3.人を殺す一時間半前
職員室のど真ん中で、堂々と喫煙している女教師がいた。絶対に近寄りたくない相手だが、職員室にはその女教師、桐坂真冬しかいなかったから近づかざるをえなかった。
「先生、コピー機を借りていいですか?」
「お、お前か。いいぞ」
ふうっと灰色の息を吐きながら、先生はコピー機を指差した。僕はコピー機にポスターをセットして、スイッチを押した。
先生が煙草を加えたまま僕の横に立ち、コピー機から出てきた一枚目を徐に取った。
「はっ、なんともしょぼいポスターだな」
「煙草臭いんですけど」
「まるでお前みたいなポスターだ。地味で、特徴がなくて、痛々しい」
僕の訴えを無視して先生は煙を吐き出し続け、おまけに毒まで吐いてきた。
「痛々しいだけは取り下げて欲しいです」
「はっ、この前話しただろ。お前は自分を不幸だと思っている痛々しいやつなんだよ」
三日前、桐坂先生に呼び出されて面談を受けた。一応面目は一年生全員が行う進路面談だったが、僕だけは先生に人生相談を強いられた。
その時、言われてしまった。
『お前は自分を不幸な人間だと思って、努力を怠り、進むことを拒否している。十代でそれじゃあお先真っ暗だ』
先生は煙草の煙を僕の顔に吹きかけながらそう言った。先生はどうやら僕になら受動喫煙させてもいいと思っているらしく、他の生徒や教師の前では吸わないのに僕の前では吸うのを止めない。
先生の言葉は、僕の心に重くのしかかっている。締め付けるように、僕を悩ませている。
「お前はもっとなにかしたいと、思うべきだよ。やりたいことを見つけろ。そうすりゃハッピーさ」
刷り上がったポスターの束を、コピー機の上で整えた。そして振り向いて質問した。
「じゃあ、先生のやりたいことってなんですか?」
純粋な興味と、仕返しのつもりだった。大したことない目標を言ったら、思いっきり言い返してやろうと思った。
「そうだな……」
けれど先生はいつもと同じ、平坦な口調と表情で。
「まだ見ぬ他人を、幸せにするためさ」
そんな、反応に困ることを言った。安易には否定できない、強い意志を感じてしまった。
「私の仕事は人と関わる仕事だからね。成長した君が、誰かを救ったならばそれは私の手柄なんだよ」
先生は憎らしい笑みを浮かべた。同時に、僕は考えていた。僕の目標とは何なのか。
「お姉さんが死んだことを、いつまでも――ずるずると、心に抱えて引きずったまま生きていくつもりなのか?」
その瞬間、拳に力が入った。無意識に体が反応し、どうしようもない焦燥に駆られた。
「どうしようも……ないんです」
そう、この感情は、無くなってはくれない。姉が死んだとき生まれてしまったこの心は、どっかにいったりはしない。一生残り続ける。
僕は逃げるように職員室を出て行った。