十話 紅と黄金色の休息
「ほらこれ、ちーーん、てしろ。ちーーん、て」
「ぐすっ、ありがとうございます、ちーーんっ」
ようやく泣き止んだレイアが鼻をかむ。
「すいません、タクミさん」
「いや、いいんだ。あれでも大賢者だからな。アイツに勝てるやつなんて殆どいない」
ヌルハチが負けるとこを見たのは後にも先にも、アリスをダンジョンで拾ったあの日、一度だけだ。
「禁まで破ってしまい、タクミさんに触れてしまいました。力を抑えるのに、無茶をなされたのではないですか? かなり苦しそうですっ」
「大丈夫だ。気にするな」
大丈夫なわけがない。
掴まれていた足が超痛い。
本当は俺が号泣したい。
「くっ」
レイアが悔しそうに唇を噛む。
「……私はっ、未熟者でしたっ。あの時、ヌルハチの言葉に動揺してしまったんですっ」
そう言えば、あの時、ヌルハチはレイアに話しかけていた。
十年前と変わらない戦法だ。
長く生きているだけあって心理戦に長けている。
「誰にもっ。アリス師匠にも話してない過去が私にはあります。その過去にヌルハチは触れてきたのです」
まずいぞ。
これ、過去回想とかに入って話が長くなるやつだ。
今日は稲の収穫が残っている。手短に終わらせないといけない。
「いい、全部言わなくてもわかっている」
「まさかっ! いやっ、さすがタクミさん。私の目を見ただけでその過去のすべてを見抜いてしまったのですねっ」
「よくわかったな、その通りだ」
時間の短縮に成功する。
だいたい、誰にも話してない過去話とかそんな重たい話、なるべくなら聞きたくない。
「私は一体どうすればその過去と決別できるのでしょうか?」
「そんなの気にしなければいいだけじゃないのか?」
ずばり実体験だ。
過去の事を気にしてウジウジ悩んでいても仕方ない。
最弱だった冒険者時代を思い出しても悲しくなるだけだった。
「自然の中にいれば過去なんてちっぽけに思えてくる」
「私の過去を知りながら、それでもそれをちっぽけと言えるのですね」
「あ、ああ。その程度の過去、風が吹けば飛ぶようなものだ」
本当はその過去、まったく知らない。
そう言えば、死をも厭わぬ修行で痛みを感じなくなったとかヌルハチが言ってた。
想像するのも恐ろしい。
草原をレイアと二人歩く、しばらく進むと稲を植えた田圃に到着した。
緑から黄金色に景色が変わった。
秋が深まり水を落とした田圃には、頭を垂れた稲穂が並んでいる。
そこに風が吹き、稲穂が揺れる。
穂波だ。
田圃の上を風が渡り、揺れる稲穂が作る波はまるで黄金の波のように見える。
「わぁ」
その光景をレイアは子供のように眺めている。
「あれはアリスに似ている。そう長くは続かぬぞ」
そう言ったヌルハチの言葉を思い出していた。
幼いアリスを拾った時、俺は彼女を育てていこうとした。
だが、俺が側にいることで、すべてが崩壊していく。
あの時、追放を受け入れ冒険者をやめたのはヌルハチから逃げる為じゃなかった。
最弱である俺がアリスの隣にいることが出来なくなったのだ。
痛む足をさすりながら、ほんの小さな決意をする。
それはまるで意味のないことかもしれない。
だが、それでもやってみよう。
もう一度、身体を鍛えよう。
冒険者をやめてから十年間、貧弱な肉体はなまりになまり、もはやゴブリンにすら勝てないだろう。
レイアが納得して、ここを出て行くまでだ。
俺が教えなくても、すぐにレイアは自分自身で勝手に強くなっていくだろう。
やがて、ヌルハチやアリスと並び立てる程に。
せめてその間だけは、少しはマシな師匠を演じてやろうじゃないか。
「タクミさんっ、見てくださいっ、これ、すごいやってきましたよっ」
稲にアキベニと呼ばれる紅トンボウが集まってきた。
黄金色の稲穂が赤に染まる。
その中心でレイアが踊りだした。
確か、東方の踊りで舞とかいうやつだ。
紅と黄金に囲まれて、幻想的に踊るレイアに一瞬見惚れてしまう。
普通に笑っていれば、普通に美しいお嬢さんなんだな、と認識を改める。
神とか憑依させて、鬼のような形相で戦うレイアと同一人物とは思えない。
「それ、人に卵産み付けるから気をつけろよ」
「ええっっ!」
「人間の皮膚に穴をこじ開け、そこに卵を植え付けていくんだ。その卵が孵化すると肉を食べ始め……」
「ほ、ほ、ほ、本当ですか、それ」
「本当だったら超怖い」
「タクミさんっ!」
二人で馬鹿話をしながら稲を刈り始めた。
芋の皮剥きとは違い、レイアは稲刈りをすぐにマスターした。
どうやら、細かい作業でなければ大丈夫らしい。
そういえば、大量の芋をスープにするため、モウ乳が必要だ。
あまり、山から出たくはないが、モウ乳を買う為に街に降りる必要がある。
ついでに、安物の剣や盾も買っておこう。
冒険者時代の装備は全部置いてきてしまった。
「タクミさんっ、なんだか身体が軽いですっ。私、多分、すごく強くなってますっ」
くるくると舞を踊りながら、レイアが稲を刈っていく。
「次は必ず勝ってみせます。タクミさんにたくさん抱きついたので、神降しの時よりも、遙かにすごい力が宿っているのがわかりますっ」
また、例の発作だ。
神じゃなくて悪魔が降りてるんじゃなかろうか。
ヌルハチに話して、検査してもらったらよかった。
「ま、まあ慌てず、ゆっくりな。どうせ、ヌルハチはちょこちょこやって来るだろう。次はもっと力を抜いて戦うがよい」
「はいっ、タクミさんっ」
元気よく答えるレイアに不安になる。
毎回あんな戦いを繰り返されたら、流れ弾に当たって死んでしまう。
腰に装着した転移の鈴を見る。
さすがに前のように首輪につけるのは抵抗があった。
どうせ毎日来るんだろうが、出来れば週一ぐらいで勘弁してほしい。
そう思っていたが、何日経っても、ヌルハチがここに来ることはなかった。
ヌルハチがアリスと戦って亡くなった。
その知らせが届いたのは、少し後になってからの事だった。