ミスコンの黒い罠
決して悪意などありません。
ふっと思ったことを『宇野鴻一郎』風に書いてみた。
ただそれだけです。
ミスコン。それに憧れを抱かない人がいるでしょうか。もちろん男子と女子では思惑が違うでしょう。男子は男子なりに、そして私たち女子だって心をときめかせる一大イベントです。特に私のように女子高から入学した者は、ほとんどがそう思っていることでしょう。でも、それが巧妙に仕組まれた罠だったとしたら、あなたはどうしますか?
私は中国地方の女子高を卒業して、四月から東京の大学で学んでいます。中国地方でも大きな町、私は十分に都会だと思っていましたが、東京はすごく大きくて賑やかです。そして人が多い。仰天することばかりでした。
学校もモダンで、すごく多くの学生でムンムンしています。中学と高校を女子校ですごした私には、男子学生と腕を組んでいる人のことが不思議でたまらなかったです。授業のときなどに男子から声をかけられたりすることもあって、なんだかとっても恥ずかしく感じました。方言を隠そうという気持ちもあり、なおさら小さくなっていました。
あれは、梅雨の真っ只中だったと思います。学校でミスコンテストの募集がありました。私は、そんなイベントがあるのかと他人事でしかなかったのですが、クラスの人達から応募しろと勧められました。でも、引っ込み思案な性格ですから、そんな恐ろしいことはできません。クラスの中でさえ恥ずかしいのに、大勢の前に出るなどとんでもないことです。だからお断りしたのですが、知らないうちに友達が応募してしまいました、勝手に。
実行委員会から通知が届いたのは、九月の中頃でした。まだ暑さの真っ只中で、大学というところは何をするところだろうと唖然としました。すぐにそれはクラスに知れ渡り、すっぽかそうとあれこれ抵抗してみたのですが、無理やり連れて行かれたのです、面接審査に。そして、すぐに次の通知がきました。
そんなこんなでミスコンの投票があり、私は準ミスに選ばれてしまったのです。
はっきり言って、嫌でした、迷惑でした。どこへ行ってもジロジロ見られるし、気安く話しかけてくる人があとを断ちません。特に運動部の試合に引っ張り出されるのが嫌でした。それと、写真撮影会だといってモデルをさせられるのも嫌でした。思うように休日をすごせなくなり、アルバイト先にも迷惑をかけました。
やがて冬休みになりました。大学生になって初めての冬休みですから、私は家族と正月を迎えることを当然のように思い、指定席も確保してありました。でも、その予定をキャンセルさせられたのです。
年明け早々のイベントといえば、二日間にわたってくりひろげられる駅伝大会を知らない人はいないでしょう。そのゴール地点で華を添えるのが、ミス・準ミスの仕事だというのです。そんなことを知らされていなかったので、当然のことですが抗議しました。すると、学生課に呼び出されて長々と説得されたのです。でも、どう考えてもあれは説得ではありません。成績に手心をくわえるとか、出席日数をどうとか、つい気持ちをゆさぶられるような甘い提案ですが、私にはそういう気遣いなど無用です。すると、家賃の肩代わりを提案してきたのです。
「君には本学の広告塔として負担をかけていることは重々承知しています。ですから、現在住んでいる家賃を肩代わりしようじゃないかね。もちろん、学費のことも免除できるよう計らうつもりです」
私はそれを聞いて耳をうたがいました。だって、ワンルームといっても家賃はばかになりません。それに加えて学費。それが本当なら父や母が大助かりです。さすがに気持ちがゆらぎました。すると職員が言ったのです。
「学校は自由を尊びます、保障されています。ですが、自由とはなにがしかの犠牲の上に成り立っているのも一方の事実です。今回のことを断るのは君の自由ですが、それなりの犠牲を覚悟してもらいたい」
それは遠まわしな脅迫でした。
経済的な支援などいつまで続くのかはわかりません。でも、私はお金に負けてしまいました。
集合場所は有名なホテルでした。そこにはすでに二十人ほどが集まっていました。それぞれがミスや準ミスで、すべて駅伝に出場する学校の学生ばかりです。それぞれに個室をあてがわれた私たちは、互いの接触と外出を禁じられました。そしてどういうわけか、携帯電話も取り上げられました。どういうことかと思ってロビーへ降りると、揃いの服を着た人達が出入り口の周囲にいます。外へ出ようとしたら押し戻されました。忘れ物があると言っても出してくれません。そこで電話を探したのですが、電話器に近づくことも許されません。何をするのも勝手だけれど、とにかく部屋から出るなと言われ、すごすごと引き返すしかなかったのです。出入り口や電話器を見張っていたのは、きっと私と同じ学生だと思います。少し上級生だったのかもしれませんが脂ぎっていて、粘りつくような視線が気持ち悪かったです。
救いといえば、豪華なご馳走をふるまわれたことでしょうか。大晦日の夕食も豪華なら、年越しそばもすごく豪華。元日のおせちなど、これでもかというほど豪華でした。昨夜と同じでお酒もふるまわれました。そうして気持ちよくなっているときに務めの内容を説明され、名前を読み上げられました。
三分の一は往路のゴールで順位メダルを選手に掛けるのが仕事だそうです。そして三分の一は、復路のゴール地点で選手を出迎えるのが仕事。私は復路のゴールテープ係だそうです。そして残った三分の一の人達は、別室へ移動させられました。
ウキウキしている人もいました。でも多くは目を伏せ、嫌がっているようでした。私の大学のミスは、イヤイヤをしながら後ずさっていたくらいです。でも、男の人に両脇を抱えられ、イヤダァーーって哀しそうな声を上げていました。
部屋を移された人達がどんな役割を与えられるのかは知りませんが、どうやら全員ミスのようです。
昼食後、往路組が出発しました。私たちは明日も一日中缶詰なのだそうです。
翌日、私はテレビに釘付けになっていました。駅伝の結果などどうでもいい、見たいのはゴール風景だけです。で、私が見たものは、ゴールした選手に着順メダルを掛ける姿でした。これくらいのことならできる。私はほっとしました。
また一夜がすぎ、いよいよ私が勤めを果たす日になりました。
いつものように朝食を摂ったあと、配られたジャージに着替えて待機し、早めの昼食を摂りました。そしてゴール地点へバスで移動しました。
ゴール地点には学校関係者はもちろん、多くの観衆で身動きできないほど混雑していました。私たちにはバスの中で役割を与えられていました。私は、ゴールテープを持つ係です。端をそっと持っていたら、選手が駆け込んできたときに自然にテープが持っていかれる。係の人がそう説明し、なんども練習をしました。次の選手が来る前に再びテープを持って待つのが私の仕事です。ほかの人達は、観客が立ち入れない場所に並んで声援をおくる練習をしていました。
ゴールはビルの谷間にあって、陽が射しません。ビル風が強くてとても寒いところです。そこで、バスに戻って選手を待つことになったのです。先頭の選手が最終中経所を通過したところだといいますから、一時間ほど時間に余裕があるそうです。
ずっと先でいろんな色のジャージが一斉に踊りだしたのを、私はぼーっと見ていました。パトカーが来て、テレビの中継車が来ました。すると沿道の観客が叫びだしたのが聞こえてきました。大きくなった中継車が右へ曲がると、その後には先導の白バイがいて、その間から懸命に腕を振る選手が見えました。
早くしてくれないかなあと、実は思っていました。だって、私は読書や音楽鑑賞が好きなのです。汗臭いスポーツなんか嫌いです。こんなことに付き合わされるのは我慢できなかったですし、寒くてたまりませんでした。
白バイが右へ曲がりました。あと百メートルか二百メートルを残すだけです。なのになかなか近づいてきません。私はじりじりしてテープを張っていました。
選手の様子が変わったのは、ゴールまで五十メートルくらいになったときでした。長距離を駆けると気が変になるのでしょうか。肉体を酷使すると苦しさを超越するのでしょうか。選手が顔を上げ、しっかり前を見据えました。苦しそうに明けていた口元がゆっくり吊り上ります。そして舌舐めずりをしました。
明らかにペースが上がっています。気違いじみた速さでテープを切った選手は、そのままの勢いで走って行きました。
次の選手のために急いでテープを拾いに行ったので、私は選手のことを見ていません。ただ、通りすぎた選手は、息が荒いだけでなく、なんだか奇妙な唸り声をあげているように聞こえました。
そして三人の選手が二位争いを始めました。でも、どうしたことか誰も先頭に立とうとしません。それでいて最後になるのは嫌なように見えます。なんだか三人の中での二位争いをしているように感じました。だって、先頭を来る選手が速度を落すと、ほかの二人もそれに倣って速度を落としたのです。ああいうのを牽制というのでしょうか。もうゴールが目の前なのですよ、牽制する意味があるのですか? でも、現実に三人は速度を落としていました。やっぱり先頭になるのが嫌なようでした。
それからも、小躍りしそうになってゴールする選手や、あからさまに肩を落す選手もいましたが、すべての最終ランナーがゴールしました。
あの日、これで解散と言われてその足で家族の下へ帰った私は、それからのことを知りません。ただ、冬休みが終わってもミスの先輩を学校で見かけることはなくなりました。退学したという噂がたって、いつのほどにか忘れられてしまいました。
そして春となり、新入生を迎えるとまたしてもミスコンテストが開催され、こんどは私がミスに選ばれてしまいました。
今、私は迷っています。私、見てしまったのです、テレビに映った映像を。
あの日、選手を待ち受けるチームメイトと共に、先輩が映っていました。そう、私の学校のミスです。その先輩が必死で逃げようとするところもチラッと映りました。観衆の声に消されてなにを言っているのか口をパクパクさせていました。すぐに映像が切り替わり、ゴールした選手がおそろしい勢いで先輩に抱きつくところが映りました。そして、あれはどう見ても無理やり唇を奪われているように見えました。先輩がいるであろうところの周囲を、揃いのコートを着た人達がかためていました。
次は私が。そう思ったら鳥肌がたちました。
なんだか居眠りしていたようですね。こんな部屋に閉じ込められて、おまけに携帯も取り上げられたのでは退屈すぎます。それでつい居眠りをしたのでしょう。でも、とっても生々しい夢でした。去年はゴールの手伝いをさせられたのですが、今年はなにをさせられるのでしょう。なんだか嫌な気分です。もう少ししたら三年生になれます。でも……
まさか夢のとおりにはならないだろうけど、すごく不安な元旦です。
平成三十一年 元旦 金子美鈴