閑話 サシャとアリス
歌声が聞こえきた。
冒険者時代に何度か聞いたことがある歌だ。
誘われるように、洞窟の外に出る。
外はすでに真っ暗だったが、かすかな月明かりが、大きな岩場に座っているサシャを照らしていた。
「あら、目が覚めた?」
歌うのをやめて、サシャがこちらを振り向く。
「……元から寝ていない。それがわかっていて誘い出したんだろ?」
ワタシの言葉にサシャが、静かな笑みを浮かべる。
「そうね、少し貴女と話したかったの」
「奇遇だな。ワタシも話したいことがある」
サシャに向かって、殺気を放つ。
常人ならば、それだけで気を失うか、発狂してしまうほどの強い気をサシャは平然と受け流す。
「あらあら、何を怒っているの? アリス」
「とぼけるな。ワタシに教えた化粧や料理、全部デタラメだったらしいな」
「それはそうでしょう。アリスとタクミを一緒にさせるわけにはいかないもの」
「……ぐっ」
地平の彼方にぶっ飛ばしたい。
その衝動を抑えるのに、必死だった。
サシャに手を出せば、それは悪い形でタクミに伝わる。
冒険者時代から、サシャはそういった策略に余念がなかった。
ヌルハチはバルバロイ会長が、最も戦いたくない相手だといっていたが、サシャに比べれば可愛いものだ。
純粋な戦闘なら負ける気はしないが、口論ではサシャに勝てる気がしない。
「まさか、全員一緒に住むことになるなんて予想外だったけど、油断はしないほうがいいわよ。私は一番に貴女を追い出そうと考えているわ」
そう言ってサシャは、懐から私が渡した紙を取り出した。
そこには大きく1と書かれている。
「貴女も私を一番のライバルと認めているのでしょう。私も同じ。だから容赦はしないわ」
そう、サシャはタクミのまわりにいる他の女達とは、一線を画す。
レイアやワタシのように強さに憧れているわけではない。
ヌルハチのように母性を抱いているわけでもない。
カルナやクロエのように真っ直ぐに好意を持っているわけでもない。
彼女がタクミに抱いている感情がなんなのか、それが全くわからない。
だが、それでもサシャがタクミに対して、強い想いを抱いていることがハッキリとわかる。
「……ワタシとて、容赦はしない。ワタシが一番タクミのことをわかっている」
自分に言い聞かせるようにそう言った。
サシャが、まるですべてを見透かしているかのように、ワタシを見つめている。
「無理よ、アリス。タクミのことは、誰にもわからないわ」
「そんなことはないっ! 確かに、タクミの力はワタシよりも遥かに強く、まるで及ばない。それでもっ、ワタシはいつかっ、その頂まで登ってみせるっ!」
出会ったその日から、一日も休まず修行してきた。
いつかタクミの隣に並び立つ。
それは、他の誰でもない。
このワタシにしか、出来ないことだ。
だが、サシャは、そんなワタシに憐憫の眼差しを向ける。
「無理よ、アリス。タクミは貴女が思っているより、ずっとずっと強いわ。どれだけ強くなろうと追いつけない。タクミの強さは、貴女の強さとは別のものよ」
別次元の強さ。
そんなことは知っている。
しかし、サシャはそんなワタシの心を見透かしたように、首を振る。
「違うのよ、アリス。貴女は感じたことがないの? タクミは異質よ。どのような状況でも、日記を書いているように、自分のことを俯瞰して見ている。そう、まるで、そこに自分がいないみたいに」
「……それはっ、し、しかし、ワタシもいつか修練によりその領域にっ」
「無理よ。修練なんかじゃないわ。タクミは生まれつきそうだったのよ。壊れた器。この世界に、そんなことができる人間なんて存在しない。その意味がわかる?」
ずっと考えないようにしていた。
タクミが何者なのか。
父は創造神、母は大精霊。
タクミは普通の人間であるはずがない。
「タクミの隣にいることなど、誰も出来ないわ」
サシャの言葉に、言葉を失う。
魔王やヌルハチ、そしてワタシもこの世界では、十分に異質な存在だ。
タクミが現れるまで、誰も自分達を受け止めてくれるものなど存在しないと思っていた。
ワタシたちはタクミによって救われ、今こうして笑って暮らしている。
だが、タクミ本人は、誰かによって救われることはない。
「……だったら、サシャは、なんの為に、ここにいるんだっ」
サシャは、ほんの少しだけ笑みを浮かべ、洞窟の上にある月を指差した。
「私は、暗闇の中でタクミを照らすだけでいい。隣に立とうとは思わない。夜が明けたら、消えてしまってかまわない。ただ、隣に立つ資格がない者が、そこに立とうとするなら、全力で排除するわ」
サシャの言葉には重みがある。
硬い決意に満ち、揺らぎない自信が溢れていた。
「ここに住む全員を追い出すつもりか?」
「そうね。タクミは優しいから、ほっておいたら、ずっとみんなと一緒にいるでしょう。でも、それはタクミの幸せに繋がっていない」
サシャの目が、細くなり、色を失くした瞳がワタシを見る。
背筋にゾクリと寒気を感じた。
改めて実感する。
やはり、ワタシはこの女に勝てる気がしない。
「覚悟しておいてね。貴女もみんなも、やがて排除する。そして……」
サシャが何もない空間をきっ、と見上げた。
そこには何もなく、全く気配を感じない。
「アナタもね」
その瞬間、何も無かったはずの空間に揺らぎが生じる。
何かがいる。
どうして今まで気がつかなかったのだ。
とんでもない何かが、上空からワタシたちを見つめている。
集中することで、ようやくその存在の姿を見ることができた。
真っ白い、目も鼻も口もない、ただ白い存在が宙空に浮いている。
なんだ、コイツは……っ!?
これまで、どのような相手でも対峙した瞬間に、その強さがわかっていた。
だが、この白い存在からは、それが全くわからない。
こんなことは初めて……
いや、ちがう。
もう一人いる。
そう思った瞬間、白い存在の顔に口のようなものが、突如出現した。
ワタシの考えがわかるのか、その口がニタリ、と吊り上がる。
纏う空気はまるで違う。
白い存在からは、不快なものしか感じない。
だが、それなのに、何故かこんな事を思ってしまう。
タクミと…… 似ている。
白い存在は、ワタシのほうを見たまま、夜の闇に溶け込んでいく。
それは、ヌルハチの転移魔法とは違い、まるで、世界そのものから、消えていくようであった。
「……ア、アレはなんだ? サシャ」
そう言った自分の声が震えていた。
「わからないわ。でも、想像はつく。アレはこの世界のものじゃない」
白い存在が消えた場所を、じっ、と睨みながらサシャが答える。
「だから、タクミに惹かれ側にいるのね。彼女、ずっとここにいるつもりよ」
彼女? あの白い存在は女なのか!?
「まあ何者であれ関係ないわ。タクミに近づくものは、私がすべて片付ける」
揺らぎない決意で、凛とした表情を浮かべるサシャ。
やはり、1の紙をサシャに渡したのは間違いではなかったのだろう。
そして、ワタシは得体のしれない白い存在に、今まで感じたことのない脅威を感じていた。




