書籍化記念?「闇色の記憶」
せっかく物凄い恐怖顔を描いていただいたので、この子のお話を。
「喧嘩のお相手は承れません」の三人娘の一人、ヴィヴィのお話です。
覚えておられますかね?(´∀`)
ヴィヴィ→恐怖のあまり失禁しちゃった魔導士の女の子。
シーラ→アレクに横恋慕して大蜘蛛の餌エンドした魔法剣士の子。
ミア→シーラ亡き後、郷里に近い支部に移籍した弓使いの子。
シーラが死んだ。
ほんの数ヶ月前まで一緒だった仲間の訃報を受け取ったのは、昨日のことだった。
トリス支部から郷里にほど近い支部に移籍したというミアから届いた、事実のみが綴られた短い手紙には、無謀な依頼を受けた挙句に魔獣に食われて死んだとそう記されていた。
ようやく思い出さずに済む時間も増えてきたと安堵していた矢先のことだった。
――あの、深い闇色を。
「ありがとな、ヴィヴィ。また次も頼んだぜ」
幼馴染のヴァルが、今日仕留めた魔獣を抱え直しながら言う。いつもの何気ない別れ際の挨拶。けれども雀斑の浮いた顔にどこか気遣わしげな表情を浮かべているのは決して気のせいではない。
「うん、お疲れ様ぁ。また今度」
逃げるように村に戻ってからずっと心配させているのは分かっていた。だが、まだ彼に打ち明ける気にはならなかった。だからそれに気付かないふりをして、自分もやはり何食わぬ顔していつもの挨拶を返す。それを合図にしたように、自警団の若者達が別れの挨拶を交わしてそれぞれの家へと帰っていく。
その場に最後まで残っていたヴァルは、まだ何か言いたそうに口を開いた。だが結局言葉にすることはなく、少し困ったように眉尻を下げて微笑んでから、じゃあおやすみ、と短く言ってから帰っていった。
「……おやすみ」
立ち去る背中にそう返して、家の扉を開ける。
――闇。
両親は既に亡く、姉は数年前にトリスに嫁ぎ、家には自分ひとりきり。かつてここに在った温かい団欒はなく、帰れば人気のない暗い部屋に作り置きの冷えた食事があるばかり。
寂しくないと言えば嘘になる。
だが、魔法の才能と両親譲りの器量に恵まれたヴィヴィは常に人に囲まれていた。村の自警団に入ったときも、北部最大の都市トリスで冒険者になったときも、いつでも。
だから孤独ではなく、一人きりになった家も平気なはずだった。
――だというのに。
闇色に沈んだ暗い室内を目にした途端に、あのとき身に絡みついた絶望的なまでに深い闇を思い出して、ヴィヴィはぞっと身を竦ませた。
闇色の、あの女。
シオリ・イズミ。
将来を期待されて村を出たヴィヴィが、たった一年で冒険者を辞めて逃げ帰る原因となった東方人の女。
取るに足らない低級魔導士のはずだった。魔力の流れを読んでみたが間違いなく低魔力。仕事はといえば、平時は失せ物探しに薬草採集などの子供のお使いのような依頼を受け、遠征時でも食事や湯浴みの支度に洗濯をする程度と、魔導士とは名ばかりの家政婦業だという。
聞けば初めは言葉すら通じなかったという移民の家政婦が、たった四年で高評価を得てB級の資格を取得したなど、必ず何か裏があるに違いないと思った。
実際、ギルドマスターのザックを始め、アレクやクレメンスなどのトリス支部の要とも言える男達を侍らせているのだ。これではシオリを恋敵と疎んじていたシーラでなくとも、色仕掛けで査定に手心を加えてもらっているのではないかと疑いもする。
ならば、そのB級の資格が順当なものなのかどうかを確かめてやればいい。
あの女の後ろ暗いところを暴いてやろうとシーラとミアに声を掛けてみれば、案の定食いついてきた。
始めはあの女を尾行して不利になりそうな情報を集めようとした。だが、思うように情報は集まらず、むしろ好意的な評価ばかり。ならば自分達が直接手合わせをして確かめてやろうと思った。
それでも始めは少し揶揄ってやるだけのつもりだった。ほんの少し脅かして、取り澄ました顔のあの女が見苦しく狼狽える様を見られればそれでよかったというのに。
――だが、結果はどうだ。
恐怖に身を竦ませて無様に泣き叫び、這う這うの体で逃げ帰ることになったのはこちらの方ではないか。
ヴィヴィは自分を抱き締めるように両手で二の腕を強く掴んだ。
――あの、触れる者全てを飲み込もうとするかのような、昏く深い、底無しの闇。
あれは見てはいけない種類のものだった。
それを、見てしまった。見てはいけない深淵を覗き込んでしまったのだ。
それを正しく理解した者はあの場ではヴィヴィだけだった。ミアも、魔法を嗜むシーラでさえも、ただ剥き出しの怒りと殺意のみを感じ取って恐怖しただけだった。
もしあのとき、あの女は己のような小娘とは格が違うのだと理解していれば、シーラは張り合うように無謀な依頼に挑んで命を散らすような馬鹿な真似をするはずはなかっただろうに。
「どうして……」
普段は風のない海のように凪いだ女が見せた、あの闇。
身を焦がすような望郷、心が焼き切れるほどの孤独、身を押し潰さんばかりの怒り、心が引き裂かれるような哀哭――ありとあらゆる負の感情を内包した、凄まじい底無しの絶望。
あんなものを抱えていながら、人は生きていけるものなのか。
あんなものを抱えていながら――
「どうして笑っていられるのよ……」
ヴィヴィは魔法の才に恵まれた娘だった。それゆえに、魔力を通してあの女の抱える途方もない闇をまともにその身で受け止めてしまった。
「……怖い」
格が、違う。
己とは格が違い過ぎる。
常人では気が触れるほどの孤独と絶望を抱えていながら、あの女は正気を保っていた。その上で、夕凪の海のように静かに微笑んでいるのだ。
怖ろしいまでの精神力。
到底真似できるものではない。
「……やだ……怖いよ……」
闇が、怖い。
闇に沈んだ暗い部屋に一人でいることが、怖い。
あの日触れてしまった闇色の深淵は、未だにヴィヴィを蝕んでいる。
閉じた瞼の裏に浮かぶ、闇。
――あの絶望の淵に佇む女の底無しの闇色は――まだ、忘れられそうになかった。
ルリィ「ワンチャンある子」
書籍化記念で載せるにはどうかという話ですが、いい機会ですので投稿してみました。
次は没にした書き下ろしでも載せてみようかしら。