ばす。
ヌルハチも、アリスも、クロエも、サシャも無言だ。
沈黙が突き刺さる中、一人だけ妙に明るい声で感想を言ってくれる。
「ホウ、コレは卵と混ぜて食べることで、より一層旨味がますのダナ。素晴らしい」
シロのその声に五人の箸がピタリと止まる。
食卓にピリリと張り詰めた空気が充満した。
「なんだ、オマエたちは食べないのか? ではワタシが貰ってやろうカナ」
シロが隣に座るレイアの皿に手を伸ばした瞬間だ。
ドムッ、とレイアがフォークをエッグベネディクトに突き刺し、それを阻止する。
ぴゅーー、と卵の黄身が噴水のように噴き出した。
「食べますが、なにか」
「そうか食べるノカ。冷めないうちに食べたほうが美味しいゾ」
怖い。
コレほどまでに怒ったレイアは、俺が大武会で魔王にキスされた時以来だ。
「お、おかわりもすぐ作れるから、遠慮なく言ってくれ」
「おおそうか、あと三つほど貰えるカナ。実にうまい」
やはり、シロ以外は誰も話さない。
しかし、いつのまにかアリスの皿にあったエッグベネディクトがなくなっていた。
どうやら一口で片付けたようだ。
ついでに、アリスのおかわりも作っておこう。
俺は逃げるように食卓から調理場へ移動する。
「しかし、不思議ダナ。この料理は本来ならこの世界にはないものだ。これをどこで知ったノダ?」
「覚えてないんだ。すごく小さい時に、誰かに作ってもらったんだ」
それが親父だったか、お袋だったか、赤の他人だったかわからない。
でも、俺の舌はずっとその味を覚えていた。
「すごいナ。タクミは。それを再現しているノカ」
俺の名前をシロが言った時に、場の空気がさらに重くなった。
「新参者が、タクミ殿を呼び捨てだとっ」
『許されへんな、クーちゃん。新入りの礼儀を教えなあかんで』
やめてあげて。
その人、何をするかわかんないから、大人しくしておいて。
本来なら食事の前にみんなにシロを紹介するはずだった。
しかし、シロがご飯が冷めたらいけないから、先に食べようと言ったので、紹介しないまま、席につくことになってしまった。
「……ダメだ。俺にはちゃんとみんなに紹介することができない」
おかわりのエッグベネディクトを作りながら、食卓をチラ見する。
「お主、只者ではないな」
これまで、完全に沈黙を保ってきたヌルハチが、ついにシロに向かって口を開く。
「そうだネ。この中ではワタシが一番強いとおもうヨ」
もう空気がピリピリを通り越して、ビリビリしている。
ヌルハチだけではない、アリスやレイアも、殺気のこもった目で、シロを激しく睨んでいる。
「別に強さは関係ないでしょう。ここに住むのに大切なのは、タクミに気に入られるか、どうかだけなんだから」
「ルシア王国の王女カナ。最初からワタシに気付いていたのカナ」
「古い伝承の本で読んだことがあったのよ。この世界の始まりであり、理であり、混沌である存在。でも、そんなことはどうでもいいわ」
今、シロの正体について、サシャが重要なことを言ったみたいだが、意味がわからなかった。
「貴女が何者であれ、タクミが困っているなら、出て行ってもらう」
「ホウ、そんなことがオマエに出来るノカ?」
「一人では無理ね。でも、ここにいる五人と一本ならできないこともないと思うわ」
ちゃんと魔剣カルナも数に入れてあげている。
でも、やめて、挑発しないで、怖いから。
「無理ダヨ。試してみるカイ?」
シロの言葉と同時だった。
アリスがいきなり立ち上がり、全力全開でシロに殴りかかる。
これまで、その一撃を止めた者は、誰一人としていない。
だからこそ、その光景はあまりにも信じ難いものだった。
「ホラ、無理ダロウ」
指一本。
アリスの全力の右拳を、シロは人差し指一本で止めていた。
「……何が無理だって」
ビキッ、と踏ん張ったアリスの足元にヒビが入る。
ああっ、おニューの洞窟がっ!
「まだ、全力じゃなかったノカ」
「洞窟を壊したらタクミに怒られるからな」
ぐぐぐ、とアリスの拳に押され、シロの人差し指が反り返る。
そして、ビキビキと、床のヒビが広がっていく。
壊れてる、壊れてるよ、アリスっ。
「あまり舐めないほうがいいんじゃないかしら? この隙に私達も色々できるのよ」
「うん、いいヨ。やってみてヨ。いくらでもネ」
サシャのさらなる挑発に、シロが微笑んだ。
美しい顔の笑みなのに、目も鼻も口もない時の笑みより、遥かに恐ろしい。
それは、あらゆる狂気を含んだ、不気味な笑顔だった。
「はい、はーい、おかわり出来ましたぁ、喧嘩はやめて、仲良く食べましょうねー」
飛び込むようにテーブルにおかわりを運ぶ。
一瞬即発の空気が、少しずつゆるんでいく。
「そうね。続きは朝ご飯の後にしましょうか」
いやいや、続かなくていいからね。
サシャに向かって、必死に首を横に振る。
任せといて、といった感じでサシャがニッコリ笑って頷いた。
ちがう、ちがうっ、ちがううっ。
「なんだ、もう終わりカナ。準備運動にもならないノカ」
シロの言葉に五人と一本が反応する。
だが、誰もシロと目を合わせない。
必死に無視しながら、ようやくみんなでエッグベネディクトを食べ始める。
「……タクミさん、ご飯の後、修業をしてもらっていいですか? 私、急速に強くなりたいです」
シロの強さを目の当たりにしても、レイアは一切諦めない。
『うちらも特訓や、クーちゃん。ちょっと本気でやろか』
「よっしゃ、カル姉!」
カルナとクロエも燃えている。
「ヌルハチ、ルシア王国の図書館に、コイツの事を書いた本があるわ。きっと弱点もあるはずよ」
「あとで転移魔法で国に戻ろう。気になることもあるしな」
ダメだ。
全員戦闘モードに入っている。
そんな中、アリスは右拳を握ったまま動かない。
その拳には、シロの指の形そのままに、赤いアザがついていた。
アリスは、じっと何かを思うように、その右拳を眺めている。
そして、シロは周りの様子をまったく気に留めることなく、おかわりのエッグベネディクトにかぶりついた。




