9.負けなしの家族
私服に着替えた僕は、血だらけの制服が入ったビニール袋を持って家を出た。最寄りの交番までは結構距離があるけれど、歩きながら話す内容を整理したかったから自転車は使わなかった。それに、自首した後どうなるか分からないから、自転車を持っていくべきではないと思った。
コートのポケットに手を入れて、寒さに耐えながら僕は歩いた。
自首することへの恐怖からか、昔のことを思い出していた。楽しかった思い出を頭に浮かべることで、現実逃避をしていた。
小さいころ姉と一緒によくおつかいに出掛けた。独り身になった母の助けになりたいと姉が言って、僕はなにも分からずついて行った。
「お母さんはね、今ちょっと離れているんだよ」
姉は二人っきりのときよくそう言っていた。小さかった僕は意味がよく分からなかった。でもそう言う姉の顔が、どうしようもなく悲しげだったから僕は黙って頷いた。
「そりゃお母さんは近くにいるし、離れていったのはあの男だけど、そういう意味の距離じゃないんだ」
何も聞かない僕に、姉は優しく言ってくれた。僕が聞かなくたって姉は答えを教えてくれた。
「離れているのは心なんだ」姉は胸に手を当てて寂し気に言った。「心がちょっとそっぽ向いてしまって、私達が少しだけ見えなくなっているんだ」
姉は立ち止まり、腰を落として僕と目線を合わせた。そしてにっこりと笑った。
「でも忘れないで、私達は家族だ。世界で一番、最強で最高の家族だ。私達が笑顔でいるとき、勝てる奴なんていないんだぜ」
そう言うと、くしゃっと笑って、姉を僕の頭を撫でてくれた。優しくて心強くて、僕は不安なんか微塵も感じなかった。
姉はきっと、不安だっただろう。でも、それでも笑ったんだ。そんな姉を思い出し、僕は笑った。
姉のことを思い出し自首することの恐怖を、不安を、一瞬だけ乗り越えられた。
「そこの少年よ」
どこからか声が聞こえた。低くて大人びた女性の声だった。でもどこから聞こえているのか分からなくて、僕は辺りを見渡した。
「ここだよ」
突然、声がすぐ後ろから聞こえた。その移動速度に僕は驚いて、恐怖を感じた。
「そんなに怖がらないで、質問があるだけさ」
がちがちに固まった体をなんとか動かして、後ろを向いた。そこには背の高い女性が立っていた。
「昨日、入院服みたいな恰好をした女の子を見なかった?」
あの少女のことだ。あの子以外にはあり得ない。
「見ていません」
僕は嘘をついた。それは咄嗟のことで、なぜそんなことをしたのかは分からなかった。でも、少女が狙われ、襲われていた現場を見た僕はそうするしかなかったのだと悟った。
「そうか。じゃあどうしようかな」
女性はそう呟くと悩み始めた。するとどこかから三分クッキングのテーマが流れた。女性はポケットから携帯電話を出し、電話に出た。どうやらさっきの曲は着信音らしい。
「私だ。え、ああそうか。ユニクロの近くだな、なら私が行こう。え?いや、君はやめとけ目立つから」
女性は呆れた声を漏らすと、電話を切った。僕はずっと嫌な予感がしてしょうがなかった。体が震え、呼吸が荒れ始める。
「見つかったみたいだから大丈夫、じゃあね少年」
女性はそう言うと消えてしまった。一瞬の内に、何かに引っ張られるように空に飛んでいった。
そして、気がつくと僕はまた、走り出していた。