八十二話 二人きり生活 サシャ編
「片付けが甘いですね。これではただ単にものを移動させただけです。もっと生活の効率を考えた配置を考えないと」
二人きり生活三日目の朝。
入れ替わりでやってきたサシャはいきなりクロエに説教をかましていた。
「しかも、ご飯は三食ともタクミに任せたらしいですね。そんなことで嫁の座が獲得できるとお思いですかっ」
一緒に住む二人を選ぶのがいつのまにか、嫁を選ぶことになっている。恐ろしい。
「う、しかし、サシャ殿から教わった料理は、我には難しくて……」
「生魚の腹わたを抜いて、生きた虫をいれるだけでしょうっ。それぐらいできなくてどうするんですかっ」
どうやら、サシャはアリスが作った『生魚の活け造り昆虫和え』を、クロエにまで教えていたようだ。
よかった。
自分で朝食を作って本当によかった。
「まあ、一晩ではそこまでは伝授出来ませんね。もし私とクロエが残ったら、もっと色々教えてあげましょう」
「ありがとうございます、サシャ師っ」
いつのまにか、クロエはサシャ師と呼んでいる。
さすが、ルシア王国王女。
人心把握は、お手の物だ。
「それでは我はこれで。ご健闘をお祈りしています」
「ええ、悪いけど圧倒的ぶっちぎりで勝たせてもらうわ」
クロエが俺のほうに向かってお辞儀をして帰っていく。
けっこう穏やかな一日だったなあ。
クロエと二人で過ごすのは悪くないと思ってしまう。
「さあ、タクミ、さっそく腕によりをかけて、朝食を作りますね」
フフフ、と自信満々の笑みを浮かべるサシャを見て、不安になる。
「い、いや、よかったらご飯は俺が……」
「ダメよ。確かにタクミの味には勝てないかもしれないけど、料理はそれだけじゃないの」
いや、普通に食べれるのが出てくればそれでいいのだが……
「期待して待っていて。愛情たっぷり料理の破壊力をお見せするわ」
バーーン、と両手を大きく広げてポーズをとるサシャを見て、不安はさらに深まっていく。
「あれ、普通に美味しい」
「え? 普通?」
すっ、とサシャの目が細くなり、するどい殺気を感じる。
「い、いや、すごく美味しいよ。本当にっ」
「よかった。普通だったら、昼は特別料理にしなければならなかったわ」
にこっ、とサシャが笑いほっ、と胸を撫で下ろす。
褒め方も気をつけなけば、恐ろしい展開が待っている気がする。
しかし、サシャの料理は本当にちゃんとしたものだった。
だし巻き卵に味噌汁にご飯と漬物。
非常にシンプルだが、どれも味がしっかりして、バランスよく作られている。
もう、少し薄味ならなお好ましいが、そこは言わないでおいたほうが身のためだろう。しかし……
「どうして、アリスやクロエには、変な料理を教えたんだ?」
ふと疑問に思ったことをそのまま口に出してしまった。
「ライバルですからね。私は容赦はしません。正々堂々と戦って勝てるならそうしますが、冷静に分析して私は四人の中で上位に入っていると思いませんでした」
「つ、つまり二人を蹴落とすために、工作した、と」
「そうです。一緒に住むことでみんなとの差を埋めるつもりでしたが、こういうことになってしまったからには、なりふりかまってられません」
潔いほどに裏工作を堂々と言ってのけるサシャ。
もはや、表工作と言ってもいいのではないだろうか。
「それだけ必死ということよ。わかってくれた?」
「う、うん。わ、わかったからちょっと真っ直ぐに見つめないでくれ。あと、顔が近い」
ここまで、グイグイとくるサシャを見たことがない。
そんなにここに住んでいたいのは、ルシア王国での生活が窮屈で戻りたくないからか。
「ちなみにこの後も、色々な罠を仕掛けています。先に言っておいてもいいかしら?」
「え? それって先に言ってもいいのか?」
「はい。あまり刺激が強すぎると、タクミにはかえって逆効果になるから、前もって聞いたほうがいいと判断したわ」
先に罠を宣言するなど初めて聞いた。
本当にサシャは、清々しいほど、正々堂々と罠を仕掛けてくる。
「まず、この後、タクミが洞窟に戻るときに前もって中で着替えておくの。タクミは、私のあられもない姿を見ることになるわ。どう、ワクワクしない?」
「うん、やめてね。心臓に悪いから」
「え? ダメなの? まだ、ステップ1よ」
「できれば、ステップは0のままでいてくれないかなぁ」
ステップ1からいきなりハードルが高かった。
無理だ。多分、他の罠も全部耐えれそうにない。
「本当にダメ? それじゃステップ2の背後からぎゅっや、ステップ3の一緒にお風呂までいけないじゃない」
ステップのランクアップが激しくて目眩がした。
よかった。ステップ1で止めといて本当によかった。
「ちなみに、その罠いくつあったんだ」
「ステップ10まであったわよ。ちなみにステップ10は、一緒の布団で……」
「うわぁ、言わなくていいっ! ストップだっ! 言うのも禁止っ!」
ダメだ。サシャは他の三人と、いや俺も含めてレベルが違う。
「まあ、いいわ。少し手加減してあげるわ。タクミは十年前から変わってないのね」
「……サシャは変わったのか?」
そう言うと、サシャは少しだけ、悲しそうに微笑んだ。
「そうね。あの頃の純粋な冒険者のままではいられなかったわ。王宮では嫌でも下世話な話が聞こえてくるもの」
「そうか。俺は十年間、一人で山に引きこもっていたからな」
「まあ、耳年増なだけで、実際は経験ないんだけどね。良かったらステップ5くらいまで試してみる?」
「い、いや、遠慮しておくよ」
サシャはやれやれといった感じで肩をすくめる。
「まあ、タクミらしいわね。そうやってずっと誰も選ばないつもりでしょう」
「そんなことはないぞ。ちゃんと四人のうち二人を選ぶつもりだ」
さすがにこの洞窟に五人で住むことはできない。
「そうじゃないわ。たった一人の特別な誰かのことよ。きっとタクミはもうすぐその選択をしなければならなくなるわ」
「? それはどういう意味なんだ?」
「気づかないの? いえ、気づかないフリをしているの? いままでのバランスが崩れそうになってる。何か巨大な、見えない者の力をタクミの側から感じるわ」
「えっっ!?」
それは白い者のことなのかっ。
その言葉をギリギリで飲み込む。
アリスですら気付いていない白い者のことをサシャが気付いているとは思えない。
ただ、直感のように感じているのだろう。
『すごいね、彼女。さすがルシア王国の血筋ダネ』
ボソリと白い者のつぶやきだけが聞こえるが、サシャを警戒しているのか、その姿を現さない。
「たぶん、タクミの選択は世界を揺るがすような大きな選択になるわ。アリスだけじゃない。あまりにも強い者が貴方の側に集まり過ぎている」
『オマエがいなくなれば、アリスはこの世界を滅ぼす』
そう言った白い者の言葉を再び思い出す。
「でも大丈夫よ。タクミが私を選ばなくても、愛人として側にいて助けてあげるわ」
「いや、愛人はまずいだろっ! でも助けてくれるのは嬉しいよ」
サシャは冒険者時代からどんな時も俺を助けてくれていた。
断崖の王女と呼ばれ、ちょっと策略家で怖いところもあるが、すごく頼りになる仲間だ。
しかし、あまりにも近過ぎて恋愛感情とは違い、頼りになるお姉さんのような親近感が強い。
「そのかわり、いつかちゃんとステップ10まで耐えれるようになってね」
そう言ってウインクして笑うサシャに、俺は引きつった笑顔を返した。




