九話 戦いの向こうにあるなにか
「参る」
そう呟いたレイアの足元から、ごうっ、と風が吹いた。小さな竜巻のように、レイアを風が包み込む。後ろで一つに束ねていた髪留めが弾け飛び、長い黒髪がばさっ、と広がった。それと同時に黒かったレイアの瞳が朱色に染まる。
「あの小娘、まさかっ!」
クロエが驚きの声を上げる。
「神降ろし!?」
どんっ、とレイアが地面を蹴った。一瞬でヌルハチの眼前に迫る。それは人間の可動速度を遥かに超えるスピードだった。
「はっ、これは予想以上だ」
ヌルハチがそう呟いて、嬉しそうに笑みを浮かべる。自分と戦えるような強敵に出会えた時、いつもヌルハチは目を細め、両唇を吊り上げる。
レイアが右手に持っていたカタナをヌルハチに向かって横薙ぎに振るう。
残像。
すでにそこにヌルハチの姿はなく、魔力で作り出された幻が切られて、搔き消える。
ザバァッ、とその後ろの木々も同時に真っ二つになった。
「次元ごと、切っているのか? 当たればヌルハチも無事ではすまないな」
レイアの真上、その上空にヌルハチが浮いていた。
「東方の秘術、神降ろし。この目で見たのは初めてだ。その身体に神を憑依させ戦うと聞くが、実際はどうなのだ? そう思い込み、自らの肉体を偽っているだけじゃないのか?」
『本当にそう思うか?』
ヌルハチの問いに答えたレイアの声にぞくり、となった。
男と女の声が混ざったような二重の声。
さらにレイアの表情は神が宿ったというより、まるで鬼が宿ったような形相だ。
「面白いっ、久々に本気を出せそうだっ」
ヌルハチが自身を覆っていたマントを脱ぎ捨てる。
制御のマント。
膨大な魔力を抑えていた箍が外れ、ヌルハチを中心に目に見えるような魔力が辺り一帯に広がる。
ヌルハチの周りの空間に無数の小さな魔法陣が浮かび上がった。ヌルハチが両手を前に出し、指を動かす。それは見えない鍵盤を弾いているようで、一瞬、その華麗な指の動きに見惚れてしまいそうになる。
だが、それは地獄の前奏曲だった。
ヌルハチが架空の鍵盤を叩く度に、空間の魔法陣から光が噴出し、ビーム状になって、レイアに襲いかかる。ヌルハチが得意とする超攻撃魔法だ。
雨霰のようにレーザービームがレイアに降り注ぐ。だが、レイアはそれを避けようともしない。
『千本阿修羅』
技の名前だろうか。
カタナを持ったレイアの腕がまるで千本あるかのように、分裂する。超高速によるものなのか。その剣技が全てのビームをサイの目状に斬り裂き、バラバラにしていった。
「凄いな、これほどまでかっ」
クロエが興奮して声をあげる。
「この形態のままでは二人には勝てないっ。タクミ殿、ドラゴン形態になってもいいかっ」
「いや、やめろ。お前、関係ないから。あと、流れ弾飛んできたら、ガードしてくれっ」
人外の戦いに逃げ出したくなる。
これ、ビームがかすっただけで、俺、死んでしまう。
「と、とりあえず、もう、先に身体を触ったほうの勝ちなっ! 相手殺したら負けだぞっ! わかったかぁっ!」
必死に叫ぶが返事はない。
きっと心には響いている。そう信じるしかない。
「なるほど、タクミ殿なら触れた瞬間に相手を気絶させられる。お前らもそれぐらいやってみせろ、そういうアドバイスだなっ」
「あ、ああっ。その通りだ。よくわかったな」
そんなこと言ってる場合ではない。
本当に早く止めなくてはエライことになりそうだ。
「その剣筋。様々な流派を渡り歩いているな。だが、すべて皆伝されてない。一つの場所に留まれなかったのか?」
『……うるさいぞ。黙って戦え』
激闘の中、微かに二人の話し声が聞こえる。
「わかるぞ、お前程の力、常人には受け止められない。嫉妬され、畏怖され、やがて、迫害されるっ」
『黙れと言っているだろうっ』
動揺したのか。
これまで完璧にビームを斬り裂いていたレイアに乱れが生じる。一本、斬り損ねてギリギリの所をカタナで弾きかえす。
その隙をヌルハチは見逃さなかった。
「タクミの側にいるのは心地良かったか?」
『!?』
瞬間移動。
レイアの眼前にいきなりヌルハチが現れる。その構えた両手に、光が収縮されるように集まっている。
「波動球・塊」
レイアの腹に光の球が直撃した。閃光と共に光が爆発し、ばん、ばん、ばん、ばん、とレイアが地面をバウンドしながら弾けるように飛んでいく。
「レイアっ!」
「まだですっ」
慌てて駆け寄ろうとしたが、レイアはすぐに起き上がった。
「止めないでくださいっ、タクミさんっ! まだ、やれますっ!」
その迫力に思わず黙ってしまう。
だが、止めなくてはならない。
レイアは神降ろしが解けている上にもうボロボロだ。
「痛みを感じぬか。死をも厭わぬ修行の成果だな。だが決着はついたのではないか? ヌルハチはお前に触れたぞ」
「ま、魔法が触れただけだ。まだ、私は負けてはいないっ」
ちゃんと俺のルールを聞いてくれていた。
でもここで納得してくれないと、同じことだ。
「駄目だ。魔法もヌルハチの一部だ。レイアのカタナ、それもお前の一部だろう」
「う、私は、まだ、私はっ」
握ったカタナを見つめ、自問した後、レイアが崩れ落ちる。
「ヌルハチ」
レイアを背にヌルハチと対峙する。
「なんだ、タクミ。ヌルハチの勝利を祝い、キスでもしてくれるのか」
「頼みがあるんだ」
譲れないものはある。
だけど、少しだけお互い歩み寄ることはできる。
「ずっと一緒にはいられないが、いつでもここに来ていい。転移の鈴は昔みたいにずっと身につけておく。だから今日は帰ってくれないか」
お互い目を逸らさずに見つめ合う。
ふぅ、とヌルハチはため息をついた。
「仕方ないのう。貸しじゃからな。あと忠告もしておく」
ヌルハチがレイアを見た。
地面に膝を落とし、必死に嗚咽を堪えている。
「あれはアリスに似ている。そう長くは続かぬぞ」
「大丈夫。わかっている」
「ふん、アナタのそういうところが……いや、いい。もう何も言わん」
地面に落ちていたマントを拾って装着すると、ヌルハチはクロエのほうに歩いていく。
「今日は帰るぞ、黒娘、疲れたから乗せていけ」
「え、我はここでタクミ殿と暮らす、あ、ちょっと、そこ、触っちゃ駄目、ツノは性感帯だから、やめっ」
有難い。クロエも連れて行ってくれるみたいだ。
「レイア、大丈夫か?」
その言葉が引き金になったのか。レイアが俺の足にしがみつく。
「うっ」
ずっと堪えていたものが溢れ出したのだろう。それは多分、ヌルハチとの戦いだけではない。ずっと一人で戦ってきたレイアの、これまでのすべてが溢れ出したのだ。
「うわぁあああああああああっ」
小さな子供のようにレイアは号泣した。
そっ、とレイアの頭を撫でる。
しがみつかれた足がみしみしと破壊の音を立てるが、俺はひたすら頑張って耐え抜いた。