2巻発売記念?「分岐点」
間違えなかった彼らと、彼女の話。
幸せで、哀しい物語。
多分パラレルです。
・イヴァル・レイヨン:剣士。暁のリーダー。31歳。
・スヴェン・ロセアン:重剣士。30歳。
・バート・アンフェ:武闘家。28歳。
・トーレ・ブロムヴァリ:魔法剣士。28歳。
・ラケル・スカンツェ:召喚士。27歳。
(年齢は全て事件当時のもの)
どれだけ頑張っても経験値が入らなくなった。査定もどんどん悪くなって今では最低評価しかもらえない。報酬も減らされて、経費を捻出するのがやっと。
あれほど親しくしてくれたザック達に会えなくなった。
一緒に頑張っていけると思っていた仲間達が冷たくなった。
下宿も手違いで解約されて、なけなしの財産も処分されて、逃げ場所すらなくなって――
『悪いがお前を連れていくと俺達が逃げられなくなる』
じゃあなんで無理に連れてきたの? 具合が悪くて歩くのもやっとだったのはイヴァルも知ってたでしょう?
『これを全部運ばないと依頼は失敗なんだ。分かってくれるよね』
分からないよ。依頼品はそれ全部じゃないでしょう。スヴェンは仲間よりも拾った装備品の方が大事なの?
『余所者だし、別にいいよね? ね?』
良くないよ。いいならなんで泣いてるの? 移民同士仲良くしようねって言ってくれたのはラケルだよ?
『ああ魔獣がきたぞ! 悪く思うなよ、仕方ないんだ』
どうして仕方ないの? ねぇバート、私は運べないのにどうして私の荷物は持っていくの?
『ごめんな、ごめんな。本当は俺だってお前を連れて帰りたいよ。でも依頼人が最優先だって皆が』
謝らないでよトーレ。結局は貴方だって私を置いていくんでしょう。罪悪感から逃げるための謝罪なんて要らないよ。
――ああ、生きるためにあんなに頑張ったのに、こんなふうにして私は死んでしまうの――。
「――リ! シオリ!」
耳元で叫びながら誰かに揺り起こされて、シオリは重い瞼をゆるゆると開けた。夜空と濃い影になった木々を背景に、心配そうに見下ろすラケルとバートの顔。
「あ……うん? 交代の時間?」
「……まだだけど、すげぇ魘されてたから」
バートの手を借りて身体を起こした途端に目の縁から水滴が流れ落ちて、シオリは慌ててそれを拭った。
「大丈夫? なんか最近よく魘されてるけど……」
「うーん……ちょっと夢見が悪くて」
背中をさすってくれるラケルにぎこちない笑みを浮かべてみせる。
――ここのところ、悪夢続きでよく眠れない。その夢を見て目覚めた朝は、一日中憂鬱になるほどに。足手纏いだと仲間達に罵られて、最後には真っ暗な迷宮に一人きりで置き去りにされる夢だ。
口にするのも憚られるような恐ろしい夢。
気の良い仲間達がそんなことをするはずがないのにそんな夢を見てしまい、気まずさに視線を逸らすとなぜか蒼褪めて疲れた表情のイヴァル達と目が合った。まだ深夜、交代前の時間。見張りのラケルとバート以外が起きているのはおかしい。
「え、あれ? 皆起きてどうしたの?」
もしかして魘される声が煩くて起こしてしまったのだろうか。そう訊けば、彼らは苦笑いしながら頭を振った。
「いやぁ……実は俺達もな」
「うん。ひっでぇ夢見ちまって」
「え、皆も?」
うー、とも、あー、ともつかない声でトーレが呻いた。イヴァルは頭をがしがしと掻きながら深い溜息を吐き、スヴェンは憂鬱そうに眉間を揉む。よほど夢見が悪かったのだろう、その顔色はどれも優れない。
よく見れば、起こしてくれたラケルやバートまで蒼白だ。
「実は私達もなんだよねー……」
「……ああ。交代前にな。これはねーわってくらい酷い夢だった」
「ここんとこはずっとそうなんだよね。ねぇ?」
「……おう」
何かうすら寒くなって、シオリは両腕をさすった。皆がそろって悪夢を見る。知らないうちにパーティごと何か妙な呪いにでも掛けられたのだろうか。
「ええ……なんだろう。気味が悪いね」
シオリの言葉に彼らは何か気まずいような奇妙な顔つきになった。
「実は……な」
「うん?」
イヴァルが何か言いかけて口を噤んで皆と目配せし合い、一拍置いてから彼らの視線が一斉にシオリに向けられた。
「……え、何?」
「実はな……皆似たような夢見てるんだよ。お前の夢」
「……私の?」
どういうことだろうか。先を促すと、躊躇いながらもスヴェンが言葉を継いだ。
「……シオリをな。皆で……その、いじめ倒して……最後に」
「――捨てる夢だ」
放置すれば助からないと分かっていながら、迷宮に置き去りにして逃げる夢。連れて帰る余裕は十分にあったにもかかわらず――。
ひゅ、と息を呑んでシオリは胸元を押さえた。
「あ、違うよ! そうしたいって思ってるとかじゃなくて、夢だからな!」
蒼褪めて黙りこくってしまったシオリに、トーレが慌てて言い繕う。分かっている。気の良い彼らがそんなことをするわけがないとは分かっている。にもかかわらず胸が潰れそうなほどに酷く痛んだのは、まさに同じような夢を見ていたからだ。ここしばらくの間、立て続けに、何度も。
「実は私も……見たの。皆が冷たくなって、色々酷いことされて、最後に……身ぐるみ剥がれて捨てられる夢」
異様とも思える沈黙が下りた。
この奇妙な一致が意味するところはなんなのだろうか。皆が皆、同じタイミングで同じ夢を見る。そんなことがあるのだろうか。
ざぁ、っと夜風が吹き、木々を揺らしてざわざわと音を立てる。遠くで耳障りな夜鳥の鳴き声が響き、枝から落ちた木の葉と共に、風に巻かれて漆黒の夜空に吸い込まれていった。
「……僕達の方は続きがあるんだよ。その後すぐにほとんど皆死ぬんだ。喧嘩して刺し違えたり、魔獣に食われたりしてさ。これ以上はないくらい酷い死に様だったな」
ぼそりとスヴェンが言い添える。
「――あのさ、私思うんだけど」
再びの沈黙を破ってラケルが言った。
「もしかしたらこれって――私達が辿っていたかもしれない、もう一つの未来かもしれないなって」
「……もう一つの、未来?」
どういうことだとイヴァルが促す。
「前に召喚術のお師匠様に聞いたことがあるんだけどさ。歴史が大きく変わるような事件とか、何か人生の分岐点になるような大きな選択をしたときにね、膨大な魔法エネルギーが生じるんだって。その魔法エネルギーを逃すために大精霊が神樹を枝分かれさせて、自分達の世界とは違う歴史を辿る別の世界を創るんだって」
つまりはパラレルワールドの発想だ。そんなSFじみた考えがこの世界にもあるとは思わなかったけれど、大精霊や神樹――世界樹を絡めてくるあたりはらしいとも言える。
「え……つまり?」
何やら難しい話を始めたラケルに、イヴァル達は目を白黒させた。
「つまり、さ……私達、ちょっと前に……結構大変な選択したでしょ? あれ……、もしかしたらあそこで歴史が枝分かれしたんじゃないかって。私達が見た夢は、枝分かれした方で本当に起きたことなんじゃないかって」
「え……いや、まさかなぁ……」
突拍子もない話にトーレはへらりと作り笑いを浮かべたけれど、イヴァル達は深刻な表情で考え込んでしまった。何か思い当たる節があるとでもいった様子だ。
「……大変な選択って? 何かあったっけ?」
シオリは首を傾げた。思い付くことと言えばこのパーティに自分が加わるか否かの辺りだろうが、それほど大変な選択を強いられるようなことではなかったはずだ。
皆それぞれ目配せし合う。お前が言え、嫌だよお前が言えよと何やらぼそぼそと押し問答を始め、いよいよシオリは眉を顰めた。どうやら何か隠し事があるらしい。
「いや、やっぱり話しておいた方がいい。知っていてもらった方が身の護りようがあるからな。あのな、シオリ。落ち着いて聞いて欲しいんだが」
結局パーティのリーダーであるイヴァルが説明役になったようだ。意を決したように重々しく口を開く。
「実はな。一ヶ月くらい前にマスターに言われたんだよ。どこぞの有力貴族がお前を欲しがってて、できれば従順に躾けてから引き渡したいってな」
「え!? なにそれ、どういう……」
何か恐ろしいことを言われたような気がして、ぎゅっと胸元を掴んだ。
「自分としても気は進まないが、かなり高位の貴族で断ったらどうなるか分からないから協力してくれないか、報酬と査定は有利にしてやるからって言うんだ。すぐに返事はしなくていいからよく考えてくれって」
「ランヴァルドさんが……そんなことを?」
ぞっとして竦めた肩を、ラケルが優しく抱き寄せてくれる。
ランヴァルド・ルンベック。トリス支部のマスターを務める男だ。物腰の柔らかい穏やかな紳士で、時々暇を見ては文字の読み書きや魔法を教えてくれた、親切な人。そんなふうな認識でいた彼が、まさか――。
「シオリは頭もいいし、しっかりしてるからな。騙して連れていくのは難しいし、強引に連れていってもあちらさんの意に沿わない態度を取って機嫌を損ねるかもしれない。それにお前、ザックさん達とも仲良いだろ? あの人達は人脈が太くて有力貴族とも繋がりがあるから勘づかれたらまずい、だから大人しく自分から妾になってくれるように、少しずつ手懐けておきたいって言うんだよ」
「話を聞いちまった以上、断ったら俺達もどうなるか分からないって遠回しに脅されてさ」
つまりはその貴族の従順な愛玩物になれということなのだ。恐らくは性的な行為を強要されるような――。
ぐらぐらと眩暈がしたような気がして身体が揺れた。しっかりしろと、トーレとラケルが支えてくれる。
「安心しろ、大丈夫だ。馬鹿言うなってその場で断ってやったよ」
「仲間を売れなんてふざけた提案に乗れるかってんだ」
ありがと、とどうにか言葉を絞り出すと、当たり前だろと肩を優しく叩かれる。
「……だからさ。多分あれ……もし私達がマスターの誘いに乗ってたら、今頃はあの夢みたいになってたんじゃないかって。きっとあのときの選択が分岐点になってたんじゃないかって……そう思うの」
皆が同じ悪夢を見る。まるで、別の道を歩んだもう一人の自分の人生を追体験するかのように。
「お師匠様は、『そういう考え方もあるってだけで、実際に起きうることなのかどうかは誰も確かめられないからね。お伽噺みたいなものだと思って聞いておきなさい』って言ってたけど……でもさ、これだけ皆が同じ夢を見ちゃうんだもの。なんだか……本当の話なんじゃないかって」
枝分かれした世界の別の人生を歩んだ自分達の末路を、夢という形で体験したのだと。そう言ってラケルは話を締め括った。
「――じゃあ、さ。最近私、皆に監視されてるような気がしてたのは……もしかして?」
ここのところ、皆の様子がなんとなくおかしかった。どこへ行くにも誰かが一緒。毎朝下宿を出ると、声を掛けるのを躊躇うくらいに険しい顔で周囲を窺いながらイヴァルが待っていた。仕事が休みの日でもトーレやラケルがしつこく予定を探ってきてなんだか落ち着かなかった。この間もほんの少し買い足しに出ただけなのに、慌ててスヴェンとバートが追いかけてきた。
――まるで監視されているように、自由がなくなったと思っていたのだけれど。
「ああ……悪い。断ったらどうなるか分からないって言われてたからな。無理やり連れ去りにでも来るんじゃないかって警戒してたんだ。ごめんな、やっぱりちゃんと話しておけば良かったな」
不安にさせて悪かったと、イヴァルは頭を下げた。
「ううん、いいの。ありがとう、私のためにこんなこと……」
「シオリが悪いわけじゃないから気にしないでよ。悪いのはマスターだわ」
「そうだよ。ただ僕らも不安だったからさ。大事な仲間が危険な目に遭うなんて見過ごせないよ」
仲間達の言葉が温かい。どこの誰とも分からないような余所者の自分をこんなにも気遣ってくれる彼らと一緒にいられる喜びを噛み締める。
「ありがとう、皆。このパーティに入って、私、本当に良かった」
シオリの言葉に皆視線を交わし合い、そして柔らかく微笑んだ。
「まぁでも、あのマスターがあんなこと言い出すなんて思わなかったよな」
「だよな」
ランヴァルドは多少神経質で細かいところもあるけれど、その分事務処理能力や交渉力は高く、マスターとしては評判も良い。魔導士としての能力も高く、著書のいくつかは冒険者組合のテキストとして採用されているほどなのだ。
それなりに慕われ信頼されてもいる彼がそんな恐ろしい提案をしてくるあたり、本当に高位の貴族に脅されでもしているのかもしれない。
「……なぁ、念のためザックさんに相談した方が良くねぇか? S級だし、辺境伯家にも顔が利くって噂だろ。あの人ならどうにかしてくれるかもしれないぜ」
「だな」
バートの提案にイヴァルは頷いた。
「今のところは何もないが、万一ってこともあるからな。帰ったら早速連絡してみよう」
皆頷き合う。
「さ、じゃあ方針が決まったことだし、さっさと寝ちまおうぜ。明日の仕事に差し支えるしな」
「おう」
「おやすみー」
話すべきことを話して気が楽になったのだろう。先ほどまでとは一変して表情が明るくなった彼らは、それぞれの毛布に潜り込んでいく。シオリもまた小さく微笑み、そして寝床を整えると静かにその場に横になった。
「……ね、シオリ」
「うん?」
見張りに戻ろうとしたラケルが、そっと声を掛けてくる。彼女はにやりと笑った。
「なんかトーレに言い寄られてるみたいだけどさ。シオリはザックさんのこと、好きでしょ」
「えっ」
咄嗟に誤魔化すことができずに狼狽えてしまい、それでラケルの言葉を肯定してしまった。けれども彼女は亜麻色の三つ編みを揺らして笑った。
「私さ、トーレよりもザックさんの方がお似合いだと思うんだよね。シオリはなんか複雑な事情があるみたいだけど、ちょっと気弱なところがあるトーレなんかじゃ支えられないと思うんだ。ザックさんみたいなしっかりした人じゃないとね。それにあの人もなんか満更でもなさそうだし。だからさ」
応援してるよ、と。そう言われてシオリは微笑んだ。
「――ありがと、ラケル」
気の良い温かい仲間達に恵まれて、本当に良かった、と。魅力的なウィンクを飛ばして見張りの仕事に戻っていったラケルの背を見送りながら、そう思った。そうして幸福感に満たされながら、静かに眠りの世界に引き込まれていった。
――その後、数々の成功を収めて名を上げ、その人柄の良さから多くの人々に慕われたこのパーティが――真実、ある地点で重大な選択を誤り、そして分岐した並行する世界で迎えた恐ろしい結末を追体験していたのだということを、彼らは終ぞ、知ることはなかった。
選択を間違えずにその後充実した人生を終えた、暁の皆のお話。
あくまで「もしも」の話ですので、本当に世界が分岐するのかどうかについては本編では語りません。
また発売記念SSとして載せるにはどうかというお話でしたヽ(゜∀。)ノ
ほんのちょっと魔が差した、ほんのちょっと選択ミスをした――というところから、人生がまるで違う悲惨なものに変わってしまうという可能性は、多分誰にでもあるんだと思います。そうなってしまってから、あれが分岐路だったと気付くんでしょうね。
最善の選択は無理だとしても、そういう間違いは犯したくないものです。